第一話

気になる一年生 前編

〜1〜
 始業式もつつがなく終了し(薔薇の館に戻ってみたらまたお姉さまがいたりもしたけど)、週明けの月曜日。午前中だけだった入学式、始業式、そして土曜日の三日間と違って、いよいよ今日からは本格的に学校がスタートする。
 そして新入生にとっては入学してから初めての昼休み……天気がいいこともあるのだろう、窓の外にはお弁当を広げている人たちの姿がたくさん見える。こうした光景を見るのはどれくらいぶりだろう? 秋口には寒くなってきたせいでだいぶ少なくなっていたし、かといって三月はお姉さまたち去年の三年生が自由登校になってしまっていたから……半年ぶりぐらいかな。おまけに新入生のおかげか、ずいぶんと賑やかな気がする。
 もっとも一年前は私もああいった新入生の中の一人だったわけだが……あれ? あのおかっぱ頭は乃梨子ちゃんではなかろうか? うん、そうだ。
 でも、どこへ行くのだろう? 右手に持っている包みはお弁当だろうから、他の人たちと同じようにどこか外でお弁当を食べようということなのだろうけれど、校舎の裏手の方に向かっていた。あちらは校舎の陰だというのに、なんでわざわざそんな方へ?
 どうにも気になって、私も昇降口の方に回って外へ出て校舎裏に向かった。
 こちら側は陰になっているから当たり前ではあるのだけど、少しひんやりしているせいで真夏ならともかく、今の時期は人気がない。そんな場所で一人乃梨子ちゃんは、江利子さまでもここまでの時は……というほど気怠そうな表情を浮かべ、こちらまで聞こえてきそうな感じのため息をつきながらお弁当を広げた。
 なるほど。こんな表情のまま教室にいたり、外は外でも賑わっているところにいたらそれこそ心配されてしまうに違いない。そしてそれは乃梨子ちゃんの望むところではないのだろう。
 でも、そう思っても……見かけてしまった以上は声をかけずにいられなかった。
「乃梨子ちゃん」
「え?」
 名前を呼ばれたのに驚いた表情を見せる乃梨子ちゃん。
「あ……福沢祐巳さんでよかったでしたっけ?」
「うん、名前まで覚えててくれたんだ。ありがとう」
「そんな、お礼を言われるようなことではないです」
「ごめん。横、いい?」
「あ、はい」
 乃梨子ちゃんの横に腰を下ろす。私がなんで声をかけてきたのか、頭の回転がはやい乃梨子ちゃんにはすぐ分かったのだろう。前を見たまま口を開いた。
「……前も、私ため息ついてましたよね」
「そうだったね」
 リリアンの受験の前日、下見に来た乃梨子ちゃんが木陰でため息をついているのを見かけて声をかけたのだ。
「私のこと覚えてくれていたんだったら、どうしてリリアンに来ることになったのか、気になってますよね?」
「本命の公立高校の方で何かあったんだよね?」
「はい……」
 それから乃梨子ちゃんが話してくれた理由はびっくりするようなものだった。
 ちょうど試験の前日、二十年に一度ご開帳される観音像を見に京都まで行ったはいいが、大雪のせいで帰ってこれなくなり本命の公立校の試験が受けられなかったために落ちてしまい、リリアンに通うしか道がなくなってしまったのだという。
 仏像愛好家だという話は聞いていたが……受験の前日に京都まで行くだなんて強者というしかない気がする。仏像愛好家としても、受験生としても。
「まあ、玉虫観音をみれたのは後悔していないんですけどね」
「そうなんだ」
 ほんとうはもっとかけるべきことばや返すべきことばがあったかもしれない。でも、あまりの理由にあっけにとられていたせいで、そう相づちを打つことしかできなかった。
「でも……」
「リリアンはやっぱり場違いな感じがする?」
「はい、以前祐巳さんに教えてもらったことはわかっているつもりなんですけれど、それでもやっぱりもう何もかもが。クラスメイトの子たちも親切心からだとは思うのですけど、あんまりにも……」
「そっか……」
