〜1〜 週明けの月曜日の授業も終了。 自由登校になってから、はや二ヶ月。優等生の蓉子なら当然のことだろうけれど、不真面目なこの自分がまだ最終時限目まで授業に出ているのは我ながらちょっと驚き。 これで特別な理由さえなければ、自分で自分をほめてあげたいところだけれど、今日最後までいたのは土曜日に祐巳が教えてくれた江利子の情報があったから。彼女じゃないがこんなおもしろい事態を見逃すには惜しい。 さてさて、これから先どう話が転ぶことやら。 私たちの次に事の真相に気づける立場にいたはずの令があんな具合な以上、祐巳たちではまず正解にはたどり着けないだろうし。実際、土曜の時点での祐巳たちの推論はとてもまっとうな、それ故に大外れなものだった。 このままさらに勘違いを深めてみるのもおもしろいけれど、令が今のままっていうのは、やっぱり大変だろうし、そろそろ頃合いだろうか? そう思って薔薇の館に向かっている途中で、新聞部員がかわら版を配っているのを見つけた。 「ごきげんよう白薔薇さま」 「うん、ごきげんよう」 「……ご入り用ですか?」 何となく気まずそうに聞いてきた。 周りを見るとみんなかわら版を読んではわいわいしている。 何か、私にはあまり見せたくない話題かな? 一つもらって、中庭のベンチに座ってかわら版を広げた……黄薔薇さまの交友関係特集。 「なんだ、もれてたのか」 祐巳たちだけじゃなくて、三奈子たち新聞部にすっぱ抜かれていただなんて、江利子もガードが甘いな。 でも、これはおもしろそうだ。三奈子もとんでもない勘違いを犯して、こんなおおっぴらにしてしまった。さてさて、どんな風に事態を収拾するのやら。 「ん? なにこれ?」 記事の下の方の写真に気づいた。こんな男は見たことない。これはいったいだれだ? 最初から、しっかりと読み直していく。 ………… ………… 要約すると、ABCDの四氏と連日援助交際にあたるデートをしていたけれど、そんな生活に疲れてきていたときにE氏と出会い、そんなことをしていてはいけないと諭され、そのE氏に恋をするというストーリーが書かれていた。 掲載されている写真はABCD氏とのデートのワンシーンのうち、相手の男性の個人が特定まではできないようなものがそれぞれ小さく一コマずつ。そしてE氏といっしょに動物園の象をバックに焼き芋を一緒に頬張っている姿が大きく一枚。 ふむ……このE氏は江利子の射角にぴったり入りそうな風貌だ。 三奈子はこの記事によほど自信があるのだろう。前に比べれば推定の語尾が少ないし、たぶん江利子が「結婚したいな」なんて言ったところは実際に見たのだろう。 ……前半だけなら、よかったのだけれどこれは心配だ。 「……薔薇の館に行くか」 祐巳たちに種明かしをしてやらないといけないし、蓉子も来ているかもしれない。薔薇の館に急ぐことにした。 〜2〜 ち、沈黙が重い。 薔薇の館の今の空気を支配しているのは祥子さま。 祥子さまへの秘密は予想もしなかったルートでばれてしまった……祥子さまの目の前におかれているリリアンかわら版。さっき発行されたものなのだけれど、その内容は私が考えていたものにかなり近かった。四分の三はぴったり一致していたと言っていい。 「……志摩子、おかわりをお願いできるかしら?」 「は、はい」 志摩子さんがすぐに紅茶のお代わりを準備する。 祥子さまが「それにしても……」とつぶやいてため息をついた。 どのことについてそれにしてもと言っているのか、たぶんいろんなことについて。そしてその中には私が祥子さまに黙っていたって言うことも絶対に含まれているし、志摩子さんが私たちが調べていることを知っていて黙っていたってことも含まれていると思う。 うう、この空気はつらい、つらすぎる。 まだ、『黄薔薇さまが援助交際なんて!』とか『こんな記事を書いて!』ってヒステリーを起こしてもらった方がましかもしれない。 