第一話

気になる一年生 前編

〜1〜
 始業式もつつがなく終了し(薔薇の館に戻ってみたらまたお姉さまがいたりもしたけど)、週明けの月曜日。午前中だけだった入学式、始業式、そして土曜日の三日間と違って、いよいよ今日からは本格的に学校がスタートする。
 そして新入生にとっては入学してから初めての昼休み……天気がいいこともあるのだろう、窓の外にはお弁当を広げている人たちの姿がたくさん見える。こうした光景を見るのはどれくらいぶりだろう? 秋口には寒くなってきたせいでだいぶ少なくなっていたし、かといって三月はお姉さまたち去年の三年生が自由登校になってしまっていたから……半年ぶりぐらいかな。おまけに新入生のおかげか、ずいぶんと賑やかな気がする。
 もっとも一年前は私もああいった新入生の中の一人だったわけだが……あれ? あのおかっぱ頭は乃梨子ちゃんではなかろうか? うん、そうだ。
 でも、どこへ行くのだろう? 右手に持っている包みはお弁当だろうから、他の人たちと同じようにどこか外でお弁当を食べようということなのだろうけれど、校舎の裏手の方に向かっていた。あちらは校舎の陰だというのに、なんでわざわざそんな方へ?
 どうにも気になって、私も昇降口の方に回って外へ出て校舎裏に向かった。
 こちら側は陰になっているから当たり前ではあるのだけど、少しひんやりしているせいで真夏ならともかく、今の時期は人気がない。そんな場所で一人乃梨子ちゃんは、江利子さまでもここまでの時は……というほど気怠そうな表情を浮かべ、こちらまで聞こえてきそうな感じのため息をつきながらお弁当を広げた。
 なるほど。こんな表情のまま教室にいたり、外は外でも賑わっているところにいたらそれこそ心配されてしまうに違いない。そしてそれは乃梨子ちゃんの望むところではないのだろう。
 でも、そう思っても……見かけてしまった以上は声をかけずにいられなかった。
「乃梨子ちゃん」
「え?」
 名前を呼ばれたのに驚いた表情を見せる乃梨子ちゃん。
「あ……福沢祐巳さんでよかったでしたっけ?」
「うん、名前まで覚えててくれたんだ。ありがとう」
「そんな、お礼を言われるようなことではないです」
「ごめん。横、いい?」
「あ、はい」
 乃梨子ちゃんの横に腰を下ろす。私がなんで声をかけてきたのか、頭の回転がはやい乃梨子ちゃんにはすぐ分かったのだろう。前を見たまま口を開いた。
「……前も、私ため息ついてましたよね」
「そうだったね」
 リリアンの受験の前日、下見に来た乃梨子ちゃんが木陰でため息をついているのを見かけて声をかけたのだ。
「私のこと覚えてくれていたんだったら、どうしてリリアンに来ることになったのか、気になってますよね?」
「本命の公立高校の方で何かあったんだよね?」
「はい……」
 それから乃梨子ちゃんが話してくれた理由はびっくりするようなものだった。
 ちょうど試験の前日、二十年に一度ご開帳される観音像を見に京都まで行ったはいいが、大雪のせいで帰ってこれなくなり本命の公立校の試験が受けられなかったために落ちてしまい、リリアンに通うしか道がなくなってしまったのだという。
 仏像愛好家だという話は聞いていたが……受験の前日に京都まで行くだなんて強者というしかない気がする。仏像愛好家としても、受験生としても。
「まあ、玉虫観音をみれたのは後悔していないんですけどね」
「そうなんだ」
 ほんとうはもっとかけるべきことばや返すべきことばがあったかもしれない。でも、あまりの理由にあっけにとられていたせいで、そう相づちを打つことしかできなかった。
「でも……」
「リリアンはやっぱり場違いな感じがする?」
「はい、以前祐巳さんに教えてもらったことはわかっているつもりなんですけれど、それでもやっぱりもう何もかもが。クラスメイトの子たちも親切心からだとは思うのですけど、あんまりにも……」
「そっか……」
 わかっていても、そう感じてしまうというのはなかなか難しい。幼稚舎からずっとリリアンに通っている私にはわからないものだが、世間一般の学校とはずいぶん勝手が違うのだろう。実際外部入学で入っている新入生は少なくないわけだが、乃梨子ちゃんのような気持ちで入学してくるわけではなく、むしろ望んで入ってくるのだから大違いだろう。
 乃梨子ちゃんのような理由でなくても、本命校に落ちてしまってリリアンに通うことになった人がいてその人から話が聞ければ一番なのだろうが、残念ながら私にそんな知り合いはいない。
「……でも、リリアンに入ってしまった以上、開き直っちゃうしかないよね?」
「……はい」
 わかってはいるんですけれど、なかなかそうできなくて……そんな気持ちがこもっているような返事だった。
 乃梨子ちゃんのために私にできることは、何かないだろうか? ……ああ、そうだ。
「いろいろとリリアンの習慣で聞きたくなることはあると思うし。私でよければだけど、いつでも相談に乗るよ。もちろん乃梨子ちゃんの事情も分かっているから、押しつけがましくないように努力するし。気楽な話し相手として、どうかな?」
「そんな、悪いです」
「いいから、いいから遠慮しない……って、早速迷惑かけている、ひょっとして!?」
 しまった。クラスの子たちのそういう部分もかえって苦手に思ってしまってここに来たと分かっていたはずなのに私ときたらなんということを……反省。
「ふふっ」
「えっ?」
 頭を抱えて落ち込んでいたらすぐそばで笑い声が聞こえたので思わず顔を上げる。
 すると、そこには本当に楽しそうに笑っている乃梨子ちゃんの姿があった。
 私はそのすてきな笑顔に目が釘付けになってしまう。もとから私なんかと違って十分かわいい子だとは思ったけれど、こんなにいい顔を見たのは初めてだったから。
「ふふふ、ごめんなさい。福沢先輩の気持ち、十分伝わってきました。ありがとうございます」
 福沢先輩。その新鮮な響きのおかげで?我に返った。
「どうかしました?」
「ああ、ええっとね。リリアンでは名前で呼び合うのが習慣になっているから、初めてそう呼ばれたなって」
「あ、そういえばクラスメイトの子たちも名前で呼び合っていました。あれってお互いが知り合いで仲がよいからって訳じゃなかったんですね。……では、祐巳先輩?」
「さんでいいよ」
 リリアンでは上級生に対しては『さま』を付けるものだが、ただでさえなじめないなんて言っている乃梨子ちゃんにリリアンの習慣をそこまで押しつけてはいけないだろう。それに、なによりせっかく笑ってくれた乃梨子ちゃんの笑顔に水を差すようなまねができるわけないじゃないか。
「わかりました。祐巳さん、これからもよろしくお願いします」
 そう言ってぺこりと頭を下げる乃梨子ちゃん。
「ううん、こちらこそ。少しでも役に立てればそれだけでうれしいよ」
 これが、乃梨子ちゃんとの二ヶ月ぶりの再会だった。


