第二話

初めてのおつかい

〜1〜
「美冬……一つあなたにお願いがあるのだけれど、良いかしら?」
 お昼休みになってすぐに祥子が私のところにやってきたかと思うとそんなことを言った。
「えっ! どんなお願い?」
 あの祥子が私にお願い!
 祥子がわざわざお願いがあるなんて言い出すとは実に珍しい。ここは一つ祥子の親友として是非とも協力しようじゃないか。
 さぁ、なんでも言ってみて! とばかりに弾んだ声でそう聞いたのだけれど言い出しにくそうにしている。いったいどんなお願いなのだろう?
「その……お願いというのは」
 あたりをチラチラッと見る。みんなの前では言いにくい話なのだろうか?
 まぁ、そりゃそうか。聞くともなしに聞いている子だっているだろうし。
 私だって祥子がこんなことを言い出すのをはたから聞いていたらつい耳を澄ませてしまったかもしれない。
「場所、変える?」
「ええ、ああ。そうね、そうしてくれると嬉しいわ」
 ということでちょうどお昼時ということもあるし、お弁当を持って教室を出ることにした。
 教室を離れ空き教室をのぞいてみる。ふむ、誰もいないし、ここで良いか。
「ここなら誰も聞いていないよ」
「そうね……」
 空き教室に入ってドアを閉めた。これで誰も聞いていないことは確実なのだけれど、それでもなかなか祥子は言い出せそうになかった。鍵もかけた方がいいかな?
 ……ひょっとしてそういう問題ではない?
 まさか、私が何かしちゃったとか?
 いままでの行動を振り返る……思い当たる節はないけれど、気付かないうちになにかとんでもないことをしてしまっていたとかそういうことは十分にありそうだ。
 そうだったとしたら……
「そ、その、ごめんなさい!」
「はい?」
「私何をしでかしちゃったのかわからないけど、とにかくごめんなさい!」
「美冬?」
 あれ? 祥子の反応が何か変だな。
 深く下げていた頭を上げると面食らった祥子の顔が目に飛び込んできた。
「……なんで?」
「ぷっ、ふふふふ」
 なんと笑い出してしまった。今度はこっちが面食らった顔になってしまう。ひょっとしてそういう訳じゃなかったのだろうか?
「ふふふ、全く。お願いといっているのにどうしてそんな考えに行っちゃうのかしら」
 恥ずかしい。すごく恥ずかしい。床板はがして地面に穴を掘って隠れてしまいたいくらい恥ずかしい。
「全く……でも、なんだか逆に話しやすくなったわ。美冬のしてしまったことの恥ずかしさに比べたら……だしね」
「うう……」
「良い?」
「あ、う、うん。大丈夫、もう大丈夫だから」
 トンと、胸をたたきながらそう言ったのだけれど……
「ごめんなさい、やっぱりこんなことを美冬にお願いするのは……」
「は、はぁ!? ちょ、ちょちょっと! それはないよ!」
「くすっ、ごめんなさいね。何となくやってみたくなってしまったの」
 あうう、祥子に遊ばれてしまった。なんだか力が抜けてしまう。
「では改めて……」
 一つ息をついて、きりっと顔を引き締めて真っ直ぐ私の方を向く。やっぱり祥子のこういう顔ってとっても格好いい。
「おでかけの仕方を教えてほしいの!」
「……は?」
「だ、だから、おでかけの仕方を教えてほしいのよ」
 何を言ったのかはわかっているけれど、どうしてそんな言葉が出てくるのかが全然わからない。お出かけというのはあれだ。その名の通りどこかへ出かけることだ。それともこの四文字には何か謎が!?
 ……いやいや、いくら何でもそれはあるまい。祥子がそういう謎かけをするとはちょっと思いがたい。やはり素直に聞くことにしよう。
「どういうことなのか聞いても良い?」
 それからどういうことなのか恥ずかしそうに語った祥子は、さっきの格好いい祥子とはまるでちがって、本当にかわいかった。
 格好よくてかわいい祥子。格好いい祥子はみんな見ているし、私も見てきた。けれどあのとき勇気を出さなかったらかわいい祥子はなかなか見ることはできなかっただろう。この二人っきりの空き教室でかわいい祥子を独り占めできているだなんて夢みたいかも。
「美冬?」
「ああ、うん。聞いてるから続けて」
 いけないいけない、顔がゆるんでしまっていた。とてもじゃないけれど相談に乗っている人間がする表情じゃなかった。祥子みたいにはとてもできないけれど、きりっとした表情で続きを聞く。
 祥子の話は……再来週の日曜日、紅薔薇姉妹でお出かけをすることになったのだそうだけれど、誰かと出かける経験がほとんどない祥子はどういう風にして良いのか不安で心配なのだ。お姉さまと妹の前で恥をかきたくないし、それ以上に二人に恥をかかせるようなことをしたくない。卒業を間近に控えた紅薔薇さまに、こんな世間知らずの妹を残して卒業してしまうのか……と、大きな心残りを作ってしまうことになる。そんな心配はさせたくないから、予行練習という形でいろいろと教えてほしいとのことだった。