でも、この空気では私は何も言うことができない。黄薔薇の二人は大事を取ったという感じなのか姿を見せず、律儀に約束を守ってくれてしまった志摩子さんも何も言えずでこの状態がさっきから続いている。 もう誰でも良いから、この空気をなんとかして! お願いします。マリア様、誰かなんとかできる人をここへお願いします! そうお祈りしているとマリア様へのお願いが通じたのか、誰かが階段を上ってくる音が聞こえてきた! マリア様のお使いかもしれないお方は……この音は紅薔薇さまのものだろうか? 紅薔薇さまならきっとなんとかしてくれるはずだ。 予想通り紅薔薇さまがドアを開けて中に入ってきた。 「ごきげんよう。この空気はどうかしたのかしら?」 なんだか楽しそうな紅薔薇さま。かわら版で黄薔薇さまのことが流れているのをご存じないのだろうか? それとも土曜日に言っていたようにお姉さまが連絡していて、紅薔薇さまにとっては想定の範囲内の出来事にすぎないのだろうか? 「このかわら版の記事のせいですわ」 「かわら版ね、見せてもらうわ」 祥子さまからかわら版を受け取って目を通し始める紅薔薇さま。 「どうぞ」 祥子さまの分にあわせて、紅薔薇さまの分も紅茶を入れた志摩子さんが紅薔薇さまの前にそっとティーカップを差し出した。 「ありがとう」 そうお礼を言ったけれど、その紅茶には手をつけずにかわら版をじっと見つめたままだった。 暫くして、かわら版をテーブルにおいた。 果たして紅薔薇さまのコメントは? 「まずはみんなの誤解を解いておきましょうか」 「誤解、ですか?」 「ええ」 紅薔薇さまが話そうとしているところに、お姉さまが階段を上ってくる音が聞こえてきた。しかも、ちょっと焦り気味だろうか? 「ごきげんよう、ああ蓉子。来てたんだ。見た?」 「ええ、今さっきね」 「みんなには?」 「これから、聖が説明する?」 「いや、任せる」 「そう」 お姉さまが私の隣の席に座る。 いったいどんな誤解だというのだろうか、紅薔薇さまの言葉を待つ。 「まず、このかわら版で言うAからD氏の四人だけれど、四人とも江利子の父兄よ」 …………、え!? 今、なんとおっしゃられました? 「江利子のお父さまとお兄さま方たち。あの家族は末っ子の江利子に熱を上げすぎなのよね」 なんですと? 「つまりはある意味、家族サービスみたいなもんなわけだわ」 そんなに、あっけらかんと……そうか、お姉さま自信満々に大丈夫だって言っていた理由は四人の正体がわかっていたからだ。 何と言っていいのか全然言葉が出てこない。 「で、では、E氏は?」 「さて、それが問題。この中で今日の江利子の様子を知っている人はいる?」 「あ、はい。その後の方の黄薔薇さまが結婚したいなと言ったとか、その話って一限目の終わりに私が黄薔薇さまと話した内容なんです」 「なるほど……」 それから、そのときの様子をできるだけ詳しく話したところ、お姉さまと紅薔薇さまの間で、「ストライク?」「でしょうね、それもど真ん中絶好球」なんて言葉が交わされた。 なんで突然野球? と思っていると、続けてそれを説明してくれた。 「このE氏は変わり種、江利子をふぬけにした容疑者ね。もっとも今の時点ではそれ以上のことは何も言えないけれど」 「紅薔薇さま、E氏と黄薔薇さまのことを心配されるのはわかりましたけれど、真相はともかくこのような形でかわら版が出されてしまったことは大丈夫なのでしょうか?」 志摩子さんが疑問をぶつけたけれど、言われてみればその通りだ。これを学校側が本気にしたら、誤解を解くのも大変なことになってしまう。 「三奈子には前科が二つもある上に、江利子のお父さまはPTAの副会長をしているから電話一本で解決する話よ」 そうか……なら、大きな騒ぎにはなるかもしれないけれど、大問題ということにはならないかもしれない。 