〜2〜
 掃除を済ませて薔薇の館に行くと、すでにみんなそろって……え?
 祥子さま、令さま、由乃さん、志摩子さんのいつものメンバー以外にもう一人、あのくるくる縦ロールがいて、しかも祥子さまの隣でお茶を飲んでいたのだ。
「ごきげんよう、祐巳ちゃん」
「あ、はいごきげんよう」
 令さまの声に返事をするけれど、私の目は縦ロールに向いたままだった。
「ごきげんよう、お久しぶりです」
 笑顔で挨拶をしてきた縦ロールに、こちらも社交辞令として「ごきげんよう」となるべく笑顔を作って返した。
「瞳子ちゃん、祐巳ちゃんと知り合いだったの?」
「ええ、祥子お姉さま。一度町で偶然お会いしただけですけれど」
 祥子『お姉さま』だと? リリアンにおいて祥子さま個人をさしてお姉さまと呼べるのは、妹である志摩子さんだけのはずなのに、どうしてこれが祥子さまのことをそんな風に呼んでいるのか。それに、祥子さまも「そうなの」なんて言うだけで、『お姉さま』については何も言わない。祥子さまはそういったところは厳しそうなのに……姉妹愛で克服しつつあるとはいえ、桜のせいでぼんやりとしているせいとか?
「あら? 祐巳さま、どうかしまして?」
 私の何か言いたげな目に気づいたようだ。……どうだろう? いっそのこと言ってしまえばいいのではないだろうか? 乃梨子ちゃんとは違ってこっちは中等部にいたことがわかっている。よし、白薔薇さまとして初めての指導だ。
 そうちょっと意気込んで指摘したのだが……「あら、すみません。ついつい普段の呼び方が出てしまいまして」なんて答えが返ってきてしまった。普段ってなんだ普段って?
「祐巳ちゃんの言う通りよ。さっきも言ったけれど、瞳子ちゃん。公私は区別しないと。せめて学園内だけでも『祥子さま』もしくは『紅薔薇さま』とお呼びなさい」
「はーい、祥子お姉……祥子さま」
 祥子さままで公私? つまりこいつは『私』の側だと?
「ああ、そういえば私が祥子さまの親戚であるとは言っていませんでしたね」
「え? 親戚?」
「ええ」
 これが、祥子さまの親戚……祥子さまの親戚と言えば、柏木さんのことを思い出す。お姉さまとはかなり仲が悪いけれど、文武両道な上にルックスもよしとまさに祥子さまの親戚と言われても納得だったが……
「……なんです? まさか、私は祥子お姉さまの親戚としてはふさわしくないとでも?」
 考えていたことをほぼずばり指摘されてしまったが、認めるわけにはいかず「べつにそんなこと思ってたわけじゃないよ」と否定した。しかし、私に向けられる視線がさっきまでの社交辞令的なものからどこか値踏みをするような視線に変わった。
 そしてため息を一つ。
「まったく、さっきから……どうしてこんな方が白薔薇さまになってしまったのやら。私は静さまの方がふさわしいと思っていましたけれど、やはりつぼみというのは大きかったのですね」
「ちょっと待ちなさいよ。あんた言うに事欠いてっ!」
「あら? 山百合会は世襲でもなんでもないのでしょう? 私がそのとき投票権があったらという話をすることにどこか問題が? まさか、当時静さまに入れた人間はゆるされないとでもおっしゃるのですか?」
「話をすり替えるんじゃないわよ! あんたが言っているこ……」
「由乃っ!」
「瞳子ちゃんっ!」
 思わずカーッとなって口を開こうとする私の前に割り込んだのは由乃さんだった。すると冷ややかな視線で由乃さんを見ながら反論する彼女。
 さすがに見かねた令さまと祥子さまが仲裁に入るのだけど、依然として止まる様子はない。
「祐巳さん、大丈夫?」
「ありがとう、志摩子さん」
 心配そうに声をかけてくれた志摩子さんにお礼を言う。
 うん、大丈夫。由乃さんには申し訳ないけれど、私より先に口を出してくれたおかげでかえって冷静になれた。
 そうなのだ。そもそも、これだけの人が集まっている場所で彼女が「祥子お姉さま」と言えば、誰かが既に指摘しているはずなのに、それを勇んで、しかも薔薇さまとして指導しようとしたなんて滑稽もいいところだ。それに気づかなかったあたり、最初から頭に血が上っていたとしか言いようがない。
 そう考えれば、言い方はちょっときつかったけれど、彼女の言うことももっともなのだ。これでは一票差とはいえ私に投票してくれた人たち、さらには静さまに投票された人たちにも申し訳が立たない。
 ……やっぱりまだまだだな。そうは思うが、まずはこの場を納めないと。
「二人とも止めて!」
「でも、祐巳さん!!」
「なんですか、反論でもされますか?」
 なんで!? という表情を浮かべる由乃さんと、私をにらみつけてくる彼女に首を横に振る。
「瞳子ちゃん、あなたの言うとおりかもしれない。……でも、選ばれた以上は頑張っていくしかない。頼りないかもしれないけれど、見守って……は欲張りすぎか、まあ見ていてくれるとうれしいわ」
 すると瞳子……ちゃんは目を丸くした。さすがにこの反応は予想外だったみたい。
 それにしても、乃梨子ちゃんの方はちゃん付けを自然にできていたのに、彼女に対しては内心で抵抗を感じるあたり、ほんと精進が足りないな。
「……いえ、こちらこそ。白薔薇さま、口が過ぎて申し訳ありませんでした」
 その言葉に今度はこっちが驚いた。まさか彼女が謝ってくれるとは思わなかったから。
「祐巳さん……」
「由乃さんもありがとう。そして皆さん、私のせいでお騒がせして申し訳ありませんでした」
 そして、まだまだ言い足りない、祐巳さんは本当にそれでいいの? と目で問いかける由乃さんにお礼を言って、その上でみんなに深々と頭を下げた。
「あ、そうだ! 私、今日はすごくいいお茶っ葉を持ってきたんだよ。さっき来たばかりで出し忘れてたわ。あと、先週聖さまが持ってきてくださったお菓子もまだあったよね? 由乃、お願いできる?」
 空気を変えようとする明るい令さまの声に、由乃さんも仕方ないという感じはありながらも従ってくれる。
「……はい、お姉さま」
「あ、では私も」
 手伝おうとする志摩子さんに手を振って立ち上がる。今日は迷惑かけたし、お茶ぐらい入れさせてもらわないと。
「……祐巳さん、あとで詳しく教えてよね」
「うん」
 私にそっとささやく由乃さんにうなずく。みんなにしても、この場は納めてくれたけど、気にはなっているだろうし後で説明した方が良いだろう。
 お、そろそろいいかな。うん、私でも分かるくらい、いい香りが湯飲みから漂う。
「はい、お待たせしました」
 その後は、令さま持参のお茶が本当に美味しいかったこともあってか、さっきまでのことが嘘みたいに和やかな雰囲気で話が盛り上がった。瞳子ちゃんも私だからって表情を変えることなく、笑顔を振る舞ってくれているし。
 その話の中で瞳子ちゃんが初等部の高学年からずっと演劇部、それも主役級を演じることが多かったというのが出てすごく納得すると同時に、やっぱり私に対しては実際の所微妙なんだろうなと思った。もっとも、それは私もだからお互い様か。
「それにしてもこの館、すごく居心地いいですねー。瞳子気に入っちゃった。祥子さま、また遊びに来てもいいですか?」
「いいわよ、歓迎するわ。良かったら友達も誘っていらっしゃい」
 どうやら瞳子ちゃんはまた来るつもりのようだ。なかなかいい根性をしていると思う。
 とはいえ、一般生徒でにぎわう薔薇の館というのは蓉子さまが夢見ていた姿で、それは祥子さまはもちろん、私も含めた皆が願っていることだと思う。
 そういう意味では、こういうちょっと図太い子がその先鞭をつけることにつながってくれるかもしれないわけで、案外悪くないのかもしれない。
 でも、そうなるなら瞳子ちゃんに対する苦手意識のようなものはさっさと克服できないといけないよなあ……
 やることもやりたいことも、そしてやらねばならないことまでいっぱいになってくれてうれしいのやら悲しいのやら。そんな複雑な気分で帰途につくのであった。


 さて、今日も登校したわけだが……なぜか違和感がある。
(なんだろ?)
 首をひねるがよくわからない。何にしっくり来ていないのだろう?
「白薔薇さまごきげんよう」
「あ……ごきげんよう」
 三人ほどの一年生がことばをそろえて挨拶をしてくれた。まだ『白薔薇さま』という呼ばれ方に全然なれていないから返事を返せるのが遅くなってしまった。
 つい少し前まではお姉さまが『白薔薇さま』だったのに……ここでも新年度になったというのを実感するところだ。
「白薔薇さま、何かご用でしょうか?」
 そう聞かれて、なぜそんな風に聞かれているのだろうと考えてとんでもないことに気づいた。私の目の前にあるのは一年桃組の教室だったのだ。
 昨日、今年になって初めて同じクラスになった由乃さんから「私の姿を教室で見るたびに少し驚くのはどうにかならないの?」と苦言を呈されたばかりだったのに、それ以上のボケをかましてしまった。
 一年生の子たちには何でもないからとごまかして二年松組に向かう。
 ああ、恥ずかしい……穴があったら入りたい。できる限り平静を装っているが絶対に鏡で見たら今の私の顔は赤いだろうなぁ……
「あ、乃梨子ちゃん」
「あ……ごきげんよう」
 途中ちょうど登校してきた乃梨子ちゃんとばったり出会ったのだ。
「ごきげんよう」
 そうだ、せっかく会えたのだし、この前言っていたことを誘ってみよう。相談相手や話し相手になるとは言ったが、乃梨子ちゃんの方から私の教室に来るだなんてことあり得ないし、これはいいチャンス。災い転じて福となす……とは全然違うが、よかったと考えようじゃないか。
 他の人に聞こえないように小声で「よかったらお昼休み、お弁当いっしょにどうかな?」と言うと、乃梨子ちゃんも「ありがとうございます」と小声で答えてくれた。


「あー……ではここまで。ページ下の練習問題は宿題とするので解いておくように。あと、出席番号三十二、三、十三、二十三番は次回授業の始まる前に練習問題一から四を黒板にそれぞれ回答しておくこと。以上」
 ふう、ようやく終わった。私たち共々、学年を繰り上がってきた下関先生の数学は厳しくは無いけれど、授業中も宿題も出席番号順に当たっていくから注意が必要なのだ。
 さて、乃梨子ちゃんを待たせてもいけないし、さっさとお弁当もって行くとしますか。
 と、そのとき。
「白薔薇さま、今日も薔薇の館でお弁当ですか?」
「え、ええ」
「そうですか。新年度始まったばかりでお忙しいでしょうが、頑張ってくださいね」
「白薔薇さま、頑張って!」
「ありがとう、みなさま。では……」
 二重の意味でドキッとした。一つはもちろん今日のお昼は薔薇の館ではない。由乃さんが年三回に減ったという久々の定期検診でお休みなのでいいものの、そうでなかったら口裏を合わせてもらわないと厄介なことになったかも。
 で、もうひとつなのだけど、この方々は去年も同じクラス……つまり一年桃組だった人たち。実は去年桃組で今年も同じ組になった人のほとんどが私のことを白薔薇さまと呼ぶのだ。
 蔦子さん曰く「苦しい選挙戦(事実だけど)を勝ち抜いた結果、私たちが祐巳さんを白薔薇さまにしたんだ! って思いが炸裂しているんじゃない?」とのことだけど……
 みんなにはお世話になったから何も言えないけど、何だかなぁ……
 ま、今はそんなことを言っている場合ではない。このままでは待たせちゃうし、急がなきゃ。
 校舎裏に着くと、ちょうど乃梨子ちゃんがシートを敷いていた。
「ごめん、ちょっと遅れちゃったかな? あれ、乃梨子ちゃん、用意いいんだね」
「あ、祐巳さん。私も見てのとおり来たばかりだから。さ、どうぞ」
「ありがとう」
 乃梨子ちゃんの横に腰を下ろす。で、二人ともお弁当を広げながら、乃梨子ちゃんがどんな感じなのか聞いてみることにした。
 ……
 ……
「……逆・隠れキリシタンか」
「実態はそうじゃないってわかっていても、やっぱりそう思えてしまうんです」
 なかなか、悩ましいことだ。そんな自虐的な考えはやめなさいって言っても同じことだろう。だとしたら極端な例を出すしかないな。……ということでお姉さまごめんなさい。
「前にも言ったけど、それこそ江戸時代にたとえるなら、御三家の当主に当たるような生徒会長の一人である白薔薇さまだった私のお姉さま……って、お姉さまってのがどういうものか、前話したような気がするけど、覚えてる?」
「えっと、なんとなく。特に仲の良い先輩後輩関係でしたよね? なんかクラスでも誰それの妹になりたいとか話していた子がいたようないないような……」
 首をかしげながらつぶやく乃梨子ちゃん。
「そうそう、そんな感じ。やっぱりさすがだね、乃梨子ちゃん。私なら忘れちゃっていただろうなぁ」
「そんなこと。あの時に祐巳さんがすごく楽しそうに話してくれたから」
「嬉しいこと言ってくれるね、ありがとう。でね、私のお姉さまはさっきも言ったとおり生徒会長の一人だったんだけど、それはもう本当にひどいものだったよ。確かによそ行きの振る舞いは私なんかと違って洗練されていて流石って感じなんだけど、実態は全然違って……」
 ものすごくいい加減なところとか、セクハラオヤジ的なところとか、お嬢様のイメージとはかけ離れた例を次々に挙げていく。
「ほんと、うちのお母さんなんかリリアンのOGのせいなのか、お姉さまの大ファンでね、実態を知っちゃったら卒倒しちゃうかもしれないって思うから、知られないようにいろいろと配慮しないといけないし……」
「ふふふ。そうは言っても祐巳さん、そのお姉さまのこと好きなんですね?」
「ああ……うん。まあね、そんな人だけど、やっぱり私には大切な人だし」
「……祐巳さんのお姉さまほどじゃないけど、今私がお世話になってる大叔母の薫子さんなんかは……」
 大叔母の薫子さんのことを話してくれた。年の割にとっても元気なおばあちゃんのいろいろな話を聞いて薫子さんもなかなか楽しそうな人だと思った。
「確か、その薫子さんって、乃梨子ちゃんにリリアンを受けさせた人だよね?」
「ええ、今考えると浪人しなくてよくなったわけだし本当に感謝しないといけませんね」
「ひょっとしてリリアン出身じゃない? 菫子さんって」
「あ、そういえばそうですね」
「やっぱりそうか。それなら、たぶん菫子さんも決して悪い意味じゃなくて、現役のリリアン生の頃からそういうお元気なところがあったんじゃないかな? もちろん私なんかよりずっとお嬢様らしい部分も併せ持っていらしたのだろうけど。……ごめん、言いたいことがうまく伝えられた自信が無いのだけど、まあ、リリアンって全部が全部お嬢様然としている訳じゃ無いっていうか、結構楽しいところだから乃梨子ちゃんにもぜひって思われたんじゃないかな?」
「確かに……そうなのかもしれませんね」
 なかなかよい言葉が思いつかないってのはもどかしくある。けど、そんな私の話に乃梨子ちゃんは笑ってくれたり、うなずいてくれた。
 まあ、今日の所はこれでよかったかな。一朝一夕とは行かないだろうけど、少しでもなじんで……いや、そこまで行かなくてもせめて肩肘張らずに過ごせるようになってくれたらいいと思う。
 そして最後にまた一緒にお弁当を食べる約束をして別れた。