 たしかに祥子は世間ずれしているところが結構ある。詳しくは教えてくれなかったけれど、以前紅薔薇さまの妹になったばかりの頃にいっしょに買い物に行ってだいぶ恥をかかせてしまったのだそうな。しかも一度ではなくて……それからは恥をかきたくないし、かかせたくなくて、どこかへ出かけるのも祥子がわかるようなところばかりを希望したせいで、結局ほとんど経験しないまま来てしまった。
「それでどうかしら?」
「うん、いいよ」
 予行練習という名目ではあるけれど、することはデートと言ってしまってもいい様なものではないだろうか。祥子にはちょっと悪いがありがたく乗らせてもらうとしよう。
「そう。よかったわ」
 本当に嬉しそうな祥子。
「それにしても……」
「何?」
「令さんではだめだったの?」
「いまさらこんなこと令に頼むのは恥ずかしいじゃない。もちろん、美冬がだめだったら令に頼むしかなかったのだけれど……」
 頼めば快く引き受けてくれるだろうがそれでも恥ずかしいものは恥ずかしい、とのこと。
 いまいちその感覚は私にはわからないけれど、そういうものなのかもしれない。
「美冬にOKしてもらえて本当によかったわ。二人とも日曜の予定が埋まっていたりしたら、それこそ本当にどうしたらいいものか途方に暮れていたところだったわ」
「どういたしまして」
 祥子に喜んでもらえて私も嬉しい。
 うまく話が決まったので、早速安心してお弁当を広げながら日曜日のことについて話そうとして、この前のバレンタインデーのイベントの商品であったデートのことを思い出した。私とだったからリリアンを回ったりとかしたのだけれど、ほかの人があの紅いカードを見つけていたら、やっぱりK駅の方にデートに行ったりということになっていたのだろうか?
「どうかして?」
「あ、うん。バレンタインのイベントの商品のデート、相手が相手だったら大変だったね」
「私の方からコースを指定するから問題ないわ」
「私の場合はそれで本当によかったけど、他の人の場合は予算も決まっているし難しくないかな」
「……言われてみればそうだったわね」
 私たちはリリアンに来ただけで昼食もお弁当にして、使ったのは飲み物と夕飯くらいだったから、あの額でも十分だったけれど、そうでなければ結構厳しい。その上、祥子が普段行くようなところを巡るとなると、最低でも桁を一つあげなければいけないだろう。
「確か、定期のバスは予算に含んでいなかったわね?」
「うん、別にデートのためにお金を払ってるわけでもないし」
「だったら、人からもらった水族館のチケットを使うわ。お金はかかっていないから良いでしょう」
「なるほど」
 ナイスアイデアだったとばかりに少し得意そうな祥子。
「だから、今の今まで来ちゃったんだね」
 私の指摘に一転顔を曇らせてしまう。
「そうかも……しれないわね」
 と! ここで話を暗くしてどうする、私!
「ま、まぁこの美冬さんに任せておけば、祥子もあっという間に普通の女子高生ですよ!」
 さほど無い胸を張り、任せなさい! とばかりにポーズを決める。
「ふふ、ありがとう美冬」
 受けたかな? 気持ちが伝わったから笑ってくれただけかもしれないけど、とにかく良かった。
 さて、話を戻すことにしよう。
「それで、紅薔薇さまたちとはどこへ行くかとかは決まっているの?」
「それがさっぱり……今までは私の希望を聞いてくれたりとかしていたんだけれど、今回は違って完全にお姉さまの胸三寸なのよ。志摩子がK駅の方に行くんですかと聞いたときにそれもいいと言っていたから、その可能性は高いとは思うけれど……」
「丸一日?」
「ええ」
「K駅周りでなかったら、どこかの行楽地ってこともありえるかな?」
「人混みがあまりに多いところは避けてくれると思うわ。私が人混みの中で気分が悪くなってしまうことをお姉さまは知っているから」
「だったらそっちは大丈夫だよね。K駅回りだけで良いかな?」
「そうね」
「じゃあ、あり得そうな店を見繕っておくね」
「ありがとう。お願いするわ」
「それで、私たちは何時にどこで待ち合わせにする?」
「そうね……M駅前で良いと思うけれど時間はいつ頃が良いかしら?」
「あんまり早く行っても店が開いてなかったりとかするし、9時半くらいでどうかな?」
「ええ、いいわよ」
 こうして祥子と二人でお出かけすることが決まった。
 バレンタイン以来の二人のデート。そして、祥子が私を頼りにしてくれているのだ。
 本当に幸せ。
「どうかしたの?」
 祥子がじっと私の顔を見ている。
「ん……いえ、何となくだけれど、美冬って祐巳ちゃんに似てるところあるわね」
「私が!? 祐巳さんに!?」
「ええ」
 くすくすっと笑う祥子。
 私と祐巳さんが似ている……のかどうかは分からないが、いつの間にか身も心も軽くなった気はする。
 以前の私って自分でいうのもなんだけどちょっと影を背負っているところもあったし。何しろもうこのまま祥子とはほとんど話す機会もなく別れることになると思いこんでいたから。
 それがあれよあれよというまに祥子とこんな関係になってしまい、最近は明るくなったような気もする。……それが祐巳さんに似ているって事なのだろうか?