 わかっていても、そう感じてしまうというのはなかなか難しい。幼稚舎からずっとリリアンに通っている私にはわからないものだが、世間一般の学校とはずいぶん勝手が違うのだろう。実際外部入学で入っている新入生は少なくないわけだが、乃梨子ちゃんのような気持ちで入学してくるわけではなく、むしろ望んで入ってくるのだから大違いだろう。
 乃梨子ちゃんのような理由でなくても、本命校に落ちてしまってリリアンに通うことになった人がいてその人から話が聞ければ一番なのだろうが、残念ながら私にそんな知り合いはいない。
「……でも、リリアンに入ってしまった以上、開き直っちゃうしかないよね?」
「……はい」
 わかってはいるんですけれど、なかなかそうできなくて……そんな気持ちがこもっているような返事だった。
 乃梨子ちゃんのために私にできることは、何かないだろうか? ……ああ、そうだ。
「いろいろとリリアンの習慣で聞きたくなることはあると思うし。私でよければだけど、いつでも相談に乗るよ。もちろん乃梨子ちゃんの事情も分かっているから、押しつけがましくないように努力するし。気楽な話し相手として、どうかな?」
「そんな、悪いです」
「いいから、いいから遠慮しない……って、早速迷惑かけている、ひょっとして!?」
 しまった。クラスの子たちのそういう部分もかえって苦手に思ってしまってここに来たと分かっていたはずなのに私ときたらなんということを……反省。
「ふふっ」
「えっ?」
 頭を抱えて落ち込んでいたらすぐそばで笑い声が聞こえたので思わず顔を上げる。
 すると、そこには本当に楽しそうに笑っている乃梨子ちゃんの姿があった。
 私はそのすてきな笑顔に目が釘付けになってしまう。もとから私なんかと違って十分かわいい子だとは思ったけれど、こんなにいい顔を見たのは初めてだったから。
「ふふふ、ごめんなさい。福沢先輩の気持ち、十分伝わってきました。ありがとうございます」
 福沢先輩。その新鮮な響きのおかげで?我に返った。
「どうかしました?」
「ああ、ええっとね。リリアンでは名前で呼び合うのが習慣になっているから、初めてそう呼ばれたなって」
「あ、そういえばクラスメイトの子たちも名前で呼び合っていました。あれってお互いが知り合いで仲がよいからって訳じゃなかったんですね。……では、祐巳先輩?」
「さんでいいよ」
 リリアンでは上級生に対しては『さま』を付けるものだが、ただでさえなじめないなんて言っている乃梨子ちゃんにリリアンの習慣をそこまで押しつけてはいけないだろう。それに、なによりせっかく笑ってくれた乃梨子ちゃんの笑顔に水を差すようなまねができるわけないじゃないか。
「わかりました。祐巳さん、これからもよろしくお願いします」
 そう言ってぺこりと頭を下げる乃梨子ちゃん。
「ううん、こちらこそ。少しでも役に立てればそれだけでうれしいよ」
 これが、乃梨子ちゃんとの二ヶ月ぶりの再会だった。


〜2〜
 掃除を済ませて薔薇の館に行くと、すでにみんなそろって……え?
 祥子さま、令さま、由乃さん、志摩子さんのいつものメンバー以外にもう一人、あのくるくる縦ロールがいて、しかも祥子さまの隣でお茶を飲んでいたのだ。
「ごきげんよう、祐巳ちゃん」
「あ、はいごきげんよう」
 令さまの声に返事をするけれど、私の目は縦ロールに向いたままだった。
「ごきげんよう、お久しぶりです」
 笑顔で挨拶をしてきた縦ロールに、こちらも社交辞令として「ごきげんよう」となるべく笑顔を作って返した。
「瞳子ちゃん、祐巳ちゃんと知り合いだったの?」
「ええ、祥子お姉さま。一度町で偶然お会いしただけですけれど」
 祥子『お姉さま』だと? リリアンにおいて祥子さま個人をさしてお姉さまと呼べるのは、妹である志摩子さんだけのはずなのに、どうしてこれが祥子さまのことをそんな風に呼んでいるのか。それに、祥子さまも「そうなの」なんて言うだけで、『お姉さま』については何も言わない。祥子さまはそういったところは厳しそうなのに……姉妹愛で克服しつつあるとはいえ、桜のせいでぼんやりとしているせいとか?