「……ね、ひどいでしょ、その聖って奴」
「……ひどいのは聖さまかと。ねぇ、志摩子」
「はい、お姉さま。聖さま、あんまりではないかと」
「うわっ。志摩子までそんなこというの!」
 その日の放課後、いつものように薔薇の館に行くと二階から話し声が聞こえてきた。声の主はお姉さまと祥子さま、志摩子さんだ。
 やっぱりお姉さまが来てくれるとうれしい……のはともかく、内容が気になる。お姉さまがお姉さまをひどいと言って、さらに祥子さまがお姉さまをひどい? おまけに志摩子さんまで同意している? 訳がわからない。そう思いつつ扉を開いた。
「ごきげんよう」
「あ、祐巳! 聞いてよ、祥子たちったら私がおかしいって言うんだよ!」
 あいさつも言わずにいきなりそう来ましたか。祥子さまと志摩子さんの方を伺ってもあきれているとかそんな感じ?
 まあ、まずは聞いてみないと。
「で、お姉さま。いったいどうしたんですか」
「いいんだ、いいんだ。私には祐巳がいるから。祐巳なら分かってくれるよね?」
「話の内容にもよりますけどね」
「実はさ……」
 で、聞いてみたわけだけど……
「いや、それ誰がどう聞いても一万パーセントお姉さまが悪いですから」
「ひどっ! 祐巳までそんなこと言うんだ!! あんまりよ!」
 あ、うつむいて嘘泣きまで始めているよ。
 でもまったくもってフォローのしようもないだから仕方がない。カトウさんと間違えて返事をしたあげく、相手が睨み付けてきたとか言っているのだ。
 そりゃ睨んだのではなくて、あきれてものが言えない状態だったに違いない。
 お姉さまはちゃんと聞いていたというが、それが事実ならカ行でいきなりサ行に飛ぶことのおかしさに気づくだろうに。木下さんとか、黒田さんとか、剣持さんとか、小島さんとかまったくいなかったとでも言うのか。
 そのカトウケイさまにはご愁傷様としか言いようがない。姉に変わって私が謝っておこう。ごめんなさい、ごめんなさい。
「はいはい、もうわかりましたから。……で、お姉さま。今日はいったいどうしたんですか」
 話を強引に巻き戻すことにする。
 するとお姉さま、さすがに今回は嘘泣きが通じるとは思っていなかったのだろう。けろりとした顔で起き上がる。それどころか「ふふふ」なんて不敵な笑みまで浮かべ始めたし、何だろう。
「じゃーん!」
 お姉さまは白色の小さい箱にカラフルな液晶の画面といくつかのボタンがついたもの……携帯電話を得意げに掲げた。
「あ、携帯電話ですね」
「そう、しかも最新型。もちのろんでワンセグもみれるし、インターネットのアクセスも高速だし、カメラも高解像度、そして」
 お姉さまの携帯から曲が流れる。
「音もいいと、いいでしょー」
 私は携帯電話は持っていないから、それがどのくらいすごいことなのかよくわからないが、お姉さまの得意げな様子から結構なものなのだろう。
「なるほど。なにかそわそわしている様子でしたが、祐巳ちゃんに早く見せたかったのですね」
「まね、祥子たちに見せてもよかったけど、やっぱりここはせっかくだしまずは祐巳にってね」
 まずは私にってのはちょっとうれしい。
「ありがとうございます」
「で、私の番号はこれだから、何かあったら電話してきてよ」
 携帯電話に表示された番号を早速手帳にメモする。
「ご承知とは思いますが、高等部では携帯電話は禁止ですから、こちらの敷地内ではなるべく使わないようにしてくださいね」
「私が原因で校則違反が流行っても困るしね。そのあたりはいくら私でも心得てるから安心してちょうだい。……ま、それはともかく。携帯見せびらかしも済んだし、何かすることある? 令が部活で今日は由乃ちゃんもお休みなんでしょ? おいしいお茶のお礼に雑用くらいは手伝うけど?」
 え。それって……
 確かに人手不足なのだ。部活動をしている生徒にとってこの時期は各々の大会直前をのぞけば一番忙しいと言って過言ではない。部の命運を分ける……はおおげさかもしれないが、大切な新入生勧誘シーズンだからである。
 そしてそれは令さまも例外ではなく。
 もっとも、さすがに現役黄薔薇さまに露骨な勧誘行為をさせられないというのもあってか、部長さんや他の上級生の人たちがその手のことや事務作業をしている分、指導者としての立場で貢献しているらしいけど。
 とにかく。そんな状況の上、今日みたいに誰かが用事で抜けてしまうとあっという間に三人になってしまう……にもかかわらず、部活動からの申請用紙とか、頭数がそろって活動開始した各委員会からの報告だの、書類は増える一方という。
 そこでこのお姉さまの発言である。正直のどから手が出るほどありがたい言葉ではあるのだけど、どうしたものか?
 同じことを考えていたんだろう祥子さまと顔を見合わせる。
 ……うーん。
「ま、そんなに堅く考えなくてもいいよ。本当に雑用しかしないから。それに、そこまでは来るもの拒まずな薔薇の館では歓迎すべきことでしょ?」
 なるほど。確かにこれがお姉さまではなく、蔦子さんや桂さん、あるいは一年生の子で「ぜひ手伝わせてください!」と来たら喜んで歓迎した気がする。
「だいいち、仮に私が妹かわいさの余り、それ以上のことをやろうとしても許されると思う? ねぇ、紅薔薇さま?」
 そう話をふられた祥子さまはしばらくお姉さまをじっと見た後、ふっと笑った。
「それではお言葉に甘えさせていただきます、お手伝いさん」
「そうそう、そうこなくっちゃ。で、お手伝いの佐藤さんは何をやればいいかね?」
「あ、じゃあ、こちらの書類の整理とチェックをお願いします」
「はいよ、了解〜」
 こうしてお姉さまが手伝ってくれることになった。
 量が量故に今日だけで終わってしまうって事はないけれど、それでも三人でやる羽目になっていたことを考えれば、信じられないくらいさくさくと片付いていってびっくり。
 私を手伝ってくださるお姉さまの姿はまさに「できる妹」って感じで、それは去年私がお姉さまに対してほとんどできなかったことだからちょっと寂しくもなったけれど、今はそんなことを考えている場合じゃない。お姉さまの好意に応えるべく、がんばろう!


