超人機エヴァンゲリオン

第4話

雨、逃げ出した後

 先の[使徒]襲来から五日目。第三新東京市は朝から雨雲に覆われている。
 朝の目覚まし時計が鳴った。凄まじい寝相のミサトは足を出して本来枕元に置いていた筈の目覚まし時計を足で止めた。
 本来ならミサトよりも早起きのシンジの姿は見えない。洗顔、歯磨きを終えたミサトはシンジの部屋に足を向けた。
 “あいつ、今日もまた学校ズル休みするつもりかしら?”
 流石にシンジの保護者である手前、そこまで甘やかす訳にはいかない。
 ミサトは壁をノックしてシンジの起床を促した。
 「シンジくん、起きなさい。学校を休んで今日でもう五日目よ。初号機の修理も三日前に済んでいるのに、パイロットの貴方がそんな事でどうするの?」
 だが、返事は無い。
 ミサトはそっと、襖を開けた。返事の前に、シンジのいる気配が無い。
 ミサトは慌てて部屋に入った。シンジの部屋はきちんと整理されていた。立つ鳥跡を濁さず、というか、ミサトの部屋とは大違いである。それはさておき、シンジの姿は無かった。机の上にはIDカードとミサトへの置手紙があった。
 ミサトはすぐに事態を理解した。
 「家出か…無理も無いわね。」

 ピンポーン、と客の来訪を告げるチャイムにミサトは慌てて玄関に出た。
 「シンジくん!?」
 が、そこに居たのは見知らぬ二人の少年だった。その少年、トウジとケンスケは思わぬ美人の登場に驚いた。
 「あ、あの、えっと…。」
 「碇くんと同じクラスの相田と鈴原と申します。」
 トウジは緊張のあまり言葉にならなく、見かねたケンスケが冷静に自己紹介した。
 「相田君と鈴原君…?」
 「はいっ!わし…僕が鈴原です!」
 トウジのいつもと違う一人称にケンスケは驚く。
 「あっ!?あの時外にいた…?」
 「その節はとんだご迷惑をお掛けしました!」
 トウジはすぐさま頭を下げて謝った。ケンスケはトウジが妙にバカ丁寧な口調なので怪しむ。
 「実は…。」
 「あれから碇くんがずっと休んでらっしゃるので気になって見に寄らせて貰ったんですが…。」
 先程から自分が喋ろうとするとトウジが喋ってしまうので、ケンスケは少々ムッとする。
 「ああ、シンジくんはね…今、ネルフの訓練施設にいるの。」
 「…そうですか。」
 「あ、これ机に貯まっていたプリント。碇くんに。」
 「あら、わざわざ、悪いわね。ありがと。」
 「…ほな僕等、失礼します。」
 「碇くんによろしくお伝え下さい。」
 「ええ、伝えるわ。じゃあ。」
 扉が閉まりミサトの満面の笑みは見えなくなった。
 「…これは思わぬ展開だ。」
 「ああ、えらい別嬪さんやったな。」

 「シンジの馬鹿ぁっ!!」
 二人の最後の声が聞こえていたのか、ミサトは何だか顔を赤らめ、二人の友人が来る理由を作ったシンジが悪いのだと言わんばかりにドアに八つ当たりの蹴りを入れた。
 「…馬鹿…。」
 本当は探しに行きたいのだが、どこを探せばいいのかミサトはわからなかった。

 『次は長尾峠、長尾峠です。お出口右側に変わります。』
 シンジは行く宛ても無く、第三新東京市を周回する環状7号線の車内にいた。
 俯いたままウォークマンで音楽を聴きながら一日中同じ席に座っているシンジ。
 やがて、環状線は最終運行を終え、回送となった。

 駅を出たシンジは動かずに時間を潰せる場所を探して不夜城の繁華街をとぼとぼと歩く。やがてオール・ナイト映画を上映をしている映画館を見つけたシンジはチケットを買うと自動改札を通って中に入った。