「あら? 祐巳さま、どうかしまして?」
 私の何か言いたげな目に気づいたようだ。……どうだろう? いっそのこと言ってしまえばいいのではないだろうか? 乃梨子ちゃんとは違ってこっちは中等部にいたことがわかっている。よし、白薔薇さまとして初めての指導だ。
 そうちょっと意気込んで指摘したのだが……「あら、すみません。ついつい普段の呼び方が出てしまいまして」なんて答えが返ってきてしまった。普段ってなんだ普段って?
「祐巳ちゃんの言う通りよ。さっきも言ったけれど、瞳子ちゃん。公私は区別しないと。せめて学園内だけでも『祥子さま』もしくは『紅薔薇さま』とお呼びなさい」
「はーい、祥子お姉……祥子さま」
 祥子さままで公私? つまりこいつは『私』の側だと?
「ああ、そういえば私が祥子さまの親戚であるとは言っていませんでしたね」
「え? 親戚?」
「ええ」
 これが、祥子さまの親戚……祥子さまの親戚と言えば、柏木さんのことを思い出す。お姉さまとはかなり仲が悪いけれど、文武両道な上にルックスもよしとまさに祥子さまの親戚と言われても納得だったが……
「……なんです? まさか、私は祥子お姉さまの親戚としてはふさわしくないとでも?」
 考えていたことをほぼずばり指摘されてしまったが、認めるわけにはいかず「べつにそんなこと思ってたわけじゃないよ」と否定した。しかし、私に向けられる視線がさっきまでの社交辞令的なものからどこか値踏みをするような視線に変わった。
 そしてため息を一つ。
「まったく、さっきから……どうしてこんな方が白薔薇さまになってしまったのやら。私は静さまの方がふさわしいと思っていましたけれど、やはりつぼみというのは大きかったのですね」
「ちょっと待ちなさいよ。あんた言うに事欠いてっ!」
「あら? 山百合会は世襲でもなんでもないのでしょう? 私がそのとき投票権があったらという話をすることにどこか問題が? まさか、当時静さまに入れた人間はゆるされないとでもおっしゃるのですか?」
「話をすり替えるんじゃないわよ! あんたが言っているこ……」
「由乃っ!」
「瞳子ちゃんっ!」
 思わずカーッとなって口を開こうとする私の前に割り込んだのは由乃さんだった。すると冷ややかな視線で由乃さんを見ながら反論する彼女。
 さすがに見かねた令さまと祥子さまが仲裁に入るのだけど、依然として止まる様子はない。
「祐巳さん、大丈夫?」
「ありがとう、志摩子さん」
 心配そうに声をかけてくれた志摩子さんにお礼を言う。
 うん、大丈夫。由乃さんには申し訳ないけれど、私より先に口を出してくれたおかげでかえって冷静になれた。
 そうなのだ。そもそも、これだけの人が集まっている場所で彼女が「祥子お姉さま」と言えば、誰かが既に指摘しているはずなのに、それを勇んで、しかも薔薇さまとして指導しようとしたなんて滑稽もいいところだ。それに気づかなかったあたり、最初から頭に血が上っていたとしか言いようがない。
 そう考えれば、言い方はちょっときつかったけれど、彼女の言うことももっともなのだ。これでは一票差とはいえ私に投票してくれた人たち、さらには静さまに投票された人たちにも申し訳が立たない。
 ……やっぱりまだまだだな。そうは思うが、まずはこの場を納めないと。
「二人とも止めて!」
「でも、祐巳さん!!」
「なんですか、反論でもされますか?」
 なんで!? という表情を浮かべる由乃さんと、私をにらみつけてくる彼女に首を横に振る。