いや、まあ大きな騒動になるだけでも困りものだけれど、予想されていた事態からするとだいぶ楽だろう。 「江利ちゃんは大事にされすぎだよねぇ、ね。祐巳」 いや、コメントを求められても困ります。 それにしても、黄薔薇さまがただ者でないことは周知の事実だったけれど、そのご家族もただ者ではなかった。方向性は、本気でいかがなものかと思うけれど。 『三年菊組、鳥居江利子さん。至急生活指導室に来てください』 のんきな音楽がイントロの校内放送が聞こえてきた。 「……本気にした?」 「まさか」 でも、無関係ということはないだろう。そう言うわけで、みんな生活指導室に急行することにした。 〜3〜 生活指導室で起きた出来事は……本当に現実におこったことだったのだろうか? 夢ではないだろうけれど、あまりの展開のめまぐるしさと突拍子もなさに現実感が薄くなってしまう。 ABCDの四氏は確かに黄薔薇さまのご家族で、そして……みんな筋金入りの親バカと兄バカだった。 黄薔薇さまが呼び出された理由は、放課後になって一気に出回ったあのリリアンかわら版にかかれていた内容のことではなくて、あの四人が職員室で大騒ぎしたために呼び出されたのだった。 けれど、そんな四人が学校に来た理由はやはりリリアンかわら版だった。 ただし、私たちが持っているかわら版ではなくて、その下書きというか没になった原稿というか、とにかく正式に発行される前のものだった。どういう経路で流出したかは知らないけれど、いくつかのヴァージョンが鳥居家にリリアンの事務室に勤める黄薔薇さまの親戚の手を通して渡ったのだ。その中に、E氏がリリアンにつとめる若い男性教諭みたいな話があったりしたこともあって、四人が押しかけてきた上にE氏を出せと大騒ぎをしたんだそうな。 「……信じられない」 「江利子のところはすごいでしょ」 「すごいって言うレベルなんですか?」 いや、うちのお母さんも私がついて行けないところがあるくらい暴走してしまったりしますけれど……それでも、あそこまではとてもいかない。 「江利子もやるからバランスとれてるんじゃない?」 そう言う問題なのだろうか? ただ……黄薔薇さまもすごかった。 蔦子さんがどこからかE氏を連れてきて場が修羅場に発展しかけたところで、突然のプロポーズ……まさに生活指導室は混沌の渦にたたき込まれてしまった。それが収束したときには、黄薔薇さまと、E氏……山辺先生は交際が公認されることになってしまっていたのだ。前代未聞にもほどがある。 「それにしても……私たちって何だったんでしょうね」 一番の被害者は令さまだけれど、私たちも心配したり、黄薔薇さまも追いかけたり……その答えがこれでは、妙なやるせなさが出てきてしまう。 「まぁ、気を落とさない。江利子とつきあっていくのにそんなので気を落としていたら体がいくつあっても足りないよ」 まったくだ。そう相づちを打っていると正面からばたばたと音を立てながら駆け寄ってくる由乃さんの姿が見えた。ひいっ、すごい形相。 ……あ、そうか。由乃さんはあの場にいなかったから、本当のことを知らないんだ。ま、まさか、黄薔薇さまにくってかかるつもりだろうか!? 「黄薔薇さま!」 「何かしら?」 「何かしら、じゃないわよ! 令ちゃんがあんたのせいで倒れたの知らないわけ!?」 令さまが倒れた? まさかあのかわら版の記事を見てショックで倒れてしまったとか? 「令が倒れた? どういうこと?」 「どうもこうもないわよ、どっかの誰かさんがふらふら夜遊びしている間、令ちゃんは苦しんでいたって言うのに、なにが結婚したいよ!」 「よ、由乃さん、あのね……」 由乃さんの誤解を解こうとしたら、ぬっとお姉さまが手を出してやめさせてきた。 「お、お姉さま?」 小声でいいからって言う。 まさか目の前の状況を楽しむつもり!? と思ったのだけど、お姉さまの真剣な表情からすぐに違うと分かった。 