 『本当に探知出来なかったんですか!?』
 『そうだ、直径数十ミリの物体が光速の数十パーセントの速度で南極に激突したのだ!我々の科学では予知も防ぐ事も出来なかったのだ!』
 『でも、外は地獄よ!これじゃ何の為の科学なの!?』
 上映されているのは[世界沈没の悪夢 セカンド・インパクト]という映画で、セカンド・インパクトのドキュメント映画のようだった。夜も遅い為かそれとも人気が無いのか、客は疎らだった。というより、シンジと同じ目的で入った者ばかりかもしれなかった。
 『現在、地軸変化により大気流動は3%に減少しました。』
 『じゃあ、これで少し落ち着いたのかしら?』
 『ダメです!津波が来ます!秒速230mで接近中!先生、脱出しましょう!』
 『いかん…私は此処に留まる義務がある。』
 『先生、死ぬ事は簡単です!しかし、貴方には世界の地獄を見つめる義務がある!』
 「いや、こんな所で…んっんっ!!」
 「はは、誰も見てないさ。」
 映画そっちのけでいちゃつくカップルもいた。とうとう抱き合ってしまったそのカップルを見て、不快になったシンジはロビーに出てベンチに身を横たえた。


 翌朝。映画館を出たシンジは朝焼けの町並みに足を踏み出した。朝焼けで真っ赤に染まったコンクリート・ジャングル。シンジは周りを見渡した。早朝の為、そこに居るのはシンジただ一人。他の人間は気配さえ無い。だが、シンジは街が人々を飲み込んでしまい、自分ひとり残されたような気がし、怖くなって駆け出した。

 シンジはバスで第三新東京市を離れ、大湧谷を訪れた。そしてそのまましばらく歩き続けると、そこは切り立った崖になっていた。眼下に広がる第三新東京市を見降ろすシンジの胸に去来するのは…。

 「シンジ君が家出!?」
 「ええ…様子が変だとは思ってたけど…まさか家出するとは…。」
 「保護者失格ね。」
 リツコはモニターを見ながら鋭く言った。
 「やめてよ、そんな言い方。」
 モニターの中では、下着姿のレイが検査用ベッドに横たわり、サーチ・レーザーによるスキャニング・チェックを受けている。
 「…まだ14歳なのよ…人類の存亡を背負わせるのはやっぱり酷だもの…。」
 「でも、私達はEVAの操縦を14歳の子供達に委ねざるを得ないのよ。」
 ミサトはリツコの正論にしばし沈黙した後、口を開いた。
 「彼、もう戻らないかもしれない。」
 「どうするつもり?」
 「別に…戻らないなら、そのほうがいいかも…。」
 ミサトは思い悩みながらも答えた。
 「何故?」
 「うん…。」
 ミサトは先の戦闘後のシンジとのやり取りを話した。

 シンジくん。どうして私の命令を無視したの?
 ミサトはシャワーを浴びたシンジを自分の執務室に呼びつけた。
 もし、あのまま使徒を倒せなかったらどうなってたと思うの?
 済みません…。
 済みません、で済む問題じゃないわ!
 はい…。
 私は貴方の作戦責任者なのよ。貴方は私の命令に従う義務があるの。わかる!?
 はい…。
 今後、こういう事の無いように。
 はい…。
 が、ミサトはシンジの返事に真剣さが感じられなかった。
 ちょっとシンジくん、貴方本当にわかってるの!?
 はい…。
 あんたねぇ〜!何でも適当にハイハイ言ってれば良いってもんじゃないのよ!
 もういいじゃないですか、勝ったんだから。
 そうやって表面だけ人に合わせてれば楽でしょうけどね。そんな気持ちでEVAに乗ってたら死ぬわよ!
 いいですよ、別に。
 いい覚悟だわ、と言いたいところだけど、誉められると思ったら大間違いよ。
 でしょうね。
 えっ?
 どうせミサトさんにとって僕は只の部下でパイロットですからね。
 なんですって!?
 僕を引き取ってくれたのも本当は自分の思い通りにする為なんじゃないんですか?
 ちょちょちょっと、なな何言ってんのよ!
 シンジが可愛いからといって今まで何度もからかったミサトである。シンジの指摘もあながち的外れという訳でもない事はミサトが動揺してどもってしまった為に明白だった。
 やっぱり…やってられませんよ。
 シンジくん!
 ミサトは思わずシンジを叩いていた。
 貴方、自分の任務を何だと思ってるの!?
 ………義務の次は任務ですか?只の道具に何を考えろって言うんです?
 あ、あれは、謝ったじゃない。
 あれがですか?僕にはふざけているとしか見えませんでした。
 ………シンジくん、何をそんなに拗ねているの?今日の貴方、変よ。学校で何かあったの?
 別に。
 そんなにEVAに乗るのが嫌なの?
 僕が乗りたいと言った事がありましたか?
 ―――もういいわ………家に帰って休みなさい。