 祥子は笑うばかりで結局教えてくれなかったので謎は謎のままになってしまったけど。


〜2〜
 昨日は本当に楽しかった。祥子のかわいい姿もたっぷり堪能できたし。特に、ジーンズショップの前でうろたえたり、すそ上げで首をかしげる姿なんか一生もののお宝映像だろう。それが私だけの物なのだ。
 ここが学園の敷地内でなければ今すぐ踊り出してしまいたい!(実際昨日は家でさんざん小躍りして家族に心配されたのではあるが)
 あぁ、それに夕食も良かった。お礼ってことで祥子おすすめの高級レストランに連れて行ってもらったのだ。あの料理おいしかったなぁ。一年に一度、ううん、何年に一回いけるかどうか位の。いやいや、支配人さんが気を遣って個室(特別席!)に案内してくれたことを考えれば一生に何回あるかってことなのかもしれない。
 このあたりは祥子の親友としての役得かな。
「ごきげんよう、鵜沢美冬さん」
「は?」
 そんな浮かれた気分で登校していた私の目の前に現れた方は……祥子のお姉さまである紅薔薇さまだった。マリア様のすぐ近くで私がやってくるのを待ちかまえていたようだった。
「あっ、は、はい、ごきげんよう」
 ほとんど反射的に背筋をびしっとのばして気をつけの姿勢になる。そんな風になってしまったのも、なんといっても、この高等部を統べる紅薔薇さま相手なのだから。
「少しお話がしたいのだけれど、よろしいかしら?」
「は、はい。もちろんです」
「では、ついてきてちょうだい」
 紅薔薇さまが私なんかにお話? いったい何?
 いや、何かはわからないけれど祥子に関係することは間違いない。祥子の親友だってこと以外に紅薔薇さまが目をつけるような価値が私にあるはずないもの。
 祥子の話……いったいどんな話があるんだろう?
 まさか、あなたのような子は祥子の親友たるにふさわしくないから縁を切ってちょうだいとか言われてしまったりするんだろうか? まさか……まさかね?
 びくびくはらはらしながら紅薔薇さまに付いていって、到着した先は薔薇の館だった。
「どうぞ、お茶くらいはごちそうするわよ」
 薔薇の館に私なんかが? それも祥子ではなく紅薔薇さまの招待で?
「さっ、どうぞ」
 なかなか足を踏み出そうとしない私の背中をそっと押してくれた。そんなことをされてしまったらしまったで、私に足をすすめないというような勇気もなかった。
 ガチガチの状態のまま階段を上がり、二階のサロンに入る。よく階段践みはずさなかったものだ……
「好きなところに座ってちょうだい」
「は、はい」
 紅薔薇さまが紅茶を入れている間、ビクビクしながら席に座って待つ私……何を言われるのか怖い。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
 カップをとろうとして震える手では取っ手をしっかりつかめなかった。
 それでも、やっぱり折角いれていただいた物を飲まないなんてこともできなくて、震える手を両方添えてなんとか紅薔薇さまの手による紅茶をいただくけれど、緊張しすぎて味なんかまるでわからない。
「くすくす、そんなに緊張しなくても良いわよ。別にとって食おうというわけではないのだから」
「は、はい」
 そう言われても……というのが正直なところだ。遠い彼方の存在に思えたリリアンの長たる薔薇さまがこうして目の前にいらっしゃるのにどうして落ち着けよう。
 ……それでもこのままではらちがあかないのも確か。思い切って尋ねてみることにする。声がうわずっているのはご愛敬だ。
「あ、あの! 私なんかにいったいどんなご用でしょうか?」
 それに対して返ってきた紅薔薇さまの言葉は予想を遙かに超えたものだった。
「ええ、祥子の大切な友達のあなたに、昨日祥子と一緒にどこへ行っていたのか教えてほしいのよ?」
 硬直。
「ど、どうして?」
 それを言うだけで精一杯だった。どうして紅薔薇さまが昨日のことを知っているのか、いっしょにいるところを目撃されでもしたのだろうか?