〜3〜
「祐巳さん、ちょっといい?」
「あ、真美さん。……どうしたの?」
 朝のお祈りを終えて教室へ……と思っていたときに茂みからにょきっと現れたのは真美さん。実態としては黄薔薇の例の騒動後からだけど、今月からは晴れて正式な新聞部部長である。
 で、その真美さんが先代部長の三奈子さまを彷彿とさせる登場の仕方をしたわけで、もう警戒度最高レベルにせざるを得ない。
「そこまで警戒しなくても」
 と言いつつも、されても仕方ないとは思っているのか苦笑いしながら、私に紙を差し出す。
「これは……」
「ええ、リリアンかわら版の最終候補版ってとこ。祐巳さんのゴーサインが出ればお昼にでも発行したいのだけど。本当は昨日のうちに……と思ったのだけど、できあがるのがずいぶん遅くなっちゃって」
 本当にぎりぎりで申し訳ないけれどお願い、と真美さんは頭を下げた。
 ふむ。私に持ってきたということは、前回の騒動の後に作られた部内規則、つまり今回の場合、私が関係していて問題になりかねない記事と言うことか……
 何だかなあとは思いつつも、そのまま発行されるよりはずっといいので二人で校舎に向かいながら目を通してみることにする。
 まず目に飛び込んできたのが、私とお姉さまの写真。で、横に大きく書いてある記事名が姉妹体験特集だった。なるほど、そういうことか。
 中身を見ていくと、姉妹体験とは何かの説明の後に、大成功例として姉妹体験から正式な姉妹になった私たちの様子が丁寧にまとめてあり、読んでいるだけで姉妹体験を試したくなるであろう魅力的なものだった。
「うーん」
 また、よくよく注意したのか、「――ではないか」「――のように思われる」といった、これまたある意味恒例な表現もほとんど使われていない。
 そうなると、個人的にはこんなに大々的に取り上げられてかなり恥ずかしいのだけど、山百合会幹部というものはある程度こういう特集を組まれる宿命にあるわけで。
 まあいいかな?
「うん、問題ないと思う。でも……」
「でも?」
「一応山百合会のメンバーが特集されている訳だから、祥子さま、令さまにも話を伺うってことで、できれば放課後まで待ってもらいたいのだけど」
「え、それはちょっと……。極力記事も気をつけて編集したつもりだし。祐巳さん、何とかならない?」
 そういうと真美さんは手を合わせて頭を下げる。確かに記事は良くできているしいいとは思うのだけど、どうしたものか。
「真美さんには急ぐ理由があったのでした」
 パシャ。
 まぶしいフラッシュに目を細める。蔦子さん、あなたも茂みからか。それはともかく、今は蔦子さんの言葉が気になる。
「理由って?」
 その問いに答えないまま、蔦子さんは真美さんに話しかけた。
「真美さん、隠していたって無駄よ。いくら祐巳さんでもじきに気づくから」
「……」
 いくら祐巳さんでもってのはないだろう、蔦子さん。まあ本当かもしれないけど。
 私の気持ちはおいておくとして、真美さんは言葉に詰まったとばかりに頭をのけぞらせた後、ため息をついた。
「正解はすでに姉妹体験を始めている子たちがいるんだな。これが」
 今度は蔦子さん。くるりと私の方を向いたかと思うと驚きの発言。
「嘘じゃないよ。早速記念撮影をお願いされてね。この中にそのシーンがしっかり収まっているし」
 私が口をぱくぱくさせている間に、カメラを軽くこつんと叩いて解説を続ける。
「去年の祐巳さんたちを見ていた人たちの中で、早速姉妹体験を思いついた子がいたってことだね。で、先代から引き継いで『話題は生もの時間が勝負』な真美さんは何が何でも今日中の発行にこだわらざるを得なくなったと」
「はいはい、降参、降参。蔦子さん、あなた本当に新聞部にも入らない? もちろん写真の腕も含めて大歓迎なんだけど」
 そう言って腕を上げつつも、なかば本気で勧誘する真美さんに肩をすくめて「冗談」とおっしゃる蔦子さん。
「で、祐巳さん。事情は蔦子さんが言ったとおり。何とかお願いできない?」
「うーん、そう言われてもなあ……」
 事情は分かった。しかしこうして相談を受けてしまった以上、祥子さまたちにお話ししないのもどうかと思うし。
 もうひとつの解決法としては記事自体に問題はないし、真美さんがそもそも部内規定に引っかからないものと判断して私に見せることなく発行した、という形があるとは思う。
 でも、正直なところそこまで新聞部に譲歩する必要性が乏しいというか。由乃さんが聞いたら絶対反対する手だろう。
「真美さん、切り札を出し惜しみしている場合じゃないんじゃない?」
「蔦子さん、あなたどこまで……本当に惜しいわ。はあ、とっておきだったのになぁ……仕方ないか。祐巳さん、お耳を拝借」
 そういうと真美さんは私の耳元でささやいた。
「新入生代表の二条乃梨子さんとの昼食について、新聞部は当面手を出さない。これでどう?」
「……私は真美さんから何も見せてもらってないし、聞いていない。それでいいなら」
「ええ、それでいいわ。ありがとう、祐巳さん。では早速手配するのでお先に失礼」
 そういうと真美さんは教室ではなく、部室の方へスカートのプリーツを乱しまくって走り去った。シスターに見つかったら……いや、あそこまで堂々とやられるとあきれて口も出せないかも。
「はあ」
 ため息一つ。しかし、本当にうかつだった。まさかもう掴まれていたなんて。これが新聞部部長が同じクラスにいる、ということなのだろうか。
 私の表情から何を考えているのか分かったのだろう蔦子さんが頷いた。
「うん。祐巳さん、隙が多いよ。昨日のお昼、薔薇の館? ってあの子たちに聞かれた時、一瞬戸惑ったでしょ? ばっちり真美さんに見られてた」
 なんてこったい。
「ま、新聞部は一つ特ダネに目をつぶり、祐巳さんはこの話を聞かなかったことにする。その辺で手打ちにできただけよしとすべきじゃない?」
「ええ。蔦子さん、本当に助かった。ありがとう」
 うん。今改めて気づいたけど、今回の新聞を半ば強引に承認させられて、その上であのネタを武器にさらなる交渉を……という最悪のパターンも十分にあり得たわけで。それを蔦子さんが助けてくれたのだ。
 本当にありがとう、ともう一度頭を下げる。
「ま、まあ、お代はいつもたくさんもらっているからね。乃梨子ちゃんだっけ? 彼女との写真もばっちり撮らせてもらったから、現像したらよろしく」
「くすっ。さすがだよ、蔦子さん。あー、蔦子さんにも山百合会幹部になって欲しいなぁ。ほら、最近何々対策担当大臣みたいな人いるじゃない。それと同じで蔦子さんにも新聞部対策特別顧問、それが露骨すぎるなら山百合会報道官とか。特典としては薔薇の館に正々堂々自由に出入りできるようになって写真も取り放題!」
 ……あれ? 冗談のつもりだったけど、案外いいアイデアな気がしてきた。写真はもとからたくさん撮られているから大して変わらないといえば変わらないし。
「祐巳さん、それ本気で紅薔薇さまや黄薔薇さまに提案しちゃだめだよ」
 ため息一つつきながら、薔薇さまになってもそのボケは健在で嬉しいような嬉しくないような、だって。もう。
「ごきげんよう、白薔薇さま」
「ごきげんよう」
 さて、今日も一日頑張りますか。


 放課後、薔薇の館でみんながそろう前のお茶を飲みながら軽い雑談をしている時に、真美さんの思惑通りお昼過ぎには発行されたリリアンかわら版の話題になった。
「姉妹を体験ねぇ……」
 祥子さまの口調には好意的にはまったく思っていないという想いが現れていた。直接「不謹慎だわ!」と言わないのは私に配慮してくれているのかな?
 それきり黙ってしまった祥子さまに代わって令さまが聞いてくる。
「祐巳ちゃんはどう思うの?」
 私は、か。朝、新聞を見せてもらった時もちらっと考えないではなかったけれど……
「正直、複雑な部分も無いわけではないです。でも、私はあんな機会がなかったら皆さんと一緒に今ここにいることは無かったと思うんです。だから、たとえ何がきっかけであれ、今までにない関係を築くことができるのなら決して悪くないと思いたいです」
 最後は意見というより私の願望みたいになってしまったものの、令さまは気持ちは分かると何度も頷いてくれた。
「祐巳ちゃんの場合ほんとうによかったよね。だから私も姉妹体験自体を否定はしないけど、新聞に掲載されたから、ブームになったから、そういう理由で自分もというのは、結果としてよい方向に転がったとしてもどうかと思うなあ。実際この記事が出た以上、自分が思いついたかのように姉妹体験を始める子たちが出るだろうし……」
 そこからは言葉を濁したけれど、私たちの時のように、と言おうとしたのだと思う。蔦子さんも言っていたなあ。黄薔薇革命の記事を読んで、さも昔から考えていたかのようにお姉さまを呼び出す子だらけって。
 やっぱり令さまも今の状況は好意的には受け取っていないようだ。仕方ないけど。
「そうかあ? 令ちゃん考え過ぎじゃない? 私たちと違って姉妹になる方ならいいことじゃない」
 もちろん、この発言は由乃さん。令さまが口に出せなかった部分もはっきり出すのは、ロザリオを突っ返された側と突っ返した側の違いというかなんというか。
「ほんとの姉妹と違って気軽にくっついたり別れたりできるわけだから、上級生は上級生で憶すことなく申し込めるし、下級生もちょっと受け入れてみるかの感覚でいられるから悩まずにすむし、楽しそうじゃない」
「楽しそうって由乃、そんな言い方は……」
「だって実際おもしろそうじゃない。令ちゃん、何が言いたい……あ」
 由乃さんが急に苦虫を噛み潰したような顔になっていった。
 令さまもその理由を分かっているみたいだけど、口には出さない。いったいどうしたというのか?
「由乃さん、どうしたの?」
「何でもないから気にしないで、ちょっといやなことを連想しちゃっただけだから」
 それきり由乃さんも黙り込んでしまったので、この話はこれでおしまいかな? と思ったタイミングで志摩子さんが入ってきた。
「みなさまごきげんよう」
「ごきげんよう。せっかくだし志摩子にも聞いてみようか、姉妹体験特集号は見た?」
「ええ」
「その話をしてたんだけど、志摩子はどう思う?」
「そうですね。それもまたひとつの方法、ということでいいのではないでしょうか?」
 どうやら三年生は否定的、二年生は肯定的と見事に分かれたようだ。
「志摩子も来たことだし、始めましょうか」
 志摩子さんの回答が、というよりもこの話を続けること自体があまりお気に召さないと思われる祥子さまが話を進めた。
 祥子さまのご機嫌うんぬんはおいておくとしても、せっかく少ないとはいえフルメンバーが揃った今日、お仕事をしっかり進めたいのは間違いない。みんなもその思いは同じようで、そこからはガリガリ作業をするのだった。


〜4〜
 今日も帰りは寄れそうにない。
 というわけで、金曜のお昼休み、薔薇の館に顔を出してみると祥子がお弁当箱を机の上に置いてお茶を入れる用意をしていた。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう。令一人?」
「うん。今日も放課後は無理そうだから来てみた。私がいないと……ってのは昨日進めたから大丈夫だとは思うけど、もし何かあったら悪いけど武道場までよろしく」
「ええ、仕方ないわね。飲み物はお茶でいい? 令の分も用意するわ」
「ありがとう、お願い」
 祥子がもうひとつ湯飲みを棚から取り出して、二つの湯飲みに急須からお茶を注いでいく。
「はい」
「ありがとう」
 祥子から湯飲みを受け取って、お弁当箱を空ける。
 しばらくして「今日は私たちだけね」と祥子が言ってきた。
「うん。そうみたいだね。それで?」
「昨日の話よ、三人はどちらかと言えば歓迎のようだし」
「祥子にとってはいくら結果よしと言っても、歓迎はできないよね」
「ええ……まさか聖さまの思いつきがこんなことになってしまうとはあの時には思わなかったわ。祐巳ちゃんの手前、あまりきついことは言わなかったけど」
「おぉ、さすが紅薔薇さま。つぼみ時代と違ってすぐに当たり散らしたりはしないんだ」
「……売られた喧嘩は買うわよ、黄薔薇さま?」
「冗談だって」
「ふふっ、知っているわ。……でも本当に困りものね。聖さまのまねする子は増えるでしょうし」
「朝練の時に知ったけど、剣道部でも朝一で姉妹体験をし始めていた子がいたし、ほんとに広まり始めているみたいだね」
 祥子は一つため息をついた。
「まったく……」
「あぁ、でも数少ない愉快なことがあったわ」
「この話で?」
「そう。昨日由乃が姉妹体験がおもしろそうって話していた時に急にむくれたの覚えてる?」
「そういえば。理由は分からなかったけれど。知っているの?」
「あれはね、こうやっておもしろがっている自分の姿がお姉さまと一緒じゃないかって気づいたんだな」
 そう。何かおもしろいことが起こりそう、起こると飛びつくお姉さまの姿と今の自分をまともに重ねちゃったのだ。
 祥子も想像して納得いったのか、くすりと笑う。
「なるほど、そういうことだったのね」
「まあでも、由乃の『おもしろい』はあくまで端から見てだけど、本当にそんな気持ちで姉妹体験をやり始めるのだけは勘弁して欲しいよね」
「まったくね」
 深く頷く祥子。
 実はさっきから物音に気を配っていたのだけど、今日はもう本当に誰も来ないようだ。
 祥子の様子も伺ってみる。志摩子のおかげか、去年の今頃は何だったのかと思えるほど、本当に桜も克服しているようだ。
 ……聞くなら今か。幸い、話もまったく外れたものではない。
 私は前々から気にかけていたことを、思いきって切り出すことにした。
「ところでさ、姉妹体験はともかく、本当の姉妹についてだけど。志摩子は作れるの?」
「いくら何でもまだ早くなくて? 令には妹がいるのに私には……みたいなことをお姉さま方から言われたのだって夏を過ぎてからじゃない。それとも由乃ちゃんはもう誰か意中の子でもできたの?」
 知っていて話をそらしたのか、本当に気づかなかったのか……
 こんな機会が次にいつ来るのか分からない以上、祥子には悪いけど「ああ、そうだね」では済ませられない。
「違う違う。私は志摩子が『いつ』妹を作るのかじゃなくて、そもそも『作れるのか』って聞いたの」
「……そういう由乃ちゃんはどうかしら?」
 うん。さっきはともかく、今度は間違いなく気づいている。だから私ははっきり言ってしまう。
「確かに由乃は私と前々から約束していたような仲だから、いざ妹を作るって時に戸惑うかもしれない。……でもね、祥子。志摩子と違って何か特別な秘密があるわけじゃないからね」
 私の意図がはっきり伝わったのだろう。祥子の表情が厳しいものに変わる。
「……令は志摩子のことで何か知っているの?」
「まあね。だからこそ二人が心を通わしているのにひどく遠慮しあっているように見える」
 祥子はじっと黙ったまま少し考え、一つ息をはいた。
「すでに知られているのなら仕方ないわ……どうやって知ったの?」
「うちの祖父はあそこの檀家だからね」
 私の答えに祥子はとても驚いていた。
「一切合切ばれてしまっている、ということね……」
「ばれているというか……」
 志摩子と住職の間ではとらえ方がまるで違うというのをあらためて思う。そして当然のように祥子もまた志摩子と同じように考えてしまっている。
「住職自身が檀家相手に話しているよ。しかもどう話していると思う? 志摩子がいつになったら皆に告白するのかの賭までしているのよ」
 私の言葉に祥子は脱力して、顔を手で押さえた。
「なんてこと……では志摩子一人が重く抱えている、というわけ?」
「それと、祥子もね」
 私も全てが分かっているわけではないけれど、祥子と志摩子、聖さまと祐巳ちゃんの姉妹は平行してのものだったから、成立がひどく重いものだった。だからこそ志摩子が秘密を乗り越え、祥子とほんとうに心を通わせられるようになったのだが、同時に祥子にとってもその秘密が重いものになってしまったのだ。
「……それが言いたかったのね」
「まあ、そんなところかな」
「……ありがとう。ただね、志摩子にとってはほんとうに重いことなの。だから、この話の取り扱いには気を遣ってちょうだい。できれば……」
 皆まで言うなと頷く。
「心得ておくよ。祥子を頭越しに何かなんてできないしね。でも、祥子が何かしようというときに手が必要ならいつでも貸すから」
「ありがとう」
 簡単にはいかないだろうが、志摩子にとって、そして祥子にとっていい風になってほしいものだと心から思う。
「でも、そうなると祐巳ちゃんには本当に悪いけど、ますますもって早いこと妹を作って欲しくはあるね。聖さまが遊びに来てくださっているおかげで元気なことだし」
「……とても口に出しては言えないけど、そうね」
 お姉さまから後で聞いた話だけど、春先には早速妹の目星をつけるべく物色していたとか。
 同じようなことを祐巳ちゃんに望むなんて、あまりに情けない話だと思いつつ、冷めてまずくなったお茶をすすった。