 「そう…そんな事があったの…。」
 勿論、ミサトはリツコに知られたらまずい部分は除いていた。
 「EVAに乗る事がシンジくんにとって苦痛でしかないのなら、乗らないほうがいいと思うの。」
 「でも、パイロットは必要よ。」
 シンジの事を気遣うミサトにリツコは冷たく返事した。
 「それはそうだけどさ。」
 「…仕方ないわね、上に報告するわ。」
 「ちょっと待って。まだ…。」
 上に報告されれば、当然諜報部に命令が出て、やがてシンジは否応無しに連れ戻されるだろう。それでは逆効果になるのではないかとミサトは心配したのだ。が。
 「何かあってからじゃ遅いでしょ。それとも貴女、自分で探し出すって言うの?」
 リツコはいつも冷たいほど正論を吐く。科学者であるからそれは仕方の無い事だった。
 「―――まさか。彼が行きそうな所なんて…私にはわからないわ。」

 時刻は夕闇が迫る頃になっていた。
 「ダダダダダダダ、ドワー!」
 とあるススキ野原で迷彩服を着込み銃を持って駆けていたケンスケは撃たれたようにバッタリと後ろに倒れた。と、思ったら。
 「小隊長殿っ!」
 ケンスケは立ち上がり、見えない倒れた人物に声を掛けた。と、思ったら。
 「い、行け…あ、相田、行くんだ。」
 ケンスケは倒れ、見えない駆け寄ってきた自分?に少し低い声で苦しそうに命令した。と、思ったら。
 「しかし自分は…小隊長殿を置いて進めません!」
 ケンスケは立ち上がり、見えない小隊長に涙声で拒否する。と、思ったら。
 「馬鹿もんっ!」
 ケンスケは倒れ、見えない自分?を叱咤するようにパンチを見舞った。と、思ったら。
 「ウワァッ!」
 ケンスケは立ち上がり、見えない小隊長のパンチを受けて倒れた。
 以上で、脚本・演出・主演(一人二役)・衣装・小道具、全てケンスケの一人サバイバル芝居は終了した。観客はいなかったが、いたとしても気持ち悪がって逃げ出していただろう。
 「…さってと。」
 倒れたまましばし夕闇の迫る空をボケッと見ていたケンスケはやおら立ち上がった。と、その視界に意外な人物が入った。
 「あれは…。」

 “僕は何をやってるんだろう…いくら歩き回ったって、どこにも行く宛ては無いのに…。”
 シンジはススキ野原の中を歩いていた。
 “結局、僕はただ現実から逃げ回ってるだけなのかもしれない…。”
 “何をやったって中途半端だ…だから僕を必要としている人なんてどこにもいない…。”
 “父さんやミサトさんも必要としているのはパイロットとしての僕だ。僕自身じゃなかった…。”
 “父さんに捨てられた時から、それはわかってた筈なのに…。”
 と、シンジは足を止めた。草原に何故かテントが一つ設営されていた。
 「なんだこれ…なんでこんなとこにテントが…?」
 テントの周りを回ってみると、飯盒が火にくべられていた。
 シンジの腹の虫が鳴り、シンジは思わず唾を飲み込んだ。
 “そう言えば…昨日ハンバーガーを食べたきり、何も食べてない…。”
 シンジは物欲しそうに飯盒を見つめた。
 その時。
 「手を上げろ。」
 その声と共に何かがシンジの後頭部に付き付けられた。何かと言っても、その言葉から連想される物は一つしかない。
 「うわあああっ。」
 シンジは慌てて言われたとおりホールド・アップした。
 「誰だ、俺の飯を勝手に食おうとする奴は?」
 「す、すみません、僕そんなつもりじゃ…。」
 振り向いたシンジの背後にいたのは、先程戦争ごっこをしていたケンスケだった。
 「もしやと思ったけど、やっぱ碇か…。」
 「相田…だっけ?何やってんの、そんなカッコで?」
 「簡単に言えば…戦争―――ごっこかな?」
 「一人で?」
 「ああ。碇こそ何やってんのさ、こんなとこで?」
 が、シンジの代わりに腹の虫が返事した。
 「………。」
 「メシ、食うか?」

