久々の雨
日中の活動時間帯の雨を久しぶりに見た気がします。
しかし天気のことなどどうでも良く話は月曜28時30分(今日も夕方即就寝して真夜中に起きて鑑賞)の舞-乙HiME。
「ヘタレアライズ!」
やっぱり実際に見ると違いますね!
ネタバレで知っていたとはいえ実際にこの目で予告を見るともう……
学園長可愛い!!
最近どうにもヘタレが好きで困ります。SSのネタを考えていてもすきあらば聖をヘタレにしようとしていて
「シリーズでのイメージと合わないじゃん!」
みたいな。
それはともかく
トリックスター、傍観者、まぁ呼び方はどうでも良いですが、それの使い方の難しさをあらためて実感しました。
舞-乙HiMEのナギは嫌われ者(視聴者から見て。作中の人物から見てもそうなっている気もしますがそれは別問題。)になってなんぼ、という作り方をしている節もあるのでよいかもしれませんがうちのシリーズで江利子さまにそうなって欲しくはない。(いとしき編も始めようかというこの時期になってそんなことを言っても手遅れかもしれませんがorz)
全員が全員不満を抱かないってのを求めるのは理想が高すぎますが、それでも多くの方が
「何この女。端から見ておもしろがっているだけじゃん!」
なんて思われてしまうのは悲しいので避けたいものです。
あとは
鬱展開(アレを鬱だなんて!等々の鬱に対する解釈があるのはとりあえずおいておく。とりあえず作中の人物が嘆き悲しみ、視聴者(読者)も思わず悲しくなる人が出てくる、程度の意味で)ですか。
作品を作る上でどうしても必要なときがあるとは思います。
ただ、そこへの持ち込み方、そしてそこからの明るい展望への持って行き方の大切さをあらためて考えています。
鬱への導入ってのは割と直角カーブというか急展開(いままで楽しいことしかなかったのにある悲劇的な出来事によって! みたいな)の方が良い気もするのですが問題はそこからの脱却・リカバー側だと思うのです。
こちらが同じく急激なものであったりするとそれまでの展開が妙にチープなものに見えてしまう可能性がある気がします。
一生懸命主人公が悩み苦しんだあげくもうどうにもならず絶望したところにポンと奇跡が舞い降りてしまうと
「ふざけんな! なんだこの展開は!」
といった具合です。
かといって立ち直りへの展開が長すぎるといわゆる「グダグダ」と称される物になりますし難しいものです。
そりゃまぁ
そもそも第一に自分の書きたいものを書きたいように書くという前提はあるわけですが、やはりその上でどうせなら当サイトの作品を読んでくださる皆さんに満足いただける物にしたいわけで。
上手いことバランス(というかそもそもありがたいことに当サイトの作品を好んで読んでくださる方が通ってくださっているわけで。あとはいかに満足していただけるものにするか、ですね)を取りつつやっていけたらなぁ。