「瞳子ちゃん、あなたの言うとおりかもしれない。……でも、選ばれた以上は頑張っていくしかない。頼りないかもしれないけれど、見守って……は欲張りすぎか、まあ見ていてくれるとうれしいわ」
 すると瞳子……ちゃんは目を丸くした。さすがにこの反応は予想外だったみたい。
 それにしても、乃梨子ちゃんの方はちゃん付けを自然にできていたのに、彼女に対しては内心で抵抗を感じるあたり、ほんと精進が足りないな。
「……いえ、こちらこそ。白薔薇さま、口が過ぎて申し訳ありませんでした」
 その言葉に今度はこっちが驚いた。まさか彼女が謝ってくれるとは思わなかったから。
「祐巳さん……」
「由乃さんもありがとう。そして皆さん、私のせいでお騒がせして申し訳ありませんでした」
 そして、まだまだ言い足りない、祐巳さんは本当にそれでいいの? と目で問いかける由乃さんにお礼を言って、その上でみんなに深々と頭を下げた。
「あ、そうだ! 私、今日はすごくいいお茶っ葉を持ってきたんだよ。さっき来たばかりで出し忘れてたわ。あと、先週聖さまが持ってきてくださったお菓子もまだあったよね? 由乃、お願いできる?」
 空気を変えようとする明るい令さまの声に、由乃さんも仕方ないという感じはありながらも従ってくれる。
「……はい、お姉さま」
「あ、では私も」
 手伝おうとする志摩子さんに手を振って立ち上がる。今日は迷惑かけたし、お茶ぐらい入れさせてもらわないと。
「……祐巳さん、あとで詳しく教えてよね」
「うん」
 私にそっとささやく由乃さんにうなずく。みんなにしても、この場は納めてくれたけど、気にはなっているだろうし後で説明した方が良いだろう。
 お、そろそろいいかな。うん、私でも分かるくらい、いい香りが湯飲みから漂う。
「はい、お待たせしました」
 その後は、令さま持参のお茶が本当に美味しいかったこともあってか、さっきまでのことが嘘みたいに和やかな雰囲気で話が盛り上がった。瞳子ちゃんも私だからって表情を変えることなく、笑顔を振る舞ってくれているし。
 その話の中で瞳子ちゃんが初等部の高学年からずっと演劇部、それも主役級を演じることが多かったというのが出てすごく納得すると同時に、やっぱり私に対しては実際の所微妙なんだろうなと思った。もっとも、それは私もだからお互い様か。
「それにしてもこの館、すごく居心地いいですねー。瞳子気に入っちゃった。祥子さま、また遊びに来てもいいですか?」
「いいわよ、歓迎するわ。良かったら友達も誘っていらっしゃい」
 どうやら瞳子ちゃんはまた来るつもりのようだ。なかなかいい根性をしていると思う。
 とはいえ、一般生徒でにぎわう薔薇の館というのは蓉子さまが夢見ていた姿で、それは祥子さまはもちろん、私も含めた皆が願っていることだと思う。
 そういう意味では、こういうちょっと図太い子がその先鞭をつけることにつながってくれるかもしれないわけで、案外悪くないのかもしれない。
 でも、そうなるなら瞳子ちゃんに対する苦手意識のようなものはさっさと克服できないといけないよなあ……
 やることもやりたいことも、そしてやらねばならないことまでいっぱいになってくれてうれしいのやら悲しいのやら。そんな複雑な気分で帰途につくのであった。


 さて、今日も登校したわけだが……なぜか違和感がある。
(なんだろ?)
 首をひねるがよくわからない。何にしっくり来ていないのだろう?