 「いつもこんな事やってんの?」
 「偶にはね。」
 「ゲリラ戦にでもなった時に備えて?」
 「こんなおもちゃで何ができるんだよ?趣味でやってるだけさ。どれ、もういいみたいだな。」
 ケンスケの奢ってくれた夕食は飯盒で炊いたただのご飯と非常食の缶詰から出した鶏肉だけだった。それでも、腹が減ってたシンジには美味しかった。
 「こないだナッちゃん、あ、ナッちゃんってのはトウジの妹だけど、お見舞いに行ったらさ、『私達の街を守ったのはあのロボットなのよ』って、トウジの奴ナッちゃんに説教されてたぜ。まだ8歳の女の子に説教されてんじゃないっての。」
 ケンスケは面白おかしく話したつもりだったが、シンジには笑う事はできなかった。
 「僕のせいだったんだよね…そのコの怪我…ひどいの?」
 「碇、そんなに自分を責めるなよ。ナッちゃんは運が悪かっただけだ。トウジももう怒ってないよ。」
 「え?」
 「逆に心配してるくらいさ。碇がずっと学校休んでたから。」
 「………。」
 「訓練って大変なのか?」
 「う、うん…。」
 シンジはつい嘘をついてしまった。本当はズル休みしていただけだ。
 「そうか…でも、俺、碇がすっげー羨ましいよ。あんな美人のお姉さんと一緒に住んでて、その上あんなカッコイイロボットを操縦できるんだもんな。俺も一度でいいから思いのままにエヴァンゲリオンを操ってみたいよ!」
 「…やめたほうがいいよ。お母さんとか、悲しむと思う。」
 「ああ、大丈夫だよ、俺にそんな人いないから。」
 「えっ?」
 「碇と同じだよ。それにトウジも、委員長もね。」
 「そうなんだ…。」

 ミサトが疲れ切って帰宅すると、ペンペンが出迎えてくれた。
 「ただいま、ペンペン。」
 ミサトはペンペンを抱きかかえると、シンジの部屋に向かった。しかし、シンジが居る筈も無かった。
 “どこに行っちゃったの、シンジくん…。”


 翌朝。朝靄の中、シンジとケンスケのいるテントに向かって歩く数人の男達がいた。
 その足音に気付いたケンスケはテントの外に出た途端、身を硬くした。五人の男達がテントを取り囲んでいた。
 シンジはすぐに自分を連れ戻しに来たのだと気付いた。
 「碇シンジくんだね?」
 「はい…。」
 「ネルフ保安諜報部の者だ。保安条例第8項の適用により、君を本部まで連行する。いいね?」
 シンジは無抵抗のまま、五人の男達に囲まれてケンスケの前から去っていった。

 同日、昼休み。
 「そんでお前、黙って見てただけやっちゅうんかい!」
 事の詳細を聞いたトウジはケンスケを責めた。
 「まあまあ。」
 シンジの事を取材しようと2−Aに来ていたクミがトウジを落ち着かせようとする。
 「んな事言ったって、向こうはネルフの保安諜報部、プロなんだよ。」
 「それがどしたっちゅうねん!おまえそれでもマタンキついとんのか!」
 トウジの下品な物言いに近くの女子生徒が眉を顰めた。
 「ヤダッ。」
 「ヘンタイッ。」
 が、傍にいたクミは年上であるせいか、余裕で聞き流している。
 「負ける戦をする奴は馬鹿なの。マタンキは関係無いの。」
 ケンスケは自分の無力さに諦観の表情で答えた。
 「でもね、『男なら、負けるとわかっていても戦わねばならない時がある。』とも言うよ。」
 クミの言葉にトウジが驚く。
 「かっこいい言葉でんな、真辺先輩。誰の言葉でっか?」
 「フフッ、さあてね。」
 クミはそう言って戻って行った。