〜5〜
「乃梨子さん、今日も外で?」
 金曜日のお昼休み、早速外へ出かけようとするところを呼び止められた。
 この人はアツコさんだった……はず。比較的私に声をかけてくる人の一人……のような?
 いつも外に出て行って、その上でクラスメイトの誰にも会わないようにしていると、それはそれでまた何か言われそうなので、週の半分くらいは適当にお昼を付き合っていたりする。ちなみに、当然のようにあちらから誰かが近寄ってきたり、お誘いの声をかけてくれるので、良くも悪くも相手には困らない。
「ええ、天気もいいですし」
「確かにそうですね。私、今日はミルクホールなんですけど、次はご一緒しません?」
「ええ、機会があればぜひ。それでは……」
 取りあえず笑顔を作って、そそくさと教室を出る。
 今日はまた祐巳さんといっしょにお弁当なのである。朝のバスで偶然一緒になり、ヒソヒソ声で誘われた。生徒会長になるとお昼を誘うのもこっそりやらないと、よく分からないが大変らしい。
 私も中学の時は生徒会に関わっていたけど、成り行き上そうなっただけでそんな大げさな役職でもなかった気がするんだけど。やっぱりこの学校にはいまいちついて行けない部分がたくさんある。
 あ、祐巳さんがいた。もうシートも敷いちゃっているし、結構待たせてしまった?
「遅れてすいません」
「ううん、今来たばっかりだよ。一昨日は私の方が遅かったし。ささ、どうぞどうぞ」
「はい!」
 そういうわけで、今回は祐巳さんが持ってきたシートに一緒に座って、お昼をとることになった。
「そうそう、この前お姉さまが携帯電話を買ったって自慢しに来たんだけど、乃梨子ちゃんって携帯電話持ってたりする?」
 お弁当もあらかた食べ終わり、二人でまったりとしていたら祐巳さんが何かを思い出したように話し始めた。
「あ、はい。学校には持ってきてはいけないことになっているから部屋に置きっぱなしですけどね」
「そうなんだ。大学はいいけど高等部までは禁止なんだよね。ところで、やっぱり携帯って持ってると便利なものかな?」
「そうですね……どうでしょうか? 中学の時は友達も結構持ってて、私も結構使ってましたけど、ここのところほとんど使ってないし、解約しようかなぁとも思っているところです。少なくともプランは変えるべきでしょうね」
「そっかぁ、確かに携帯電話はかける相手がいてこそ便利になるものかもしれないね。リリアンに通っている以上はあんまりいらないか」
「そうですね」
 私自身、その点に関しては少々驚いていたりする。中学の頃は携帯電話のない生活というものがそもそも想像つかなかったのだけど、無ければ無いでどうにかなってしまうものだった。
 世間の常識がここで通用しない部分があるのと同様に、ここの常識も世間とは隔絶しているのを改めて感じてしまう。
 今私が使う機会がほとんどないのは、やはり学校の友達がいないからだが、リリアンではたとえ電話をかけるような相手ができたとしても、携帯を使う必要はないだろう。
「今時だと珍しいかな?」
「それはもう。学校への携帯の持ち込みを禁止しようなんていっていた知事がいたくらいですし」
「そういえばそんなニュースあったね。もともと禁止だったから特に気にしてなかったけど、逆に今まで使っていたのに禁止されちゃったらそう言った人たちは不便に思うのかな?」
「そうですねぇ……」
 自分の携帯電話使用の経験を振り返る。やはり携帯の利点というのはどこにいても捉まる、捉まえられるという点にある。待ち合わせ一つとっても急な変更だろうが何でもござれだ。
「学校の外での待ち合わせの時とは不便になってしまうかもしれませんね」
「ああ、なるほど。駅前で待ち合わせしたときすぐ近くでお互い待っているのに気づかなかったとかそんなことあったけど、携帯で連絡をすればそういうのは防げるんだね」
「ですね。もともと持っていなかった人たちならしかたないって感じになるでしょうけど、携帯持っていたのに使えなくなったとかだと、かなり不満に感じそうですね。ちなみに、待ち合わせ場所に相手が来られなくなったとか、どうしても先に行かないといけなくなった場合はどうしているんですか?」
「うーん。そもそもそういう状況を作らないようにするってのと、相手の自宅に電話してご両親に伝言を頼んだ上で家にも電話して親に電話があった時に伝言してもらったりかな? 自分が逆の立場の場合はやっぱり家と相手の自宅に電話するし」
 なるほど。高校生だと車で移動って事もないし、電車が何十分も立ち往生して閉じ込められるなんてことは年に何回もあることじゃないし、それはそれで何とかなってしまうものなのかもしれない。でもなぁ……
「人間って便利なのに慣れちゃうとなかなか戻れないからね」
 私が考えていることが祐巳さんにも分かったみたいで、思っていたことをぴたりと言った。
「ええ、ほんとうに」
 そんな話をしながらお昼休みを過ごした……こんなどうでもいいような話をしながらお昼休みを過ごせるのはリリアンに入ってからはじめて。やっぱり祐巳さんには深く感謝しないとな。


 これはいったいどうしたことなのだろうか?
 祐巳さんといっしょにお弁当を食べて教室に戻ってくると、なぜか教室中の視線が私に集まってきた。怪訝に思いつつ自分の席に戻る間も、戻ってからも視線が追跡してくる。確かに新入生代表ということでもとから注目を集めていた部分はあるが、それも一週間近くたって結構落ち着いてきた。
 かといって、それ以外で注目を集めてしまうような心当たりはないし、そもそも集めないように無難に過ごしてきたはずなのだが……いったい何なのだろうか? 
「あのぉ、乃梨子さん、よろしいかしら?」
 そのうちの何人かが私の席にやってきて話しかけてきた。いったい何があったのかこちらが聞きたいくらいだから「ええ」と答えた。
「先ほどお見かけしたのですけれど、乃梨子さんは白薔薇さまと親しくさせていただいているのですか?」
「え? 白薔薇さま?」
「ええ、先ほど白薔薇さまとご一緒に校舎裏でお弁当を食べていらしたわよね? ごめんなさい、乃梨子さんがちょくちょくお昼は外でとられるのに、一度もお見かけしたことがなかったので、どちらに行かれているのか気になって……」
 質問の後に、申し訳なさそうにおずおずと付け加え……誰だったか、とにかくその人は頭を下げる。
 つまり、つけてきたと。お節介ここに極まれり。
 ほんと、嫌がらせではなくて善意から来ているというのがなあ……。かえっていわれのない悪意の方がこっちも受けて立てたと思うのだが。
 まあいったんそのことは忘れて。白薔薇さま……一瞬何のことかと思った後に、祐巳さんの称号?みたいなものだったことを思い出す。ここは役職が会長・副会長・書記・会計というよくある感じではなく、三色の薔薇の名前を冠していて、実質的な会長三人にお手伝いさんで構成されているんだったか……まあ、そのことについてはそれがリリアンらしいということなのかもしれない。
「あ、うん。それが、どうかしたの?」
 私がつけられたこと自体はさほど気にしていない風に答えたのにほっとしたのか、顔を上げてさらに問いかけてきた。
「それで、乃梨子さんは白薔薇さまとどういうご関係なのでしょう?」
 ご関係……ご関係と言われてもなぁ。親切にしてくれる先輩とされている後輩……という感じだと思うのだが、彼女たちは何か別の答えを期待しているような気がする。どう答えたものやら。
「……ひょっとして姉妹体験をさせていただいているとか?」
 姉妹体験って何? と思ったが、直後に教室中から「えー!」と驚きの声が上がって驚いた。それからみんな口々に様々なことを言ってきたが、私は聖徳太子でもないからとても何を言っているのか聞き分けられない。
 しばらくしてみんなの中で何らかの結論が出たのか、少し場が静かになってからそもそもみんなに火をつけた姉妹体験って何かこちらから聞いてみた。
「まあ、ご存じないのですか?」
「うん、まったく……」
 そう答えると一人が一枚の紙を持ってきた。
「これですわ」
 それはリリアンかわら版と書かれた学校新聞だった。タイトルは姉妹体験特集号とある。二人が写っている写真も載っていてそのうちの一人は祐巳さんだった。となると、このもう一方が祐巳さんの話にちょこちょこ出てくる「お姉さま」って人か?
 そんなことを考えながら写真を見ていたら、ご丁寧に姉妹体験とはなんぞやというところから説明してくれることになった。
 曰く、姉妹体験とは去年祐巳さんが佐藤聖さんという卒業生と姉妹体験をしたのがきっかけで、実際に二人は姉妹になり、仲のいい素晴しい姉妹へと発展し、祐巳さんも山百合会幹部の一人となり、今は白薔薇さまとなった。そして今年は姉妹体験を提案しようとする上級生も、その申し出を期待する一年生も多いとか。
 なんじゃそりゃ。
 つまり祐巳さんは最初から佐藤さんって人と姉妹関係にあったのではなくて、正式な姉妹関係になるためにわざわざ体験をしてみた、と。
 姉妹関係というのは特に仲の良い先輩後輩関係だった。それになるためにまず体験する祐巳さんもすごい気がするが、それをまねする人たちって……
 これはあれか? 学校全体であこがれらしい先代・現生徒会長のまねをする、つまり「祐巳さんごっこ」をしているってこと?
 ……なんともまぁ。
「で、いかがなんですの?」
「まったく……そんな話聞いたこともないし」
「あら、そうなんですか」
 なんかいやな笑みを浮かべている人たちが何人もいる。でも、この笑いの方がある意味慣れているっていうか、ほっとするのが複雑なところである。
 どうやら私が姉妹体験とやらができていないことを喜んでいるようだ。
「でも、乃梨子さん、まだ姉妹体験をさせていただいていないとしてもそんながっかりすることはありませんわ」
「そうですわ。私たち微力ながら応援して差し上げます」
 逆に、なぜか私が祐巳さんの妹体験をしたいと思っていると思ったのか、そんなことを言ってくる人たちもいた。しかも本心から応援してくれているような気がする……
 ……やっぱりこの学校頭痛い。