でもなんで? そんな風に考えている間にも由乃さんの黄薔薇さまへの糾弾は続いている。 「そもそも、援助交際!? 仮にもリリアンの代表でもある黄薔薇さまがふざけんじゃないわよ!」 由乃さんの大声の批判、そして罵倒を黄薔薇さまはじっと黙って聞いている……由乃さんは早とちり・勘違いで言っているって言うのにどうして何も言い返さないのだろうか。 「それなのに、それなのに……!」 最初は怒り・憤りそんなものに満ちていたのが、だんだん悔しさがにじみ出るような声に変わってきた。どうしてなのかと思ったけれど、涙混じりに叫んだ「なんで私じゃだめなのよ!」のひと言でようやくわかった。 そう、ずっと悩み苦しむ令さまを由乃さんはどうすることもできなかったのだ。そして今も。 令さまを助けることができるのは黄薔薇さまだけなのだ。 「由乃ちゃん」 「今の令ちゃんを救えるのはアンタだけなのよ! 嘘でも良いから令ちゃんを助けてよ! 姉なんでしょ!」 涙をこぼしながら懇願する由乃さんを黄薔薇さまはそっと抱きしめた。 「何で抱きしめたりなんかするのよっ!」 「だめなお姉さまでごめんね、由乃ちゃん」 何度もごめんねと言いながら優しく背中をなでる黄薔薇さま。由乃さんはその手を引き離そうとしていたけれど、やがて黄薔薇さまの胸にうずくまり泣き出した。 「……いつまでも私に謝ってないで、さっさと令ちゃんのところ行きなさいよ」 「そうね」 ぽつりとつぶやく由乃さんを抱きしめたまま黄薔薇さまはうなづいた。ちらりと紅薔薇さまとお姉さまに目を向け、二人がうなづくのを見てあらためて令さまの所へ行くと言った。 「さ、由乃ちゃん、大丈夫?」 紅薔薇さまが由乃さんを抱きかかえるのを見てから、黄薔薇さまは私の方に振り返った。 「ああ、そうだ。祐巳ちゃん、蔦子さん、あの写真貸してもらえるかしら?」 「あ……はい、いいですよ」 あの写真を使うのだろう。やっと本当に役に立つのかこの写真……ポケットから写真を撮りだして黄薔薇さまに渡した。蔦子さんも山辺先生の写真を手渡し、五人分の写真を手に保健室へ向かった。 「……」 紅薔薇さまに支えられたまま由乃さんは黄薔薇さまの後ろ姿をじっと見ていた。 「じゃ、とりあえず薔薇の館に行きましょうか」 由乃ちゃんの誤解も解かないといけないしね、というお姉さまに誤解も六回もあるのかという表情でお姉さまを見つめる由乃さん。私たちの背後にいる三奈子さまに気づいたこともあるのかその視線は相当険悪なものだ。 「……どういう事情なんですか?」 「うん、まぁ着いてからゆっくり話そうか」 「……はい」 こうして、黄薔薇さまと由乃さんを入れかえて一行は薔薇の館に向かうことになった。 〜4〜 お姉さまが呼び出しを受けた。それも生活指導室……呼び出された理由はかわら版のことだろう。 あのお姉さまがだなんて信じられない、信じたくないけれど、他の可能性を見つけることはできなかった。妹の私がそうなのだから、他の人だったらなおさらだろう。 様子を見て来るって出て行った由乃がなかなか帰ってこない。 ひょっとしたらお姉さまにくってかかっていたりしているのだろうか? お姉さまと由乃のけんか、止めなくちゃいけない。いつもだったら止めに飛んでいくようなことだけれど、今はそんな気は全然起こらなかった。 あの話が本当だとしても、それだけの深い理由があってのことだろう。でも、それならどうして妹の私に何一つ話してくれなかったのか、私なんかに話してもしようのない理由なのかもしれない。でも、それでも話してほしかった。 誰が来たのかはわからないけれど、扉が開く音が聞こえてきた。 今は誰とも顔を合わせたくなかったから、布団を頭の上までかぶった。 足音はだんだんこっちに近づいてくる。この足音は…… 「令」 ……お姉さま? 入ってきたのは今一番あいたくない人だった。