EXTRA HUMANOIDELIC MACHINARY EVANGELION

EPISODE:4 Hedgehogs’Dilemma



 シンジは独房に入れられていた。ほんのわずかな光しか差し込んでこないその一室に、重い扉が開く音と共に幾許かの光が入ってきた。
 シンジが後ろを振り向くと、ミサトがいた。
 「お帰り。」
 「あ…ただいま…。」
 家じゃないのについそんな事を言ってしまうシンジ。
 「どう、家出した気分は…二日間ほっつき歩いて少しは気が晴れたかしら?」
 「別に…。」
 シンジは少々沈黙した後、切り出した。
 「怒らないんですね、家出の事…当然ですよね、ミサトさんは他人だし…。」
 が、ミサトはそんなシンジの台詞を無視して単刀直入に言った。
 「一つだけ訊くわ。貴方はこれから先、EVAのパイロットとしてやっていく気があるの?それとも無いの?」
 「やる気もなにも…前から言ってるじゃないですか、僕は乗りたくて乗ってるわけじゃないって。」
 「乗りたくないの?」
 「そりゃそうですよ。第一、僕には向いてませんよ。でも、乗りたくないって言ったってしょーがないじゃないですか。」
 「乗るの?」
 「だってパイロットは僕しかいないんでしょ。やりますよ。僕が乗らなきゃみんな困るんじゃないんですか?ミサトさんもリツコさんも…。」
 「人の事なんかどうでもいいでしょ!貴方がどうかって訊いてるのよ!」
 ミサトは激昂した。だが、その言葉の中にシンジには捨て置けない部分があった。
 「どうでもいい!?」
 「そんなにEVAに乗りたくないのなら、今すぐここから出て行きなさい!EVAや私達の事は全部忘れて以前の生活に戻りなさい!…貴方みたいな中途半端な気持ちで乗られたらこっちも迷惑だわ!」
 ミサトは怒鳴って戻ろうとした。が。
 「…ミサトさんは何もわかっちゃいないんだ…。」
 そのシンジの言葉にミサトは不愉快な顔を向けた。
 「何をわかってないと言うの!?」
 「貴女は命令してるだけだ!戦ってるのは僕なんだよ!怖い目に遭って、痛い思いをして、それで敵を倒したら殴られて、家ではからかわれて、それでも僕に偉そうな事を言えるのか!」
 「う…。」
 道具扱いした事、からかって心を傷付けた事、叩いた事…ミサトは何一つ反論できない。
 「初めての戦いで、僕はトウジの妹に怪我させてしまったんだ…人の事なんかどうでもいいわけないじゃないかっ!」
 「シンジくん、わかった、わかったから落ち着いて…。」
 キレたシンジにミサトはタジタジだった。
 「うるさいっ!そんなに迷惑ならやめてやるよ!」
 シンジは怒鳴ってIDカードをミサトに投げつけた。
 「ひえっ。」
 ミサトは這う這うの体で逃げ出した。
 もしその様子をリツコが見ていたら「無様ね。」と言っていただろう…。


 その翌日。
 リツコはゲンドウ、レイと共にネルフ内を移動していた。
 「サード・チルドレンは明日第三新東京市を離れます。」
 「そうか…。」
 ゲンドウの表情に変化は無い。
 「いいのですか?それで。」
 「これも予想されていた事態の一つだよ。追い込まれた人間の行動は意外と単純なものだ。」
 「しかし、マルドゥック機関によるフォース・チルドレンは未だ発表されてませんわ。初号機のパイロットの補充は利かないのですよ。」
 リツコは反論した。そして次の論を述べる。
 「最悪―――彼を連れ戻して洗脳―――となった場合、EVAとのシンクロに問題が無いとは…。」
 「構わん。その場合は、初号機のデータをレイに書き換えるまでだ。」
 レイはようやく眼帯が取れたようだが、自分の事が話題になっても顔色一つ変える事も無い。シンジがいなければ自分がEVA初号機に乗る事に何の躊躇も無いようだ。
 「零号機の再起動実験の結果の如何に拠らず、初号機の実験に移る。」