〜6〜
「祐巳さん、ちょっといいかしら? ……できれば外で」
 週明けの月曜日、休み時間になるやいなや真美さんがやってきて廊下を指さす。
「いいけれど……」
 姉妹体験特集号は大変好評だったわけだし、今度はいったい何だというのだろうか。
「祐巳さん、いいの?」
 由乃さんが私もついて行こうか? と言ってくれたけれどお礼を言った上で遠慮する。
 まあ前回のことを考えてみても、真美さんは油断ならない相手であっても、不誠実な行動まではとらない人だ。全面的に大歓迎とは言わないが、まあ大丈夫だろう。
「ここならいいかしら?」
「ええ」
 階段の踊り場についたところで真美さんが聞いてきたので同意する。姉妹体験とか普通の姉妹申し込みにしても、もっとロマンチックな場所で行われることが多いので人はいなかった。
「早速だけど、二条乃梨子さんとはどうなってるの?」
 おいおい。まさか真美さんがそこまで平然と約束を破るとは思わなかった、前言撤回だよと思いかけたところで言葉が続く。
「あ、誤解しないでね。もちろん前の約束は守るわ。ただね、新情報を入手してしまって」
「新情報?」
「実は、今祐巳さんと乃梨子さんが姉妹体験をしているのではないかという噂が流れているのよ。もちろん、新聞部は一切ノータッチで」
「え?」
「噂の発信元は乃梨子さんのクラスで、どうも祐巳さんと乃梨子さんが仲良くお弁当を食べているのを見た……というかわざわざ見に行った人たちがいたようね」
「そこまで具体的に伝わっているの?」
「一年椿組にも新聞部員がいるの。その子によると先週の金曜日に騒ぎになって乃梨子さんが否定したみたい」
 当然だろう。そもそも乃梨子ちゃんがこれ以上滅入るような話自体一切していないのだから。
「で、そこで終われば良かったのだけど、乃梨子さんは新入生代表だったでしょ? だから元々それなりに注目を集めていたところで祐巳さん、つまり白薔薇さまとの楽しい昼食風景。盛り上がらないわけがない」
 成績トップの外部からの入学生と白薔薇さまが仲むつまじく昼食をとっている。しかも白薔薇さまは姉妹体験を始めた張本人。新聞部に限らず姉妹体験に興味津々な新入生にとっても格好の話題だったのだろう、と。
「……」
「で、乃梨子さんの発言お構いなしに、噂は収まるどころか広がっていくばかり。もし、祐巳さんにその気があるなら新聞部を利用することも考えておいて」
「……利用?」
「新聞ってのは何もことを大きくすることしか能がないわけじゃなく、真実を明らかにして収束させることだってできるの。たとえば自分が知りたいことがあったとして、それが余すところなく書いてあるものがあったなら、わざわざ自分で調べに行こうとするかしら?」
 確かに。
 自分で見たものでないと! って人も中にはいるかもしれないけれど、やっぱりごくわずかだろう。ましてそれが噂程度の話なら……
「なるほど……って、その手には乗らないわよ、真美さん」
「ばれたか。まあでもそういう要素が報道にあるのは事実だから、頭の片隅にでも置いておいてよ」
「うん。覚えておく」
「それに正直なところ。今年は部内規定もあるし、まだ誰の妹でもない二条乃梨子さんのことを祐巳さんの承諾無しに書くことはほとんど不可能なのよね。というわけで、公式発表が必要の際はぜひとも新聞部へご用命を」
 そう言いながら仰々しく頭を下げた後、真美さんは帰っていった。
 私は、どうするべきなのだろう。


 授業が終わって昼休みになるなりすぐに教室を飛び出し乃梨子ちゃんのクラスに向かった。いてもたってもいられなくなったからだ。
 教室をのぞいて、真っ先に目についたのはあの目立つくるくる縦ロール……瞳子ちゃんだった。今は関係ない……教室を見回して乃梨子ちゃんを発見したが、まさに「疲れたぁ」と顔が言っている。でもそんなことお構いなしに、周りにはクラスの子たちが集まってきている。
 どんなことがあったのかまではわからないが、乃梨子ちゃんがひどい目にあったのはまちがいない。どうして真美さんに言われるまで思い至らなかったのだろうか? 去年のことを考えれば、いくら新聞部が何も書かなくても噂が流れてしまったら、こうなることは十分想像できたじゃないか。
 ……今は後悔も反省もいい。ともかく乃梨子ちゃんをこのままにはしておけない。さらに注目を集めかねないが、教室から連れ出そう。
 そう思ったとき、扉の近くにいた椿組の子から声をかけられた。
「ごきげんよう、白薔薇さま。……ひょっとして乃梨子さんに御用ですか?」
「ちょっとね。ごめん、いれてもらっていい?」
「は、はい! どうぞ!」
 大きな声で返事をするものだから、皆の視線が集まりため息とも歓声とも言えるような声の中、乃梨子ちゃんの元へ突き進む。
「乃梨子ちゃん、いい?」
「あ……はい」
 声をかけられてはじめて私の存在に気づいたようだ。
 ますます騒がしくなる後ろの方を無視し、乃梨子ちゃんといっしょに教室を出て、人気がない空き教室に移動した。
「乃梨子ちゃん、本当にごめん。ひどい目にあわせちゃったよね」
「あ……でも、祐巳さんが悪いわけじゃないし」
「ううん。今日クラスメイトに言われてやっと気づいたんだけど、客観的に考えれば乃梨子ちゃんの周りで何かあることぐらい予測できたはずなのに……うかつだった。だからごめん」
 乃梨子ちゃんはやっぱり私が謝ることではないと思っているのかいまいち納得していない様子だった。
「この騒ぎってようは祐巳さんと佐藤聖さんのお二人のまねっこがしたい人たちがはしゃいでいるだけでしょ? やっぱり祐巳さん、何にも悪くないと思いますけど。そんなことまで心配してたら疲れてしまいません?」
 やっぱり乃梨子ちゃんは賢いんだなってのを改めて実感する。これだけ慣れない、息苦しいと思っている場所でも、事の本質がよく分かっている。しかし、それ故にもっと申し訳なくなる。
「そう言ってくれるのはうれしいよ、乃梨子ちゃん。でも、私がもうちょっと気を遣っていればこんなにクラスメイトの子たちとかに追い回されなくて済んだと思うんだ。さっきだって、あんな風に連れ出しちゃったから、あとでもっと問いただされちゃうかもしれない。本当にごめんなさい」
 頭を深く下げてあやまる。
「……祐巳さん、頭を上げてよ。確かにこの十日間で一年分くらい疲れた感じはありますけど、それでも祐巳さんのおかげで少しはこの学校でやっていけるかもと思えたんですよ。祐巳さんに会わなかったら、かったるい気持ちだけで三年間過ごしたと思うし、それに比べたら波瀾万丈どんとこい! ってもんですよ」
「ありがとう、乃梨子ちゃん。なんだか助けるつもりで来たのに、逆に励まされちゃったな」
「いいですって。そうだ、一つ聞くなら祐巳さんもそうですけど、生徒会の皆さんはこんな感じになっちゃった時、どうやって対応してたんです?」
「うーん、実は薔薇さままでになっちゃうと、クラスメイトの人たちとかは遠慮するせいか、かえって静かになったりするんだ。でも、私がお姉さまと姉妹体験をする、しないって時に教えてもらったテクニックがあるから……」
 正直ここまでくると焼け石に水な感じもあるが、やらないよりは良いだろう。そう思って昔お姉さまに教えられた対応策の応用……簡単に事実をかいつまんで話し、後はほほえみを浮かべてご想像にお任せしますと答えるとかそういうものを伝授した。
「なるほど、お嬢様っぽく振る舞うと相手もなかなか踏み込みにくくなるって感じですね」
 ちょっと試してみるかな……と、明るく振る舞う乃梨子ちゃんに胸が痛んだ。
 本当に私はどうすればいいのだろう。