「白薔薇さまごきげんよう」
「あ……ごきげんよう」
 三人ほどの一年生がことばをそろえて挨拶をしてくれた。まだ『白薔薇さま』という呼ばれ方に全然なれていないから返事を返せるのが遅くなってしまった。
 つい少し前まではお姉さまが『白薔薇さま』だったのに……ここでも新年度になったというのを実感するところだ。
「白薔薇さま、何かご用でしょうか?」
 そう聞かれて、なぜそんな風に聞かれているのだろうと考えてとんでもないことに気づいた。私の目の前にあるのは一年桃組の教室だったのだ。
 昨日、今年になって初めて同じクラスになった由乃さんから「私の姿を教室で見るたびに少し驚くのはどうにかならないの?」と苦言を呈されたばかりだったのに、それ以上のボケをかましてしまった。
 一年生の子たちには何でもないからとごまかして二年松組に向かう。
 ああ、恥ずかしい……穴があったら入りたい。できる限り平静を装っているが絶対に鏡で見たら今の私の顔は赤いだろうなぁ……
「あ、乃梨子ちゃん」
「あ……ごきげんよう」
 途中ちょうど登校してきた乃梨子ちゃんとばったり出会ったのだ。
「ごきげんよう」
 そうだ、せっかく会えたのだし、この前言っていたことを誘ってみよう。相談相手や話し相手になるとは言ったが、乃梨子ちゃんの方から私の教室に来るだなんてことあり得ないし、これはいいチャンス。災い転じて福となす……とは全然違うが、よかったと考えようじゃないか。
 他の人に聞こえないように小声で「よかったらお昼休み、お弁当いっしょにどうかな?」と言うと、乃梨子ちゃんも「ありがとうございます」と小声で答えてくれた。


「あー……ではここまで。ページ下の練習問題は宿題とするので解いておくように。あと、出席番号三十二、三、十三、二十三番は次回授業の始まる前に練習問題一から四を黒板にそれぞれ回答しておくこと。以上」
 ふう、ようやく終わった。私たち共々、学年を繰り上がってきた下関先生の数学は厳しくは無いけれど、授業中も宿題も出席番号順に当たっていくから注意が必要なのだ。
 さて、乃梨子ちゃんを待たせてもいけないし、さっさとお弁当もって行くとしますか。
 と、そのとき。
「白薔薇さま、今日も薔薇の館でお弁当ですか?」
「え、ええ」
「そうですか。新年度始まったばかりでお忙しいでしょうが、頑張ってくださいね」
「白薔薇さま、頑張って!」
「ありがとう、みなさま。では……」
 二重の意味でドキッとした。一つはもちろん今日のお昼は薔薇の館ではない。由乃さんが年三回に減ったという久々の定期検診でお休みなのでいいものの、そうでなかったら口裏を合わせてもらわないと厄介なことになったかも。
 で、もうひとつなのだけど、この方々は去年も同じクラス……つまり一年桃組だった人たち。実は去年桃組で今年も同じ組になった人のほとんどが私のことを白薔薇さまと呼ぶのだ。
 蔦子さん曰く「苦しい選挙戦(事実だけど)を勝ち抜いた結果、私たちが祐巳さんを白薔薇さまにしたんだ! って思いが炸裂しているんじゃない?」とのことだけど……
 みんなにはお世話になったから何も言えないけど、何だかなぁ……
 ま、今はそんなことを言っている場合ではない。このままでは待たせちゃうし、急がなきゃ。
 校舎裏に着くと、ちょうど乃梨子ちゃんがシートを敷いていた。
「ごめん、ちょっと遅れちゃったかな? あれ、乃梨子ちゃん、用意いいんだね」
「あ、祐巳さん。私も見てのとおり来たばかりだから。さ、どうぞ」
「ありがとう」
 乃梨子ちゃんの横に腰を下ろす。で、二人ともお弁当を広げながら、乃梨子ちゃんがどんな感じなのか聞いてみることにした。
 ……
 ……
「……逆・隠れキリシタンか」
「実態はそうじゃないってわかっていても、やっぱりそう思えてしまうんです」
 なかなか、悩ましいことだ。そんな自虐的な考えはやめなさいって言っても同じことだろう。だとしたら極端な例を出すしかないな。……ということでお姉さまごめんなさい。