 シンジのIDカードに穴が開けられ、廃棄処分となった。同時にID登録も抹消された。
 それは、シンジが第三新東京市を離れなければならない事を意味していた。
 シンジがネルフ本部から諜報部員に連れ出される途中にリツコが待っていた。
 「リツコさん…。」
 「シンジ君、お父さんから伝言があるわ。」
 「えっ!?」
 「『任務遂行ご苦労。』ですって。」
 「それだけですか?他には?」
 「無いわ。」
 ゲンドウはシンジに対して掛ける言葉は少ない。呼ばれた時の手紙にも「来い。」の一言だけだった。
 “父さんが…僕に労いの言葉を…。”
 「じゃ、確かに伝えたわよ。元気でね。」
 「…ま、待って下さい。」
 歩み去ろうとしたリツコをシンジは慌てて呼び止めた。
 「あの、ミサトさんはどこにいるんですか?」
 「おい!」
 諜報部員がリツコの傍に駆け寄ろうとしたシンジを制止した。
 「あの、一言お別れを…。」
 「…シンジ君、貴方はもうネルフの人間ではないのよ。今の貴方には何も教える事はできないわ。それがたとえ些細な事でもね。」
 「そんな…。」
 「悪く思わないで。そういう規則なの。さようなら。」
 リツコはクールに説明して歩み去った。

 ミサトはまだ家に居た。隣ではペンペンが昼食の魚を啄ばんでいる。
 「Hu…仕事…やっぱ行かなきゃね。」
 もう大遅刻である。半日休暇という制度は無いらしい。
 ミサトは上着を着ながらもう一度自分が正しかったのかを自問してみた。
 “あれでよかったのかな…もしかして私がもっとしっかりしてればあるいは…。”
 と、その時、来訪者が呼び鈴を鳴らした。
 「はい?」
 そこにはクミがいた。
 「シンジくんの友達の真辺といいます。シンジくん、いらっしゃいますか?」
 “なぬ!?シンジくんのガール・フレンド!?”
 等と誤解しながらもミサトは正直に打ち明けた。
 「ええっ!?シンジくん、戻っちゃうんですか!?」
 「ええ…学校には連絡が遅れちゃったけど…今頃、駅に着く頃じゃないかな。」
 「どうして?シンジくんはエヴァンゲリオンに乗る為に来たんじゃなかったんですか?」
 「そうだけど…。」
 「…まさか、本当は嫌だったとか…。」
 “鋭い!流石、シンジくんの心を射止めた女のコだわ。”
 “勘違いしてるけど、まいっか。”
 「ええ、まあ…ちょっとね。」
 「シンジくん…辛いのなら言ってくれればよかったのに…。お見送りはどこに行けばいいんですか?」
 「小田急線の新箱根湯本駅よ。」
 「わかりました。それじゃっ!」
 クミは大急ぎで学校に戻ると、再び2−Aに行った。
 「相田!鈴原!ちょっと来い!」
 「何でっか、真辺先輩。」
 「シンジくんの見送りに行くよ!」
 「へ?」
 「見送りって?」
 「シンジくん、第二新東京市に帰るんだって!」
 「ええっ、どうして!?」
 「詳しい話は後!急がないと間に合わないよ!」
 三人は大急ぎで昇降口へ向かう。
 「でも、先輩はどこからその情報を?」
 「さっき、葛城さんから聞いてきたわ。あんた達、特に鈴原はシンジくんに迷惑掛けたんだからちゃんと謝るのよ。」
 「はいです。」
 「それで、どうやって新箱根湯本に行くんですか?タクシー代結構掛かりますよ。」
 「心配御無用。」
 校門の外に出ると、そこには750ccバイクが置いてあった。
 「このバイクはあの時の…じゃ、あれは真辺先輩だったんですか!?」
 「先輩、バイクって16歳にならんと免許取れんのとちゃいますか?」
 「それに、先輩、今スカートじゃないですか。」
 「ちゃんとブルマー穿いてるから問題無いわ。」
 クミは他の女子生徒よりは少々短めなスカートの裾をチラッと捲くってヒップを包むブルマーを見せた。
 「…てな事はどうでもいいから早く乗って!」
 750ccのバイクを操る素晴らしいライディング・テクニックはよしとして、15歳でバイクに乗るのは完全に法律違反。バイクの3人乗りも法律違反。おまけにノーヘルも法律違反。
 だが、クミに言わせれば、「下らない法律なんぞ糞喰らえ。」だった。
 三人の乗った750ccバイクは猛然と走り出した。