 このままではいけない。そう思いつつも結局根本的な対策は何一つとして思い浮かばないまま放課後になってしまった。
「薔薇の館に行かないとな」
 自分に言い聞かすようにつぶやいて鞄を持って薔薇の館に向かおうとしていたとき、後ろから声をかけられた。
「白薔薇さま、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 うん? 聞き慣れた声のはずなのに違和感が。そう思い、返事をしつつ振り向く。
 そこにはテニスウェア姿の桂さんがいた。
「お久しぶり、祐巳さん! それとも、本当に『白薔薇さま』がいい?」
「是が非でも祐巳さんでお願いします……」
 桂さんにまで『白薔薇さま』と呼ばれてしまったら、なんというかすごく嫌だ。
「了解、祐巳さん。改めましてごきげんよう」
「ごきげんよう。テニスウェアなのにこんなところで会うとは……何か忘れ物とか?」
「ま、そんなところ。祐巳さんこそどうしたの、憂うつが顔に張り付いているわよ? ……あ、分かった。例の姉妹体験疑惑でしょ?」
「……もう伝わっているの!?」
「一年松組の子から。すごいね、隣のクラスどころか、隣の隣の隣のクラスぐらいまですぐ伝わっていったみたいよ。で、その子たちが部活の先輩に話したりするものだから、もう際限なく」
 いずれは上の学年にも伝わっていくかもとは思っていたけど、まさかこんなに早いなんて。
「まいったなあ……」
「私は祐巳さんが軽々しく姉妹体験をするとは思っていないけど、信じちゃっている人は多いわね。……そもそもなんでこんなことになっちゃったのか、聞いてもいい?」
 興味本位ってのも確かにあるかもしれないけれど、それだけではなく私のことを心配してくれているのがその目から十分伝わってきた。
「実は……」
 正直なところ煮詰まっていた部分もあると思う。
 乃梨子ちゃんとは年明けの高等部受験日の前日に初めて出会ったこと、入学して早々に暗い表情を浮かべていた彼女に声をかけずにはいられなかったこと等々、乃梨子ちゃんがいっそう疎外感を感じている理由等はあいまいにしつつも私は桂さんに話していた。
「ふーん。やっぱり祐巳さんが悪いね、そりゃ」
「うん。でもどう手を打ったらいいかが分からなくて……」
「いやいや、違う違う。そういう話じゃ無くて。あ、まったく違うとは言わないけど」
「え?」
「ああ、でもそうか、祐巳さんの周りにいる人たちって、みんなそうだし気づかないかもなあ……」
 そう言いながら桂さんは、一人で納得してうんうんとうなずいているのだけど、さっぱりわからない。
「ねえ、どういうこと?」
「あ、ごめんなさい。そうね……。ねぇ祐巳さん。あなたの立場は?」
 ちょっとためらうようなそぶりを見せた後、私の目を見据えてそう尋ねてきた。
 私の立場。そういう聞き方をされたら答えは一つしかない。
「い、一応白薔薇さま」
「そう。その考え方に皆との大きな壁ができちゃっているの。私は祐巳さんの気持ちも分かるし、そういうところ好きだけど」
 桂さんが言おうとしていることがやっぱり分からない。大きな壁ってどういうことなのだろう?
「ねえ、祐巳さ……いや、白薔薇さま。あなたはあなた自身が思っているよりはるかに全校生徒から、それが大げさというのであれば少なくとも一年生の大半と二年生の多くから憧れの存在として見られているのよ」
「ま、また。冗談きついよ、桂さん」
 確かに薔薇さまの称号が付いてしまっているせいで、多少なりとも注目されているのは事実だけど、お姉さまをはじめとする先代の方々、あるいは祥子さまや令さまの七光りのようなもので、私自身がそこまでの存在である訳がない。
「皆の憧れ、麗しの薔薇さまの一人にして唯一妹がいらっしゃらなかった白薔薇さま。その方がご自身の卒業も近づいてきた学園祭直前、ついに見いだされた一年生。……でもその子は誰から見ても、ごくごく普通の女の子にしか見えなかった。しかし、お姉さまとなった白薔薇さまの期待に応えるべくその子は選挙戦を勝ち抜き、固いつぼみが花びらを開くように薔薇さまとしての才能を開花させた」
 しかしそんな私の反応なんかお構いなしに、目をつぶり手振りを交えつつ、おとぎ話のあらすじでも読むかのごとく語った。
「か、桂さん?」
 ごくごく普通のって部分には同意できるけど、あとはどこの誰のこと?としか思えないような美化のされようじゃないか。シンデレラストーリーというレベルすら超えている。
 私がそんなのじゃないってのは、桂さんだってよく知っているはずなのにどうして……
「結局の所。祐巳さんや事情を知っている私や蔦子さんたちがどう思っていようが、もっと遠くから眺めていた二年生や新入生にはそういう風にしか見えないってこと。祐巳さん、あなたは虎の威を借る狐なんかじゃない、正真正銘アイドルなのよ」
 もし新一年生としてそんな話を聞いて入学していたら、ごくごく普通な私にだって薔薇さまに見初められるかもしれないなんて夢を抱いちゃったに違いない。
 あなたはその見果てぬ夢を作り出し、叶えてしまった張本人なのだ、と。
 そこまで言われてようやく分かった。
「私自身がどう思っているか……ではなくて、端から見た私へのイメージに対する自覚が全然足りなかった。そういうことだよね?」
 そこまで注目されていたのなら、目の前を通ったり誰かに話しかけていたりしたら一年の子たちにとって気が気でなかったのだろう。半年前……言われるようにまだ普通の生徒でしかなかった私は、まさに桂さんと祥子さまが志摩子さんに姉妹を申し込んだとかそんなうわさ話で盛り上がったではないか。きっと一年生の子たちもそういう感じだったのだろう。
「ええ……。だから、その乃梨子ちゃんにとって祐巳さんが関わっていること自体がいい結果につながらないと思う」
 祐巳さんには悪いけど。そう申し訳なさそうに付け加える桂さん。
「ううん、アドバイスありがとう。すごく参考になった」
「私で良ければいつでも相談に乗るから」
「本当にありがとう。時間がある時にでも薔薇の館に遊びに来てよ。心を込めておもてなしするからさ」
「ふふ、そうね。じゃあ、またね」
 部活に戻っていった桂さんを見送った後、改めて考える。
 私はそもそも乃梨子ちゃんに声をかけるべきではなかったのだろうか。でも、たとえそうだとしても時計の針は戻せない。
 かといって今更知らんぷりする? そんなこと、できっこない。でも桂さんが言うとおり、私が話しかければ話しかけるほど乃梨子ちゃんはますます追い込まれてしまう。
 私ができることは……


 次の日、放課後薔薇の館に行くとお姉さまがいた。
「あ、お姉さまごきげんよう」
「ごきげんよう」
 お姉さまはコーヒーを飲んでくつろいでいる。まさに勝手知ったる他人の家状態……いや、お姉さまは先月までここの長の一人だったのだからちょっと違うか? ……いや、まあどうでもいいことである。
「ところで、昨日これを見たんだけどさ、なかなかおもしろい取り上げかたしてくれたもんだね」
 そう言ってお姉さまが見せてくれたのはあのリリアンかわら版の姉妹体験特集号だった。
「大学にも届くんですか?」
「さすがに配りには来てないみたいだけどね。姉妹やらなにやら経由でそこそこの部数が回って来るみたい。私は同じ科目を受講している……子からもらったけど」
 ……この人、また覚えていなかったな。そういう部分は本当に変わらないんだから、もう。
 お姉さまが写っていたから気を利かして渡してくださった、おそらく先の卒業生のどなたかには私が代わりに謝っておこう。ごめんなさい。
「まあその方の名前を覚えていなかったことはひとまずおいておくとしまして。お姉さまも『おもしろい』ですか」
「うっ……ところで『も』って誰?」
 一瞬たじろいだ後、何事もなかったかのように聞いてくるお姉さま。……はあ、いつものこと、いつものこと。ごめんなさい、ごめんなさい。そう念仏のように心で唱えてから質問に答える。
「由乃さんがちょっと楽しそうって、でもなにかかなり引っかかってるものがあるみたいですけど」
「ふうん。なんか思うところでもあったのかしらね? それはともかく、これ出たのは先週だよね。もう姉妹体験がブームになってるんじゃない?」
「はい、それはもう見事に」
 蔦子さんが姉妹体験ブームの状況について教えてくれたが、やはりクラブで新しく入ってきた一年生に持ちかけてというパターンがかなり流行っているそうで、蔦子さんが把握しているだけでもすでに二十組を超えているようで、そのうち百組は超えるんではないかとの蔦子さんの予想である。
 さらにはお姉さまがいない二年生に姉妹体験を持ちかけた三年生もいるらしく、なかなかすごい感じになっているようだ。一年間お姉さまなしで通した人に声をかけるのって相当勇気がいると思う。やはりリリアンかわら版の影響力は良くも悪くも絶大である。
 そのあたりの話をするとそこまで行くとはねぇーと少しお姉さまも驚いたようだ。
 階段を上る音が複数聞こえてきた。この音は祥子さまと令さまのようだ。
「あれ、聖さまごきげんよう」
「ごきげんよう」
「二人とも、ごきげんよう」
 どれほどもなく、由乃さんと志摩子さんも顔を見せ、今日の作業が始まった。お茶代がわりにとお姉さまが雑用を手伝ってくださったこともあってか、ずいぶん順調に進んだ。やはり五人か六人か、しかもその増えた一人が仕事を熟知しているというのはとても大きいと思う。
 そんなこんなで解散になった後、お姉さまが「祐巳、ちょっといい?」と聞いてきた。
 このパターンはつい昨日あったばかりだ。実は桂さんだけでなく、薔薇の館でも作業が終わった後令さまが声をかけてくれたのだった。
 仕事に差し障りになるほどではなかったと思うけど、それでも一区切り、一休みとるたびに乃梨子ちゃんのことが頭に浮かんできてしまったから、みんなにはバレバレだったかもしれない。悲しいことに噂は全学年に広まりつつあったし。
「はい、ありがとうございます」
「あら、そこまでわかるってことはもう誰かに聞かれてたかな」
「ええ、昨日令さまに」
「そっか、令では難しかったことかぁ、私に関することじゃないと厳しいかもしれないけど、まあ何に悩んでいたのか話してみてよ」
 お姉さまに相談か……それでも、やっぱり逆・隠れキリシタンのあたりは話すべきではないだろうか? いや、そのあたりのことが逆に何かのとっかかりになるかもしれないし、乃梨子ちゃんには悪いけれど、お姉さまには全部を話そう。
 そう考えて、全部洗いざらい話してお姉さまに相談することにした。
「うーん、なかなか難しいね。確かに仏像鑑賞とかすごい趣味だとは思うけど、そういったことを気楽に考えられない……いや考えられる人間だったかもしれないけれど、この学園に入ってしまったからかもなあ。この学園の空気って一度場違いと思っちゃうと相当きついしね。それでいて新入生代表ってことは結構な優等生だったのだろうから、昔の私みたいにもなれないわけだ」
「……」
 お姉さまは私から聞いただけなのに、乃梨子ちゃんのことをなんだか私以上に分かってしまった気がする。
 昔の私。
 その言葉を聞いただけでドキッとしてしまったけれど、お姉さまもこの学園に疎外感みたいなものを感じた経験者だから分かることもあるのだろうか? そのことを考えるといまだに悲しくなってきたりもするが、お姉さま自身がさらっと話されたことを思い悩んでどうする! そう考えて切り離すことにした。
 私がそんなことに思いをはせている間もうーんと腕組みをしながら考えていてくれたが、しばらくしてポンと手をたたいた。何かいいアイデアを思いついた!?
「そうだ。いっそのこと徹底的にやってしまえばいいのよ」
「徹底的にですか?」
「そう。ちょうどこれに乗ってしまえばいいんじゃない?」
「どういうことですか?」
 リリアンかわら版を掲げつつそう言うお姉さまだが、意味がさっぱりわからず首をかしげる。
「だから姉妹体験よ、姉妹体験」
「はい?」
「噂通りに祐巳がその乃梨子ちゃんって子と姉妹体験をするのよ」
「……お姉さま、何言ってるんですか?」
 自分でも声が冷たくなっているのがわかったのに、お姉さまの方はそれにはまるで気づかなかったのか、さらに話を続けた。
「今でもすでに噂になっているわけで、どうせそれは消えないだろうから、いっそのことその通りにしてあげればいいのよ。で、大々的に発表すればいい加減な噂ではなくなるし、乃梨子ちゃんが何か困っているときに祐巳だってお姉さま役として堂々と助けにいけるじゃない」
「お姉さま!」
「な、なに?」
「お姉さまは姉妹ってものをどう思っているんですか!? 確かに、私だって姉妹体験自体はいいものだって思ってます。でも、それでも! 私にとってお姉さまの存在がどれだけ大きいとおもっているんですか!」
 手に巻いているお姉さまからいただいたロザリオをぎゅっと握りしめる。
「それなのに、そんな簡単に姉妹体験をしてみたらって……お姉さまのバカ!!」
 そう言い放ち、お姉さまの顔を見ないまま、薔薇の館から駆け出していた。


