全然関係ないときだからこそ書いてみる
「自分が投票したって変わるはずないし」
「誰に投票しても一緒」
という意見をよく見ます。
しかしこれは近視眼的な見方といわざるを得ません。
なぜなら毎回投票していれば必ず変わるからです。
そんな馬鹿なことが?
「今までだってちっとも変わってないじゃん」
はい、その通り。
だって投票率は下がる一方(一時的にちょこっと盛り返したりはしていますが……)ですから。
これは誰でもご存じな話ですが投票率が下がると一般に政治結社・団体による組織票が強くなります。
なぜなら彼らは時の趨勢による変動はあれど常に一定数を確保しており、確実に投票に行くためです。
従って投票率が下がった場合、彼らの投票総数に占める割合が増加し、結果的に「彼らの」一票の重みが増加します。
ではその結果を受けた与党・および野党はどう動くでしょう?
「確実に投票してくる人間の割合が増えたか……。では、彼らが望む意向に(従える部分は)従うことによって票を獲得しよう」
このように動くのは自明といえます。
だって投票するのかしないのか分からない連中に頼る(天候でさえ投票率は大きく変動する!)よりも確実に投票する人間をどれだけ多く獲得するかの方が価値が大きいわけですから。
さて、もう話が見えてきたかと思います。
「本当に必ず投票すると何が変わるか?」
そう、投票に占める浮動票の割合が圧倒的になるのです。
何が変わるのか
浮動票が圧倒的になるとどうなるのでしょう?
政策が基本的に国民・世論寄りになることが挙げられます。(こうなることがすべてにおいて良いわけではないのですが……。たとえば本当にせざるを得ない増税が発生した際に財政の破綻寸前まで誰もやらなくなったりしかねない。また「多数決」を優先しがちになりいわゆる「少数派」の切り捨てにつながる。)
なんと言っても
「どこに入れても変わらない」
と思っているような方は当然決まった支持政党というものがありません。つまり
「今回(自分の党・候補に)投票されたからといって次もされるとは限らない。逆に相手(候補・陣営)に投票されることも十分あり得る。そして投票されたら負ける」
この「投票されたら負ける」が大きいわけです。
さらに付随するメリットとして一票の価値が軽くなることがあります。
「先生のお力で何とか……(うちはみんなお宅に投票しているんですし、献金だって)」
という実にありふれたコネのごり押しが減ります。
なぜなら、本当に浮動票が多ければそういう行為が発覚した場合、依頼者から受け取るメリット(票・金)よりも反発による相手候補への票の流出の方が大きいことが予想されるからです。
結果として政治家は常に浮動票を握る世論の行方に強い関心を示すようになるでしょう。
少なくとも「これが国のためになる」とうそぶいていい加減な法案を通過させることは確実に減ります。
さあ投票だ!
「何だ、投票することってメリットばっかりじゃん」
ええ、そうです。さあ投票しましょう。
……とうまくいけばいいのですが、上の話はすべて理想論です。
仮に一回投票率が激増したところでその一回で変わることはあり得ません。
だって一回では「まぐれ」かもしれませんからそれをあてにして確実な票田(現在の直接的なメリットをあてにして投票している層)を切り捨てるような行為はとれるわけがありません。
ですが一回試しに投票して変わらなかった人は失望してまた投票することをやめるでしょう。
つまり本当に「まぐれ」で終わってしまうわけです。
実際自民党が郵政造反者を除名どころか復党させようとしているのは「無党派層(浮動票)」の前回の投票を「気まぐれ」と見ている証左とも言えます。
彼らの反発よりも造反者をその事実・時代の流れがあってさえ当選させた固定票(もしくは地盤・バックボーン)に価値を見いだしているわけです。
「継続は力なり」
この言葉はダイエットに限らず選挙ですら通用するのですが、無党派層によってこれが実現されることは永遠にないのでしょうね。
死ぬ前に一度で良いから見てみたい、投票率が80%超えるところ。(戦後、女性の投票率なら二回超えたことがあるが合計で超えたことは一度もない。)