 「随分とのんびりした出勤ね。昨日は宿直だったかしら?葛城作戦部長さん。」
 わざわざ管理職名をつけてミサトに声を掛けたリツコ。
 「う…来た早々きついわね…。」
 ミサトはリツコの皮肉混じりの挨拶に顔を引きつらせた。
 「シンジくんの見送りには行かないの?」
 「あんな別れ方しちゃったからね…今更会わす顔も無いわ…。」
 「ふーん。年下の男のコとのお別れはそんなに辛い?」
 「リ、リツコ…あんた、何か勘違いしてない?私は別にシンジくんの事…。」
 大学時代に恋愛経験はあるが、それから既に彼氏いない暦8年。年上は駄目だが年下なら別にノー・プロブレム。初めてシンジの写真を見て自分が迎えに行くと立候補したのも、もしかしたらそっちの趣味が芽を出したせいかもしれなかった。
 「でも、シンジ君は最後に貴女に会いたかったみたい。」
 「嘘っ!?」
 「本当よ。時々キレたりするけど、根は真っ直ぐな少年よ。」
 ゲンドウと同じくシンジに辛い言葉を浴びせたミサト。それでも、シンジはこの街に来てからいろいろと世話を焼いてくれたミサトに感謝していたのだろう。
 “シンジくん…私は…まだ、貴方にちゃんと謝っていない…。”
 ミサトの心はシンジに会いたい気持ちで一杯になった。
 「…まだ…まだ間に合う…間に合う筈!」
 ミサトは駆け出した。リツコはミサトを見送って呟いた。
 「素直じゃないんだから…。」

 シンジは既に新箱根湯本駅に到着していた。ただし、乗る電車の到着まで時間があったので諜報部の車内にいたが。
 と、そこに爆音を上げて三人乗りの750ccバイクが走り込んできた。
 「間に合った!」
 「死ぬかと思った…。」
 「ワシ、吐きそう…。」
 クミはほっと息をつき、ケンスケはよろめき、トウジはしゃがんでこみ上げてくる嘔吐感と戦っていた。
 「あの…ちょっといいですか?」
 三人に気付いたシンジは諜報部員に許可を取って車から降りた。
 「どうしてここへ?」
 「シンジくんに会いに葛城さんちに行ったら故郷に帰る事になったって聞いて、慌ててこの二人を連れてきたの。」
 クミが来た理由を説明した。
 「トウジ…ほら、喋れよ。」
 ケンスケに促されて、トウジは口を開いた。
 「あ、ああ…碇、二発もドツいて済まんかった。ワシの事もドツいてくれ。」
 「そんな、もう気にしてないのに。」
 人を殴るなんて、と戸惑うシンジ。
 「頼む!そうせな、ワシの気持ちが収まらんのや!」
 「こういう恥ずかしい奴なんだ。遠慮せずに殴ってやれよ。」
 トウジは真っ直ぐに自分の真摯な思いをぶつけ、ケンスケが愉快にフォローする。漫才のような迷コンビと言えよう。
 「うーむ、熱血バカってこういう奴の事を言うのね。」
 クミは腕撫して肯いていた。
 「…じゃあ、一発だけ…。」
 「よっしゃあ!来んかい!」
 トウジは気合を入れる。シンジは右手を握り殴ろうとした瞬間。
 「待ったぁ!」
 シンジは怪訝な表情になった。殴れと言って殴ろうとしたら待った、とは?
 「手加減無しやで。」
 トウジはシンジのモーションが小さいのを見抜いていたのだ。
 「わかった。」
 シンジはもう一度右手を握り、力一杯にトウジの頬にパンチを入れた。
 「あ痛たた。」
 ケンスケはトウジの声を代弁し、踏鞴を踏んだトウジは倒れずに踏みとどまった。
 シンジはやっとできた友達とすぐ別れなければならない事に顔を曇らせた。
 「そんな辛気臭い顔すんなや。」
 「碇が出て行ったら、いずれ僕達も出て行かなきゃならなくなると思う。」
 「でも、私はシンジくんの事をあーたらこーたら言ったりしない。シンジくんはエヴァンゲリオンに乗って辛い想いをしたんだから。」
 「もし、碇の事ガタガタ抜かす奴がおったら、ワシがパチキ噛ましちゃる!」
 トウジが力強く拳を握った。
 「ありがとう…君達に会えてよかった…。」
 「そろそろ時間だ。」
 諜報部員がシンジの肩に手を置いた。シンジは踵を返して階段を昇っていく。
 「じゃあな、碇!」
 「元気でな!」
 トウジとケンスケはシンジの後姿に声を掛けたが、クミは何故か声を掛けなかった。最後の最後までどうなるかわからないからだ。
 階段を昇った先で曲がり姿が見えなくなる直前、シンジはいきなり振り向いて己の閉ざしていた心を開いた。
 「殴られなきゃいけないのは僕だ…僕は卑怯で…臆病で…ずるくて…弱虫で…。」
 後は声にならず、シンジは諜報部員に引張られていった。
 「あまり世話を焼かすんじゃない。」
 その一声を聞いた瞬間、クミの両手が強く握られた。
 “あいつ等…彼がせっかく心を開いてくれたのに…。”
 クミは足を一歩踏み出そうとして、前にトウジとケンスケがいる事に改めて気付き、冷静さを取り戻した。
 “…まだ、私の出る幕じゃない。行動は、最後の最後まで事態を見極めて。”
 その頃、ミサトのアルピーヌは新箱根湯本駅に到着しようとしていた。