「前にも言ったけど、それこそ江戸時代にたとえるなら、御三家の当主に当たるような生徒会長の一人である白薔薇さまだった私のお姉さま……って、お姉さまってのがどういうものか、前話したような気がするけど、覚えてる?」
「えっと、なんとなく。特に仲の良い先輩後輩関係でしたよね? なんかクラスでも誰それの妹になりたいとか話していた子がいたようないないような……」
 首をかしげながらつぶやく乃梨子ちゃん。
「そうそう、そんな感じ。やっぱりさすがだね、乃梨子ちゃん。私なら忘れちゃっていただろうなぁ」
「そんなこと。あの時に祐巳さんがすごく楽しそうに話してくれたから」
「嬉しいこと言ってくれるね、ありがとう。でね、私のお姉さまはさっきも言ったとおり生徒会長の一人だったんだけど、それはもう本当にひどいものだったよ。確かによそ行きの振る舞いは私なんかと違って洗練されていて流石って感じなんだけど、実態は全然違って……」
 ものすごくいい加減なところとか、セクハラオヤジ的なところとか、お嬢様のイメージとはかけ離れた例を次々に挙げていく。
「ほんと、うちのお母さんなんかリリアンのOGのせいなのか、お姉さまの大ファンでね、実態を知っちゃったら卒倒しちゃうかもしれないって思うから、知られないようにいろいろと配慮しないといけないし……」
「ふふふ。そうは言っても祐巳さん、そのお姉さまのこと好きなんですね?」
「ああ……うん。まあね、そんな人だけど、やっぱり私には大切な人だし」
「……祐巳さんのお姉さまほどじゃないけど、今私がお世話になってる大叔母の薫子さんなんかは……」
 大叔母の薫子さんのことを話してくれた。年の割にとっても元気なおばあちゃんのいろいろな話を聞いて薫子さんもなかなか楽しそうな人だと思った。
「確か、その薫子さんって、乃梨子ちゃんにリリアンを受けさせた人だよね?」
「ええ、今考えると浪人しなくてよくなったわけだし本当に感謝しないといけませんね」
「ひょっとしてリリアン出身じゃない? 菫子さんって」
「あ、そういえばそうですね」
「やっぱりそうか。それなら、たぶん菫子さんも決して悪い意味じゃなくて、現役のリリアン生の頃からそういうお元気なところがあったんじゃないかな? もちろん私なんかよりずっとお嬢様らしい部分も併せ持っていらしたのだろうけど。……ごめん、言いたいことがうまく伝えられた自信が無いのだけど、まあ、リリアンって全部が全部お嬢様然としている訳じゃ無いっていうか、結構楽しいところだから乃梨子ちゃんにもぜひって思われたんじゃないかな?」
「確かに……そうなのかもしれませんね」
 なかなかよい言葉が思いつかないってのはもどかしくある。けど、そんな私の話に乃梨子ちゃんは笑ってくれたり、うなずいてくれた。
 まあ、今日の所はこれでよかったかな。一朝一夕とは行かないだろうけど、少しでもなじんで……いや、そこまで行かなくてもせめて肩肘張らずに過ごせるようになってくれたらいいと思う。
 そして最後にまた一緒にお弁当を食べる約束をして別れた。


「……ね、ひどいでしょ、その聖って奴」
「……ひどいのは聖さまかと。ねぇ、志摩子」
「はい、お姉さま。聖さま、あんまりではないかと」
「うわっ。志摩子までそんなこというの!」
 その日の放課後、いつものように薔薇の館に行くと二階から話し声が聞こえてきた。声の主はお姉さまと祥子さま、志摩子さんだ。
 やっぱりお姉さまが来てくれるとうれしい……のはともかく、内容が気になる。お姉さまがお姉さまをひどいと言って、さらに祥子さまがお姉さまをひどい? おまけに志摩子さんまで同意している? 訳がわからない。そう思いつつ扉を開いた。
「ごきげんよう」
「あ、祐巳! 聞いてよ、祥子たちったら私がおかしいって言うんだよ!」
 あいさつも言わずにいきなりそう来ましたか。祥子さまと志摩子さんの方を伺ってもあきれているとかそんな感じ?