「わざわざ猶予をあげたのだから。あの子は恥をかかないように、私たちに恥をかかせないようにって練習をするに決まっているわ。あの子がそれを頼める相手なんて限られている。令はもちろん祐巳ちゃんや由乃ちゃんにも確認済み。だとすれば可能性はあなただけ」
 祥子の行動はみんな紅薔薇さまの手のひらの上だったというわけか。
「祥子に新しくそんなお願いをできる友達が増えたのは嬉しいことだわ。あの子のお姉さまとしてお礼を言うわね。ありがとう。ぱっと見、つきあいづらい所もあるけどいい子だから。これからもよろしくね」
「あ、いえ、そんな。むしろこちらの方こそなんというか。それにお礼を言われるほどのことでは……」
「で、昨日どんな練習をしていたのか教えていただけるかしら?」
 そんな私をにこにこと眺めたまま、もう一度尋ねてきた。
 笑顔なのに大迫力。
 しかし、ここは友人として祥子の練習を無意味な物にしないためにも、黙っているべきだろう。
 …………
 …………
「大丈夫、悪いようにはしないから」
 祥子……ごめん。


〜3〜
 バスがM駅前に到着した。駅の時計に目をやると待ち合わせ時間よりも二十五分前。
 これから祥子と志摩子といっしょにお出かけなのだけれど……さすがにそれなりに見える行き交う人たちの中に二人の姿はない。バスの時間があったにしても少し早く着きすぎたようだ。
 バスを降りて待ち合わせ場所の時計のそばに立って二人を待つ。
 暫く待っていると、駅のロータリーに小笠原家の車が入ってきた。こんな駅前に乗り付けるとやっぱりというかあからさまに目立つ、ナンバーまでは覚えていないけれど見間違えようがない。
 私が来てからそんなに時計の針は進んでいない。あの子も早いわね。
「お嬢さま、行ってらっしゃいませ」
「ええ、ありがとう」
 運転手さんにお礼を言って車を降り、私の方に小走りでやってくる。
「ごきげんようお姉さま、お待たせして申し訳ありません」
「ごきげんよう。気にしなくて良いわ、待ち合わせ時間よりもだいぶ早いしね」
「ありがとうございます」
「あとは志摩子だけだけれど……来たようね」
 駅から次々にはき出されてくる人ごみの中に志摩子の姿が見えた。
「みんな少しせっかちな人間なのかもしれないわね」
 くすくすっと笑う。これが聖あたりとだと、少し?早くに待ち合わせ時間を指定しておかないといけないのだけれど、このメンバーだと逆に遅くしておいた方がいいかもしれない。
「そうかもしれませんね」
 私たちの姿を見つけた志摩子が駆け足でやってきた。
「ごきげんよう、紅薔薇さま、お姉さま」
「ええ、ごきげんよう」
「ごきげんよう。志摩子も早いわね」
 まだあと二十分もある。
「お待たせしてはいけないと思ったので」
「ありがとう。みんな同じ考えだったわね」
「行きましょうか?」
「そうね」


 電車に乗ってK駅に移動……やはりK駅前は人の数が多い。
「やはり、K駅の方は人が多いですね」
「そうね。こちらを待ち合わせにしていたら探すのも面倒だったところね」
「それで、どこへ行くのでしょうか?」
 最初は美冬さんが祥子に案内した店の一つ、駅の近くのアクセサリーショップから始めることにする。
「ええ、こっちよ」
 最初の店のアクセサリーショップに向かって人通りが増えつつある駅前通りを歩いてゆく。
 大通りに面して並んで立っているビルの一つの一階。大きなガラス窓ごしに店の中に並んでいるアクセサリーの数々が見える店の前に到着した。この店は前に、祐巳ちゃんとのデートコースを相談されたときに聖に勧めたこともある。
「ここよ、少し見ていきましょう」
 祥子はぴたりと当たったことで、嬉しそうな笑顔を浮かべている。
 ガラスごしに見える店の中には女子学生が何人か並んでいるアクセサリーを見ているのが見える。あの中にリリアン生もいるかもしれないけれど制服を着ていないとわからない。
 三人そろって店の中に入って彼女たちの仲間入りをすると、彼女たちの中に私たちの姿を見て驚いている二人組を見つけた。きっと彼女たちはリリアンだろう。二人にほほえみを送るととたんうれしそうな顔に変わる。それを見て、祥子と志摩子も習った。
「さすがにファミリーでそろっていると目立つものね」
「そうですね、この辺りはリリアン生も多いですしね」
 彼女たちに目をやると嬉しそうに話をしている。きっと私たちの話だろう。
 別に私たちが見られるためにここに来たのではないし、当初の目的通りに並んでいるアクセサリーを順に見ていくことにする。
 …………
 …………
 美冬さんは祥子のために雑誌やインターネットでずいぶん調べたらしい。私もよく情報を仕入れているけれど、知らない店や最近できたばかりの店もピックアップされていた。祥子も本当に良い友人を持ったものだと思う。
 そして、祥子もなかなかというか、一度しか来たことがないのに来慣れているかのように堂々としている。……まあ、堂々としているというのでは、大抵の場所では堂々としているか。
「お姉さま、これを卒業式の時に胸につけてみませんか?」
 ビーズアクセサリーが並んでいる棚から紅いビーズでできた薔薇の花のブローチをとってみせてくれた。特別何かあるアクセサリーではないけれど、良いかもしれない。
「祥子もつけて送辞と答辞ね、紅薔薇姉妹がそろってするなんて滅多にできることではないしね……何かやるのも良いわね。その手の一つとして考えておきましょう」