いったい何を言いに来たのかはわからないけれど、布団をかぶったまま顔を出さないことにした。 イスを動かす音が聞こえる。たぶん私が顔を出すのを待つつもりなのだろうけれど、今の私が顔を出したくなることはないと思う。そう言う根比べだったら負ける気はしない。 どっちも何も話さないまま時間だけが過ぎていったのだけれど、どれほどもなくお姉さまは根比べをあきらめた。 「ずいぶん心配かけさせてしまってごめんなさいね」 ごめんなさいか……どんなことがあるにせよそうなる前に話してほしかった。 「でも、早とちりにもほどがあるわよ」 「はや……とちり?」 思わぬ言葉に布団をどけてお姉さまを見ると、軽く優しげな笑みを浮かべていた。 「私が援助交際なんて、なかなかおもしろい発想よね」 「……違うんですか?」 「もちろんよ。少なくともお金には困っていないしね」 「じゃあ……?」 「これが答え。この相手に見覚えないかしら?」 そう言って私に四枚の写真を見せてきた。 「……あれ?」 お姉さまといっしょに仲良さそうに歩いているそれぞれの相手との写真に思わず顔を背けそうになってしまったけれど、見覚えのある人との写真を見つけた。それは一番相手として問題ありそうな中年男性。あのかわら版でD氏になっていたこの人は……確か、お姉さまのお父さまでは? 「そういうことよ」 「じゃあ?」 「バカ兄たちということよ」 なんだろう。お姉さまの答えを聞いて……ほっとしたというよりも、力が抜けきってしまった。ベッドの上でよかった。これが立っていたなら間違いなく倒れていただろう。私が思い悩んでいたのはいったい何だったのだろうか。 お兄さま方とは一人しか会ったことがなかったけれど、他の二人についてもお姉さまからよく愚痴を聞かされていたのだった。どうして思い至らなかったのだろうか? 「本当にバカですね」 「ええ、ほんとうに」 二人して軽く声をだして笑う。 笑いながら、あのE氏のことを思い出した。お姉さまの家族はABCDの四人で埋まっているし、親戚か何かだろうか? 「あの、お姉さま」 「何かしら?」 「新聞部でもう一人お姉さまと男の人がいっしょにいる写真を見たんですけれど、あの人は?」 「写真? 記事ではなかったの?」 「まあ……かわら版は事務室で見つけた古い内容のものだったらしくて」 「そう、そう言うことね。かわら版でE氏になっていたこの人のことでも話があるのよ」 そう言って、あの人の写真を見せてくる。 この人にはまるで見覚えがない。年齢は三十代だろうか? 「この人は、私の恋人」 「え!?」 「あなたなら、どこが気に入ったのか、わかるんじゃない?」 「……」 じっと写真を見つめていたら『変わり種』そんな言葉が思い浮かんだ。 「そう、だから夢中になってしまった。ひどい話よね。妹が困っているときに姉はふらふらと自分の好きな人を追いかけていたんだから。どうしようもない姉よね。こんな姉に頼らなければならなかった由乃ちゃんも本当にかわいそう」 そんな。由乃は相当ひどいことをお姉さまに言ってしまったらしい。慌ててそんなことないと言おうとしたけれど遮られてしまった。 「いいから、聞いて」 「いつだってそう。私はおもしろいものを見つけたらすぐにふらふらっと飛んでいってしまう……まるで夏の虫が光に向かって飛んで行くみたいにね」 確かにお姉さまは普段は無気力だけれど、おもしろいものを見つけるととたんに元気になってそればかりになってしまう。 「そもそも、令を妹にしたのだって、この子を妹にしたら私がおもしろい、楽しいだろうって思ったから……確かにその通り、いえ、思っていた以上におもしろかった。楽しませてもらったけれど、私はお姉さまとして何ができたかしら」 「何がって」 「最後まで言わせて」 そう、私に手を合わせてお願いしてきた。こんなお姉さまは初めて見る。 