 まあ、まずは聞いてみないと。
「で、お姉さま。いったいどうしたんですか」
「いいんだ、いいんだ。私には祐巳がいるから。祐巳なら分かってくれるよね?」
「話の内容にもよりますけどね」
「実はさ……」
 で、聞いてみたわけだけど……
「いや、それ誰がどう聞いても一万パーセントお姉さまが悪いですから」
「ひどっ! 祐巳までそんなこと言うんだ!! あんまりよ!」
 あ、うつむいて嘘泣きまで始めているよ。
 でもまったくもってフォローのしようもないだから仕方がない。カトウさんと間違えて返事をしたあげく、相手が睨み付けてきたとか言っているのだ。
 そりゃ睨んだのではなくて、あきれてものが言えない状態だったに違いない。
 お姉さまはちゃんと聞いていたというが、それが事実ならカ行でいきなりサ行に飛ぶことのおかしさに気づくだろうに。木下さんとか、黒田さんとか、剣持さんとか、小島さんとかまったくいなかったとでも言うのか。
 そのカトウケイさまにはご愁傷様としか言いようがない。姉に変わって私が謝っておこう。ごめんなさい、ごめんなさい。
「はいはい、もうわかりましたから。……で、お姉さま。今日はいったいどうしたんですか」
 話を強引に巻き戻すことにする。
 するとお姉さま、さすがに今回は嘘泣きが通じるとは思っていなかったのだろう。けろりとした顔で起き上がる。それどころか「ふふふ」なんて不敵な笑みまで浮かべ始めたし、何だろう。
「じゃーん!」
 お姉さまは白色の小さい箱にカラフルな液晶の画面といくつかのボタンがついたもの……携帯電話を得意げに掲げた。
「あ、携帯電話ですね」
「そう、しかも最新型。もちのろんでワンセグもみれるし、インターネットのアクセスも高速だし、カメラも高解像度、そして」
 お姉さまの携帯から曲が流れる。
「音もいいと、いいでしょー」
 私は携帯電話は持っていないから、それがどのくらいすごいことなのかよくわからないが、お姉さまの得意げな様子から結構なものなのだろう。
「なるほど。なにかそわそわしている様子でしたが、祐巳ちゃんに早く見せたかったのですね」
「まね、祥子たちに見せてもよかったけど、やっぱりここはせっかくだしまずは祐巳にってね」
 まずは私にってのはちょっとうれしい。
「ありがとうございます」
「で、私の番号はこれだから、何かあったら電話してきてよ」
 携帯電話に表示された番号を早速手帳にメモする。
「ご承知とは思いますが、高等部では携帯電話は禁止ですから、こちらの敷地内ではなるべく使わないようにしてくださいね」
「私が原因で校則違反が流行っても困るしね。そのあたりはいくら私でも心得てるから安心してちょうだい。……ま、それはともかく。携帯見せびらかしも済んだし、何かすることある? 令が部活で今日は由乃ちゃんもお休みなんでしょ? おいしいお茶のお礼に雑用くらいは手伝うけど?」
 え。それって……
 確かに人手不足なのだ。部活動をしている生徒にとってこの時期は各々の大会直前をのぞけば一番忙しいと言って過言ではない。部の命運を分ける……はおおげさかもしれないが、大切な新入生勧誘シーズンだからである。
 そしてそれは令さまも例外ではなく。
 もっとも、さすがに現役黄薔薇さまに露骨な勧誘行為をさせられないというのもあってか、部長さんや他の上級生の人たちがその手のことや事務作業をしている分、指導者としての立場で貢献しているらしいけど。
 とにかく。そんな状況の上、今日みたいに誰かが用事で抜けてしまうとあっという間に三人になってしまう……にもかかわらず、部活動からの申請用紙とか、頭数がそろって活動開始した各委員会からの報告だの、書類は増える一方という。
 そこでこのお姉さまの発言である。正直のどから手が出るほどありがたい言葉ではあるのだけど、どうしたものか?
 同じことを考えていたんだろう祥子さまと顔を見合わせる。
 ……うーん。
「ま、そんなに堅く考えなくてもいいよ。本当に雑用しかしないから。それに、そこまでは来るもの拒まずな薔薇の館では歓迎すべきことでしょ?」
 なるほど。確かにこれがお姉さまではなく、蔦子さんや桂さん、あるいは一年生の子で「ぜひ手伝わせてください!」と来たら喜んで歓迎した気がする。
「だいいち、仮に私が妹かわいさの余り、それ以上のことをやろうとしても許されると思う? ねぇ、紅薔薇さま?」
 そう話をふられた祥子さまはしばらくお姉さまをじっと見た後、ふっと笑った。
「それではお言葉に甘えさせていただきます、お手伝いさん」
「そうそう、そうこなくっちゃ。で、お手伝いの佐藤さんは何をやればいいかね?」
「あ、じゃあ、こちらの書類の整理とチェックをお願いします」
「はいよ、了解〜」
 こうしてお姉さまが手伝ってくれることになった。
 量が量故に今日だけで終わってしまうって事はないけれど、それでも三人でやる羽目になっていたことを考えれば、信じられないくらいさくさくと片付いていってびっくり。
 私を手伝ってくださるお姉さまの姿はまさに「できる妹」って感じで、それは去年私がお姉さまに対してほとんどできなかったことだからちょっと寂しくもなったけれど、今はそんなことを考えている場合じゃない。お姉さまの好意に応えるべく、がんばろう!



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