「申請するなら私の方でしておきますね」
「そうなったらお願いね」
「はい」
 ……むしろ、あまり来慣れない雰囲気に志摩子の方がとまどっているように見える。きょろきょろとあちこちに目をやったりしていて、アクセサリーを見ているという感じはあまりしない。
「どう? 志摩子、何かほしいもの見つかったかしら?」
「え? いえ……」
「そう、ほしいものが見つかったら買ってあげるわね」
「え? 良いんですか?」
「もちろんよ」
「ありがとうございます」
 戸惑っている志摩子の態度をほぐそうと思ったのだろうけれど、同時に自分は大丈夫だというのを前に出そうともしていたのだろう。そしてその考えがいきすぎて、あまり深く考えていないように思う。
「祥子」
「はい」
「それは私に祥子が気に入ったものを買ってほしいという遠回しのおねだりなのかしら」
「え? ……えっ、ち、違います!」
 とたん慌てて否定する。反動なのだろうその分の慌てっぷりがおもしろい。
「くすくす、冗談よ。でも、それも良いわね、祥子もほしいものが見つかったらいいなさい、私が買ってあげるわ」
「……ありがとうございます」
 申し訳なさとうれしさが混じり合った言葉だった。
「志摩子にも買ってあげるわね」
「良いんですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます」
 暫く見て回った後、志摩子はプラスチック製の貝殻のネックレスをえらんだ。白と水色がきれいだけれど買ってもらうということで安いものの中から選んだようだ。
 一方の祥子は……あの赤いビーズの薔薇のブローチを二つ。許可は取るという宣言なのだろう。良いと思ったのは事実だしいいか。


〜4〜
 アクセサリーショップを出たあと、決めていたとおりに他の店に移った。
 私がみんな知っているとわからない程度に同じ店や似たジャンルや雰囲気の店をコースに混ぜ、残りは祥子も行ったことがあったりありそうな店を回った。
 そうやって、あちこちの店に寄っている内に日も暮れてきたし、あと二つか三つが良いところだろう……というわけで仕掛ける。
「結構遅くなってしまったし、どこかで食べていきましょうか?」
「そうですね」
「家に連絡を入れても良いでしょうか?」
「ええ、もちろんよ」
 そう言ってから辺りをきょろきょろとし始めた志摩子。携帯電話を持っていないから公衆電話が辺りにないかさがしているのだろう。携帯電話を差し出す。
「はい、使って」
「ありがとうございます」
 祥子の方は、志摩子の様子を不思議そうな顔をしながら見ていたのだけれど、済まなさそうな顔に変わってしまった。
「もちろんあるところにはあるけれど、最近公衆電話を見かける数が減ってしまったわね」
「……携帯電話が普及してしまいましたからね」
「そうね、だからこそ携帯電話が繋がらなくなってしまったら公衆電話の前に長蛇の列がなんてのをニュースで見たりするけれど、ああいったのはどうにかならないものかしらね」
「そうですね……リリアン生の場合はもともとですけれど」
「逆に、電車が止まったときに駅の公衆電話に携帯を持っていないリリアン生が殺到して行列なんてことが前にあったわね。携帯電話を許可すればいいのだろうけれど、なかなかね」
「ふだんは必要ありませんから、難しいでしょうね」
 携帯電話について話をしている内に志摩子が連絡を終えてお礼の言葉を添えて携帯電話を返してくれた。
「それじゃ、行きましょうか?」
「はい、どこで食事を取りますか?」
「そうね……ちょうど近いし、あそこにしましょう」
 指さしたその先には、祥子が練習では行っていない世界的にも有名なハンバーガーショップがある。
「あ、あそこですか……」
 失敗したというのが表情にありありと浮かぶ。練習の時昼食は百貨店の喫茶店で取ったし、夕食はお礼をかねて行きつけのレストランに行ったから、ここは初心者。店自体は何度も見かけていたのだから、こういったファーストフードの店こそ案内してもらうべきだったけれど、そこまでは祥子も美冬さんも頭が回っていなかった。
 よしよし、時間が時間だけにねらい通りに店内は混雑していて、レジも四列縦隊になっている。
「何か問題でも?」
「い……いえ、何も問題ありません」
「あの、ずいぶんと混んでいるようですし、他の店を当たってみるのはどうでしょう?」
 ちょっと驚いた。まさか志摩子が私に口を挟んでくるなんて。祥子の表情から何か感じ取ったか。
 驚いた反面、嬉しいことでもある。本当に嬉しいことでもあるのだが……今回に限っては認めない。祥子、安堵の表情を浮かべるのはまだまだ早いわよ。
「確かに志摩子のいうことも一理あるわね。でもこの時間だとどの店でもさほど変わらないでしょう。むしろ、下手な店よりもファーストフードの方が待つ時間が少ないくらいよ。それに……」
 少しもったいぶって言うことにする。
「それに、たまにはファーストフードショップで締めるなんていう普通の女子高生っぽいことも良いかな? と思ったのよ。どうかしら?」
 ……まぁこう言ってしまえば結果は火を見るよりも明らかだ。志摩子も祥子が納得したことにさらに反論するわけもなく。
「そう、では行くわよ」
「は、はい……」
「みんなで並ぶのも面倒ね。祥子、注文をお願いして良いかしら?」