「……はい」 「令だけじゃなくて由乃ちゃんに意地悪して由乃ちゃんの反応を楽しんでいたし、令を巡って争えば令が困るってわかっていて困らせて楽しんでいた……ひどい話よね。もし、令のお姉さまが私なんかじゃなくてもっと立派。いいえ、まともなお姉さまだったら、そんな苦労をすることはなかっただろうに……結局私があなたに残せたものは気苦労ぐらいよね」 ごめんなさい、謝って済むものじゃないけど本当にごめんなさい。最後にそういってうつむいてしまった。 驚いた。まさかお姉さまがそんな風に考えていたなんて。 正直、ちょっと嬉しいかも。 でもそれはそれでお姉さまの誤解はしっかりと解いてあげないと。 「お姉さま、まさか私が姉妹になったことを後悔していると思っていらっしゃるのですか?」 うつむいたまま違うの? と尋ねてくる。 「そんなこと一度もないですよ」 「どうして?」 「だってお姉さまは尊敬できる人だし……大切な人ですから」 私がそう言うと、お姉さまはゆっくりと顔を上げ弱々しく微笑んだ。 「ありがとう、令は優しい子ね」 通じていない。 今のお姉さまは慰めか情けで言っているだけだと思って信じられないのだろう。 具体的にどんなところがと言おうとして止める。そんな言い方では通じない。 お姉さまに私の気持ちを伝える方法……そうか。 「お姉さま。この私、ミスター・リリアンがどうして倒れたのだと思いますか?」 この呼ばれ方自体はあまり好きじゃないけど……この名が意味する格好いい自分を結構気に入っているのだ。でもそれは弱い自分を隠して強いふりをしているだけ。 そしてそれは本当に大切な人のことになるとあっという間に崩れてしまう。 大切な、大好きなお姉さまだからこそ私はこんなにも弱く、情けなくなってしまうんです。 「……それじゃやっぱり謝らないとね。ミスター・リリアンの名を汚すまねをしてしまったんだから」 伝わった。目を潤ませながら、さっきまでとは違う笑みを浮かべてくれている。 「お姉さま、ならひとつお願いを聞いてくれますか?」 「何?」 「これからも独り立ちできていない情けない妹の姉でいてもらいますよ」 情けない姿をさらしてしまった責任をとってもらうんですから、とさらに冗談めかして付け加える。 お姉さまの目から涙がぽろぽろとこぼれる。 ありがとう、ありがとうと心からのお礼を何度も言ってくれながら私を抱き寄せた。 ちょうど壁に掛かってるカレンダーに目がいく。誤解してしまったあの日から一週間だったのか。 たった一週間だなんて信じられないくらい長かった。幼い頃、はじめて由乃とけんかして仲直りするまでと同じくらいに。 でもいいか。今こんなに幸せなのだから。 〜5〜 「えええええ〜〜〜〜!!!!」 由乃さんの絶叫が薔薇の館に響き渡る。 気持ちはわかる。すごくよくわかる。 私たちだってびっくりたまげてしまったのだ。それが、由乃さんにしてみたらその早とちりで令さまは倒れ、由乃さんは令さまを心配し、その上黄薔薇さまを責めなじったりもしてしまったのだからいろんな意味でショックだろう。 「由乃ちゃんにも事情を把握してもらったところで、三奈子さんたちのことを決めましょうか」 「そうですね」 あまりのことに固まってしまっている由乃さんはそっとしておいて話を次に移す。 さすがにこれだけの形で誤報を流してしまったのだ。全く何もなしというわけにはいかない。ましてや前科ありの新聞部と三奈子さまなのだ。 「私たちは引退する身だし、今回は見物人でいさせてもらうわね」 「どう裁くのか楽しみにさせてもらうからね」 とは紅薔薇さまとお姉さま。 前回……新聞部というか三奈子さまがやってしまったリリアン通信の件はお姉さま方三薔薇さまが片づけてしまったから、私たちがこういうことをするのは初めてになる。 「まずは三奈子さんの言い分を含めて経緯を詳しく話してもらうというので良いかしら?」 「……」 ん? 「祐巳ちゃん、良いかしら?」 