 どうしてお姉さまはあんな無神経なことを言うのだろう。
 あのバレンタインデーのイベントの時だってそうだ。私がお姉さまとのデートをどれだけ大切にしていたのか、そして逆にお姉さま以外の誰かわからないような人(結果的には静さまになったがあくまで結果的である)となんかデートをしたくなかったのに、そんな私の思いなんかまったく考えずにあんなことを言ったり……
 涙が出てきそうだ。
「ゆみ、大丈夫か?」
「え?……ゆ、祐麒!?」
 机に突っ伏している私を祐麒がのぞき込んでいたのに驚いて、バネ仕掛けのおもちゃみたいに飛び上がってしまった。
「いつも言っているようにノックくらいしなさいよ」
「ノックどころか、直接声をかけても全然気づかなかったのに文句を言うなよ」
「う、それはごめん」
 なんか、前にも近いやりとりがあったような気がする。
「それで、佐藤さんとのことだろうけど、大丈夫か?」
「……分かる?」
「昨日もだいぶ悩んでいるみたいだったけど、今ほど落ち込んでなかったし。それがこうなるってのは佐藤さんのことか佐藤さんとのことしかないだろ」
「ほんと、バレバレだね」
「そっとしておいてやろうかとも思ったけど、ここまでくるとな。……で、俺でよければ話聞くけど?」
 なんだか、最近みんなにそんなことを言われてばっかりだ。
「……お姉さまとけんかしちゃった」
「そっか、で何が原因なんだ?」
「お姉さまが無神経なこと言ったのよ……」
 今日の出来事を簡単に祐麒に話すとうーんと考えて、口に出さないまましきりに首をひねる。
「ねえ、なんか思いついたの?」
「なぁ、相変わらず俺には姉妹関係っていうのがよくわからないから、思いっきり的外れかもしれないけどいい?」
「いいけど……」
 ためらいがちにそんなことをいうものだから、思わず身構えてしまう。いったいなんだろう?
「前に、祐巳は私がお姉さまを信じられなかったのが悪かったってそう言ってたよな?」
「うん……まあ」
「佐藤さんだって祐巳との姉妹関係をすごく大事にしているんだろ? だから、もしかすると似たようなものかもしれないぞ」
「え?」
「以前祐巳が似たようなことをされて怒ったことも覚えていて、さらに祐巳と同じくらい姉妹関係を大事にしているなら……承知の上であえて言ったなんて考えられないか?」
「そんなっ!」
「まあ落ち着けって。姉妹関係もよく分からない人間が、仮定の上に仮定を乗っけた推論だから見当外れなことを言っている可能性だって十分あるし。とはいえ、少なくとも言いっぱなしで出てきたのは祐巳が悪かったと思うよ。前例があるならなおのことどうして祐巳がそんなことを言ってしまうような気持ちになったのか佐藤さんに説明するべきなんじゃないかな」
「……」
「本当に俺の予想が当たっていたなら、祐巳が何を言ったところでその無神経な意見って奴は変わらなかったと思うけど。それでも、そこまで頑なに主張されたら少しは何かあるかもって分かったかもしれないな。ま、落ち込む前にやるべきことはいろいろあるんじゃない?」
 そう言って部屋から出て行った弟にまったく言い返せなかった。
 祐麒は当たってないかもと言ったけれど、私が考えていたことよりよほどお姉さまの真意を掴んでいるように思えた。だってお姉さまは本当に大切なことだと思ったら、私なんかが想像つかないくらい深く考えてしまう人だから。卒業式の前だってそうだった。
 そのことは十分身にしみていたはずなのに。祐麒に説かれるまで、また軽はずみなことを言ったとしか思えなかった自分がひどく情けなかった。
 同じことを繰り返していないだろうか。結局依存しているんじゃないだろうか
 あの時お姉さまが発した言葉が思い浮かんだ。
 依存。祐麒にも言われたっけ。あの子はすぐに取り消したけど。
 でもその通りだと思う……だからこそ、お姉さまに素っ気なくされたとか無神経なことを言われたと思ってしまうと、深く考えもしないで反応してしまうのだ。
「ダメだな、私」
 ため息が出てくる。お姉さまはそれなりに折り合いをつけたというのに、私ときたら。
「こんな状態じゃ、お姉さまも安心できないよ……え!?」
 無意識のうちにこぼれていた言葉に驚く。まさか、お姉さまがあんなことを言った理由って……
「そういうことなの?」
 私がお姉さまから離れられなくてべったり依存しているから。でも、それを面と向かって言うと私が傷つくかもしれない。だから乃梨子ちゃんのためだけでなく、私のために姉妹体験をした方が良いって。
 それも何にも考えていないふりをして、だ。そうすればどう転がってもお姉さまが私に謝るだけで収まるから。
 もし想像通りなら、私は馬鹿だ。それも筋金入りの大馬鹿だ。
 そう思ったら、いてもたってもいられず電話を取りに行っていた。そして、お姉さまの携帯電話へ……と言うところで気づく。時計の針は既に深夜に近づこうとしていた。
 しかし一瞬躊躇した後、私は発信ボタンを押した。
「もしもし」
「お姉さま、祐巳です。こんな時間にごめんなさい」
「ううん、いいよ。どうしたの?」
「今日、あんなことを言ってしまって……」
「あんなこと? ……あぁ、私がバカってやつね。いいの、いいの。今考えると、私がお気楽に姉妹体験なんて言っちゃったのが許せなかったんだよね? ほんとバカでごめんね、祐巳。お詫びにまたどこかに連れて行ってあげるから、あの話は忘れちゃってよ」
「そんな、お姉さま……」
 あんまりにも想像通りの言葉。
 どうして祐麒に言われるまで分からなかったのだろう。今ならお姉さまの本心が痛いほどよく伝わってくるのに。私があの時気づいていれば、お姉さまに自分が無神経だったなんて言わせなくて済んだのに。なんかひどく悲しくなってきて、涙が出てきた。
「お姉さま、本当にごめんなさい」
「……祐巳、ひょっとして泣いているの?」
 そんなことないですと言おうとしたけれど、一度こぼれ始めた涙は止まることがなかった。
「ああ! もしかしてバレンタインの時のこと思い出させちゃった!? 本当に気が利かなくてごめんね。そうだ、さらにお詫びの気持ちとして祐巳が好きな……」
 もういいです。その一言すら言えなくて、ただ泣くことしかできなかった。
 そんな私にかけられる電話越しのお姉さまの優しい声……これが面と向かってであったなら、きっとお姉さまはこんな私なのに優しく抱きしめてくれただろう。そう思えてしまったらもう耐えきれなくなって声を上げて泣いた。
 まともに話すことができない私にお姉さまはこのまま待っているからとだけ告げて、ただひたすら待ってくれた。
 そして、ティッシュペーパーの箱の残りが少なくなる頃ようやく涙も何とか止まった。
「……すみません、ご迷惑をおかけしました」
「いいって、いいって。むしろ私が……」
「お姉さま」
 ようやく持ち直し、謝る私にお姉さまがさらに自分が悪いと言おうとするのを遮るように話しかける。
「え、何?」
「私、姉妹体験してみます。もちろん、乃梨子ちゃんが承諾してくれたらですけど」
 息を呑むのが電話越しにも聞こえた。
「……祐巳はそれでいいのね?」
 さっきまでと全然違って、お姉さまの声には冗談めかした部分が一切無い真剣なものだった。
「はい」
「そう。ならば私が言うことは何もないわ。最初私が提案したことであっても、選挙のときと同じよ。自分で決めたかぎりは責任を持って、ね」
「はい、お姉さま。ありがとうございます」
「うん、じゃあお休み」
「お休みなさい、お姉さま」
 電話を戻した後、洗面所によって顔を洗い、気合いを入れるべく両手で両頬をパンパンと軽く叩く。
 お姉さまはもちろん乃梨子ちゃんにも、そしていろんな人に迷惑や心配をかけただけでなく、これからもかけるかもしれないけど、決めたのだ。
 明日、乃梨子ちゃんに姉妹体験を申し込む。


〜7〜
 昼休み、乃梨子ちゃんの教室に行って連れ出し、あの温室にやってきた。
 お姉さまからロザリオをもらった場所、私がお姉さまの妹になったこの場所に……
「こんな場所があったんですね」
「新しい温室の方は乃梨子ちゃんも知っていると思うけど。こっちはこっちで代々生徒の誰かがお世話をしているんだ」
 乃梨子ちゃんは温室に咲く色とりどりの花をみて、ちょっと驚いているようだが、もちろん気分転換のためにここに連れてきたのはない。
「へぇ、それで中はこんなに整えられているんですね。……あ、これは確か庚申薔薇でしたっけ。ずいぶんきれいに咲いてますね」
 乃梨子ちゃんの目の前の花はロサ・キネンシスだった。確かにとてもきれいに咲いている……
 自然と私の目はロサ・ギガンティアを探していた……うん、こっちも負けないくらいきれいに咲いている。
「そう、学名は『Rosa chinensis』生徒会を象徴する三色の一つ。で、こちらが『Rosa gigantea』また同じく生徒会を象徴する三色の一つにして……」
「あ、祐巳さんの」
「覚えていてくれたんだね、ありがとう」
 にっこり笑ってお礼を言う。
「そんな……それより、今日はここでお昼にするんですか? ちょっとお弁当を広げるにはどうかなと思うんですけど……」
「ううん。ちょっと先にお話ししたいことがあってさ」
 お話ですか、と首をかしげる乃梨子ちゃんを見つめながら深呼吸を一回。
 ……よし!
「ねぇ乃梨子ちゃん」
「はい」
「私と姉妹体験してみない?」



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