「……は、はい。お任せください」
 ぎゅっと拳を握っちゃって。今までの堂々とした態度から突然おどおどとし始めてしまったから志摩子が何事かと心配そうに祥子のことを伺っている。
「志摩子は何が良い?」
「あ、はい……このチーズバーガーセットを。ドリンクはオレンジジュースを」
 ファーストフードに入るのは初めてなのかもしれないと思い至ったのだろう、親切にもメニューを指さしながら単純なセットメニューを頼んだけれど、私は違う。
「私は……そうね。テリヤキキノコバーガーに、かにチキにサラダ。ドリンクはホットレモンティーをお願いするわ。あとこれクーポン。祥子も使って良いわよ」
「え? え?」
「もう一度言いましょうか?」
「だ、大丈夫です」
「じゃあ、私たちは座って待っているわね」
 志摩子は私の行動が納得できないのだろう不可解を表情に浮かべている。クーポンはみんなで使えるはずなのに先に志摩子は何にするのか聞いたのだから、何かたくらんでいるというのはわかっただろう。
 声をかけると「良いんですか、紅薔薇さま?」と言いたげだったけれど口にまではしなかったので、あえて無視して祥子をレジ前に残して空いている席に向かった。
「お姉さま、ここは初めてなんですよね?」
「ええ、ここは初めて。でも、今日行ったところの半分は二度目のはずよ」
「え? そうだったんですか」
 そうは見えないのも当然。私だって知らなかったらまさかそこまでとは思わなかっただろう。けれど、ここに来て本当に初めてだとどうなのかをありありと見せてくれている。
 祥子は席に座ると店の人間が注文を聞きに来てくれるような店ではないというのはわかったようで、みんなと同じように列に並ぼうとするのだけれど、四列の行列のどこにどんな風に並べばいいのかから迷っている。
「……いえ、どうしてそのことを紅薔薇さまがご存じなんですか?」
「それはね。美冬さん、知っているわよね?」
「はい」
「祥子は先週彼女に案内してもらっていたのよ」
「……そうだったんですか」
 納得したようにゆっくりとつぶやく。
「ええ、全然そうは見えなかったのはやっぱり頑張りやだからね。あ、やっと並んだわね」
 ついにというべきか、漸くというべきか列に並んだ。そして列に並びながら、前の方で今注文をしている人たちのことを観察している。
「無事に注文できると思う?」
「たぶん……できると思いますけれど」
「本当にどうにもしようがなくなっていたら、助けに行きましょう」
「……はい」
 見ているとクーポンを使っている人がいるし、お手本を見れば問題なく頼めるだろう。現金が足りなくてクレジットカードを出して拒否なんて展開になればおもしろいのだけれど、さすがに難しいか……ああ、こうなるとわかっていればスマイルもお願いしてみればよかったかも。
「紅薔薇さま……何を考えているんですか?」
「いえ、スマイルもお願いしておけばよかったな〜ってね」
「そんな……」
 意地悪なことをとまでは続けなかった。
「でもああやって祥子のかわいいところが見えるならそれも良いんじゃない?」
「……」
 志摩子も内心そう思ったからか、私に言うことを遠慮したのか否定しなかった。
「志摩子は祥子と学校以外でも仲良くしている?」
「……ええ、お姉さまにはよくしてもらっています」
「祥子とこういうふうにお出かけとかしたことある?」
「いっしょに出かけたことは少しなら」
「そう」
「あとは、お姉さまの家に泊まらせてもらったことも少し」
「正月の時にも何度か来ていた感じがあったしね。でも、今日みたいなところには来たことはない」
「そうですね……お姉さま自身そうだったわけですから」
「二人ともそうなら当然でしょうね。ちなみに今日はどう? 楽しかった?」
「はい、楽しかったです」
「それはよかった。単に来慣れていないのではなくて、苦手だったら申し訳ないことをしてしまっていたところだったわ」
 ここは100%本当。即答してくれてよかったと思う。
「どうして、こんなことを?」
「理由はいくつかあったのだけれど……二人のことが心配だったというのもあるわね」
「心配、ですか?」
「ええ……さっき、無理矢理ここにしてしまってごめんなさいね」
「いえ、私は良いですけれど」
「それはよかった。私相手だとなかなか言いにくいでしょうけれど、言ってくれて実は嬉しかったの」
「そうなんですか?」
「ええ……志摩子は遠慮して黙っていることが多かったけれど、せめて姉妹の間くらいは遠慮したりせずにもっと積極的になってほしいと思っていたくらいだからね」
「……紅薔薇さまから見れば一目瞭然でしたか」
「お互い様だしね。とはいえ、まだ半年。折り返し点にもきていないし、前は祥子にもそういうところあったし」
「え? お姉さまがですか?」
 祥子が私に対して遠慮していたことに驚いたようで私の言葉はまだ途中だったけれど聞いてきた。
「そうでしょう? 今だって、嫌われてしまうのが怖くて言いたいことがあっても口をつぐんでしまう。色々といえるのは、言っても大丈夫だって安心している相手に安心できることだけ……本当はすごく臆病なのよ」
 志摩子は祥子の行動を思い出して、そうかもしれませんとうなずきながら答えた。
「それでもだいぶ成長した方よ。前は自分の意見を伝えるのが本当に苦手で、よくムッとしたまま何かに腹を立てていたくらい」