 「間も無く、2番線に厚木行き特別急行列車が参ります。ご乗車の方は白線まで下がってお待ち下さい。なお、この列車は政府専用特別列車です。一般の方はご乗車になれませんので注意下さい。」
 俯いて待つシンジの前にとうとう列車がやってきた。
 だが、扉が開いても、シンジは動こうとしなかった。
 「どうした?」
 「早く乗るんだ。」
 シンジがそこから逃げ出そうとした時、シンジを呼ぶ声があった。
 「シンジくん!!」
 「…ミサトさん…。」
 そこには、改札口から全速力で走って来た為に大きく息をしているミサトがいた。
 「貴方達、悪いけどもう帰って。後は私が…。」
 ミサトの指示に従って諜報部員達は帰っていった。
 「シンジくんに言い忘れていた事があったわ。」
 ミサトはポケットからペンペンと一緒に写っている写真をシンジに見せた。
 「ペンペンの事…まだ話してなかったでしょ。」
 「え?」
 「このコね、私が前に働いていたトコで実験に使われててね、用済みになって処分される寸前だったのを私が貰ったの。番犬の役ができる訳でもないのに、なぜ私がこのコを引き取ったかわかる?」
 「…可哀相だったから?」
 「それもあるけど…私はずっと一人で暮らしてた。だから、仕事が終わって夜遅く疲れて帰った時、出迎えてくれる誰かが…家族がいてくれればいいなって思ったのよ。」
 「…家族…。」
 「シンジくん…私は…同情や仕事の上だけで他人と一緒に住めるほど、物事を簡単に割り切れるような人間じゃないわ。ましてシンジくんの事、道具だなんて思ったりしていない。誤解しないで。」
 「…ミサトさん…僕は…戻りたくないです…こんな、中途半端な形で…。」

 「2番線、厚木行き政府専用特別列車、発車致します。」
 アナウンスが終わり、三人の見ている前で特急列車は発車した。
 「行ってしもうたな…。」
 トウジがポツリと呟く。
 「ト、トウジ、あれ…。」
 ケンスケの声にホームに目を移したトウジは驚いた。
 今の列車で去って行ったとばかり思っていたシンジが、ミサトの腕に抱かれていたのだ。
 「シンジくんはこの街に残る事になりました。目出度し目出度し。」
 クミが昔話のエピローグ風にオチをつけた。
 「シンジくん…帰りましょう、私達の家に。」
 「はい…。」
 二人が駅の外に出ると、トウジとケンスケがいた。
 「あ…えっと…その…。」
 見送りを受けておきながら結局去らなかった事が恥ずかしくて、シンジは俯いた。
 「何を恥ずかしがっとんのや。」
 「碇は俺達の街を守る為に帰ってきた、それでいいじゃないか。」
 「キミ達…ありがとう…。」
 シンジは二人の暖かさに触れて笑みを見せた。
 と、バイクのエンジンが吹き上がる音がして、一同はそちらを見た。
 「葛城さん、シンジくんに優しくしてあげて下さいね。」
 「そのバイクは!貴女は一体…。」
 ミサトは何度も目撃した謎の女性ライダーがクミだという事に気付いて驚いた。が、クミは何も答えず、バイクを発進させて去っていった。



超人機エヴァンゲリオン

第4話「雨、逃げ出した後」―――和解

完


あとがき