「紅薔薇さまが変えさせたんですか?」
「それもあるわね。言いたいことがあるならはっきり言いなさいってかなりきつく言ったのよ。黙ったままじゃ何を思っているのか、考えているのか全然伝わらないってね。まあ、そのときは何が言いたいのかわかっていたけれどね」
「……」
「祐巳ちゃんみたいによく表情に出る子だって表面的なことはわかるけれど、本当のところはわからない……それで、あの二人喧嘩したことあったわよね。まあ、聖が鈍感なのがことを大きくしてしまった原因だけれど」
「バレンタインデーのことですね」
「そう。祥子も、祐巳ちゃんも、聖も、志摩子も、みんな理由も違うし、行動も同じじゃないから例えとしてはよくないけれど……言いたいことはわかった?」
「……紅薔薇さまは、どこまで知っているんですか?」
 私の問いには答えずに、志摩子にとって一番重要なことを聞いてきた。
「ほら、私ってあの聖を根負けさせてしまうほどのお節介焼きでしょう?」
 深刻にとられてはいけないからおどけたような口調で軽く冗談を言ってから、理由を続ける。
「そんな性格しているから、色々と調べてしまうのよね……当事者から話を聞いたわけじゃないけれど、たとえば住所や電話番号一つからでも色々と想像はできるでしょう?」
「……そうでした」
 志摩子が他人と接点をできる限り持たないようにしていたのは、自分が去るときのことを考えてというのが大きいだろうけれど、秘密が漏れるのを防ぐためでもあったのは間違いない。
「理由のことは置いておいて、姉妹の間ぐらいは遠慮なしに何でも言えるようになったほうが良いと思わない?」
 志摩子は暫く考えたあと、「……まずは……また来たいって、お姉さまにお願いしてみます」と答えた。
 その答えにほほえみを贈る。
 祥子の方に目を移すともうすぐ祥子の番がやって来るようで、前の人がトレイを受け取っているところだった。
「改めて思ったんですけれど、紅薔薇さまって世話好きですね」
「やっぱり志摩子にもそう思われていたか……でも、本当は気になる人と関わりを持ちたいだけなのだけれどね。どうしてか私が気になる人は大概周りから『面倒くさい人』と言われるのよ」
 祥子は緊張しながらだけれど、きちんと注文をしてクーポンもちゃんと出した。どうやら問題なくいきそうだ。
「……白薔薇さまに、お姉さま。そして、私、ですか?」
「そんなところね」
「……お姉さまは紅薔薇さまに救われたからこそ私を妹にしようとしたのかもしれないと言っていました」
「そう。伝染っていたのかもしれないわね。でも、あのとき祥子のほうから踏み出したのよ。そうでなければ私は妹にできなかった」
 あのときお姉さまたちから枷をはめられ、そして私の方が祥子に遠慮していた。
「そうだったんですか」
「ええ、祥子が言いたいことを言えるようになったのも、自分から踏み出したから。周りが何かきっかけを用意するだけでは足りないのよ」
 志摩子は私が何を言いたいのかはわかったようで、そのことを考えているようだ。
 暫くして質問をぶつけてきた。
「……紅薔薇さまは、卒業して今までの人間関係を失ってしまうことは寂しくないですか?」
「寂しいか、そうね。少し寂しいかもしれないわね。けれど、出会いがあれば別れもあるのは当然のことじゃないかしら?」
「はい」
「それにね。別れといっても今生の別れって訳じゃない。リリアンという舞台の一つから降りただけ、リリアンの人間でなくなっても、私は祥子のお姉さまだし、聖の親友であることにかわりはないのよ」
「……私も……踏み出せるように努力してみます」
「それがいいわね。それと、私が志摩子のおばあちゃんであることもかわらない。何か困ったことがあったらいつでも相談してね」
 嬉しそうにほほえみながら「ありがとうございます」とお礼を口にした。
 話がとぎれてから少しすると、三人分のメニューをトレイに載せて祥子がやってきた。
 最初は祥子のことだから商品は店員が持ってきてくれるとばかり思って手ぶらでこっちにやって来るというような展開を希望していたのだけれど、前に並んでいる行列を観察してどうするべきなのかわかってしまったからそうはならなかった。すいている時間帯だったらやってくれただろうか。
「ご苦労さま。きちんと注文できたわね」
「ええ、もちろん」
「もっととまどったりすると思っていたのだけれどね」
「お姉さまは相変わらず意地悪ですね」
「ええ、かわいい妹にはつい意地悪をしたくなってしまうの。この気持ち志摩子もわかるでしょう?」
「……さぁ、私にはまだ妹はおりませんので」
 援護を期待していた志摩子にお茶を濁されてしまって祥子はすねてしまった。顔をふくらませながらトレイを少し荒々しく机におく、本当はもっと激しくやってしまいたい気分なのだろうけれど、私たちだけでなく周りには大勢の人がいるのだから注目を集めてしまうようなまねはしない。そんな態度をするからこそだっていうのに……まあわかってそこを直されても楽しみが減ってしまうしそのままにしておこう。
 そうしてハンバーガーを食べようとしたとき、ふと祥子が何かがないとでも言いたげな雰囲気でトレイの上を探しているのに気付いた。
 自分のハンバーガーを持ち上げ、今度はポテトを、さらにウーロン茶の紙コップまで持ち上げて……何を探しているのだろうか?
 やってくれた!
 今の私の心の声を文章にしたら最後には音符が付いている。最後で期待通りのことをしてくれた。
 そんな祥子を自分のバーガーを食べながら鑑賞していると、さらにトレイの中敷きの紙までひっくり返した。そこで志摩子が「あの、お姉さま」とおそるおそる声をかけた。
「え?」
 志摩子の声で顔を上げた祥子は志摩子の手に持っているバーガーを奇妙なものでも見つけたように見、そして私の三分の一ほど食べられたバーガーを見、さらに私の顔を見て悔しそうにうつむいた。
「お姉さま気付いたなら、教えていただければいいのに」
「あら、私は志摩子に聞くのを待っていただけよ。もう祥子がここに縁がまるでなかったことはわかってしまっているのだから、わからなければ変に意地を張らずに聞けばいいだけなのに、志摩子の方から声をかけさせてしまうなんてね」
 そんな恥ずかしいまねできないと思って、より恥ずかしいまねをしでかしてしまった。
「……そうでしたね」
「ひょっとしてサンドイッチのことですか?」
「ええ、そうね」
「志摩子は知っていたの?」
「はい、前にお弁当をいっしょに食べたときに」
「そのときのことが聞きたいわね」
「学園祭の少し後でしたけれどおかずの交換ではなくて一つのお弁当をいっしょに食べようと言う話になって、そのときにお姉さまが持ってきたのがサンドイッチだったんです」
「そのときはフォークとナイフが付いていたと」
「ええ、そのときに話を聞きました」
「暫くそんなことはなかったので忘れてたんです」
「ちなみに逆の時はどうだったの? 祥子の好き嫌いにあわせていたらメニューは限られてしまうわよ」
「そんなこともないです。野菜全般がだめだとかそんな極端ではありませんから」
「志摩子のお弁当はおいしかったですよ……ギンナンだけはだめでしたけど」
 取り繕うのはやめたようだ。
「ギンナン? ひょっとして並木の?」
「あたりです。落ちたギンナンを集めてるんです」
「なるほどね。集めている人がいるのは知っていたけれど、身近にいたのは少し驚きね。祥子の場合は味の前に、あのつぶれたギンナンがだめなんでしょうけれど」
「ええ、その通りですよ。どうにも好きになれません」
「先入観ってなかなか大変なものですね」
「そうね」
「……そう、お姉さまどうです? 三人でお弁当を食べませんか?」
 祥子の言葉に驚いてしまった。まさかそんな提案をされるなんて全然考えたことなかった。
「何かまずかったでしょうか?」
「ううん、まさかそんなことを言われるなんて思ってもいなかったから驚いただけ。嬉しいわね……思い返せば薔薇の館で三人そろったことは何回かあったけれど、初めから三人でと約束したことはなかったのね」
「志摩子も良いわよね?」
「はい、もちろん」
「それじゃあ早速明日のお昼からね」
 目的もきちんと果たせた上に予想外の嬉しいことを言ってくれたし……この辺りまでにしよう。
「さてと、祥子のかわいいところも見れて満足したし、あとのコースは祥子に任せましょう」
「え? 私にですか?」
「そう、私と志摩子、二人ともが楽しめそうなところをお願いするわ」
 私のお願いに自信たっぷりの祥子が甦って「お任せください」と胸を張りながら答えた。
 きっといい心当たりがあるのだろう。どこへ連れて行ってくれるのか楽しみ。


 月がビルの上に顔を出し始めた頃になって漸くM駅まで戻ってきた。
「今日は楽しかったわ。つきあってくれてありがとう」
「私の方こそ、ありがとうございます」
「私もありがとうございます」
「明日のお昼にね」
「はい」
 ホームで別れる。
 待ち合わせの時と違って多少混雑していても良いのだから、祥子はK駅に直接迎えを寄こしてもよかったし、志摩子もそのまま下り線に乗っていけばよかったけれど、こうしてわざわざ私にあわせてくれた。
 祥子といっしょに階段を上る。
「ねぇ、祥子」
「はい、なんでしょう?」
「今日は本当に楽しかったわ」
「そうですか、お姉さまに楽しんでいただけてよかったです」
 だいぶ意地悪をされたことを含めても本心からそう思っているのだろう。祥子の笑顔に曇りはない。
「……今日行った店、自然だった?」
「はい?」
 何のことを言っているのかわからずに首をかしげてしまった。もう卒業は間近だというのにそこまで祥子を手のひらの上にできてしまうのは多少心配かもしれない。
「……どういうことでしょうか?」
「先週の予行練習のこと美冬さんから聞き出したのよ」
「どうしてそんなことを?」
「祥子にも新しい親友ができたことが嬉しかったというのもあるわね」
「そうなんですか?」
 それがどう繋がるのか結びつかないようで少し首をかしげた。
「ええ、とてもね。でも今度改めて紹介してね」
「そうでした、すみません」
「ううん。そんなことを言っているんじゃないけれど、祥子が私なしでもやっていけるか少し心配だったのよね」
「お姉さま?」
「でも……どうやら、安心できそうね」
「私は大丈夫です」
「ええ、そうね。今日はそれがわかって嬉しかったわ。それにお弁当の約束なんかはぜんぜん想像もしていなかった収穫だったし……私の方から言い出したのにごめんなさい。湿っぽい話はもうやめましょう。また、遠くないうちに三人でどこかに出かけましょう」
「はい、喜んで」
 祥子は弾んだ声で返してくれた。
 二人そろって改札を抜ける。
「改めてまた明日ね」
「はい、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 私はバス乗り場へ、祥子は待たしていた車の方へ、別々の方向に歩きだす。
 明日のお昼のことを考えると自然と足どりは軽くなっていた。


つづく