「え? あ、はい。良いと思います」 「それではお願いするわ」 ああ、そうか。私が白薔薇のつぼみだから聞いていたんだ。お姉さまたちが見ているだけだから今は私と祥子さまの二人で進めていかなければいけない。 全然自覚がなかった。そんなのじゃだめだ。しっかりしないと……三奈子さまの話をメモを取りながら聞いていくことにする。 三奈子さまの話は、順番はともかく結構私たちと話は似通っていた。 町で新聞部員が黄薔薇さまが男性……お兄さまたちとデートしているところを見かけていたのが、ある日話に上ったのだそうな。そのときに、相手の男性のイメージが全員バラバラだったから、スクープの予感を感じてみんなで黄薔薇さまを追っていた。そして、それぞれのデートの最中の写真を手に入れ、朝D氏……つまりお父さまに車で送ってきてもらうところを目撃したという話が入って、点と点が全て一直線に結ばれて間違いないと確信してしまった。 令さまのこともあったし、そこまでの情報がそろっていたら、お姉さま方のように予備知識がなければそう思ってしまうに違いない。実際私たちだって、そうだと思ってしまっていたのだし……妹の令さまでもそう思ってしまったのだ。 それで記事を書いたけれど、前科がある自分が下手な書き方をするとまずいんじゃないかって、本当に何度も何度も書き直したり何種類か書き方を変えたものを作った。今回流出したのはそのときにそれらを試しに印刷してみたもので、そのままゴミ箱行きになったから誰かがゴミ箱の中で見つけたのではないかとのことだ。 「……理由があるとはいえ、一つのことを報じるのにこれだけの原稿を書く意欲は尊敬に値するわね」 机の上に並んでいるその記事の数々……写真を差し替えたり、表現を変えたり、写真をなくしてみたり。山辺先生ではなく創作のE氏が出てきたり出てこなかったりと、内容は置いておいて本当にその意欲は尊敬に値すると思う。願わくはもっと別の方向にその力を使ってほしい。 そしてそれだけのものを全部没にしたのは、月曜日の朝、三奈子さまが黄薔薇さまの目撃、あとをつけたところ、ビンゴ。このE氏……山辺先生と会っているところを見つけたから。 令さまについては、この没になった記事をどこかで見つけた令さまが新聞部に乗り込んできたけれど、逆に確信を深めることになってしまって、そのまま倒れてしまったのだという。 さて……そんな話を聞いて、どうしたらいいものやら。 誤報を流してしまったことについては、私でも同じような記事を流してしまっただろうし、私にはそれほど強く言う資格がないかもしれない。生活指導室での一件も記事自体は没にしたのだったのだから三奈子さまの責任だけではないし、令さまのことについては不可抗力に近いと思う。 と、すると…… 祥子さまの様子をうかがってみると、ぴたりと視線があってしまった。祥子さまも私の様子をうかがっていたようだ。 「志摩子、あなたはどう思う?」 「そうですね、不可抗力な部分が多いと思いますし、直ちに訂正記事を出すことと厳重注意くらいでよろしいのでは?」 なるほど、そのあたりが妥当なところかもしれない。今までにされたことを考えると、個人的にはもっと重くしてやりたいところもあるけれど…… 「由乃ちゃんは?」 「廃部」 「え?」 「廃部よ廃部!」 廃部? いくら何でもそれはやり過ぎだろう。 「黄薔薇革命にリリアン通信、前科があるのにこの所業。もはや本人だけでなく、周囲にも責任ありよ!」 リリアンかわら版は大学や中等部にまで広まっていくような人気の読み物なのだ。もし廃刊になったら、いくらそれが新聞部の自業自得であっても一般生徒は不満を持たれてしまうだろう。それが、ましてやである。 「仮にも学校新聞という位置づけであるにもかかわらず、しっかりした裏付けを行わずに、話題性優先でスクープとして報じるなんてとうてい許されないわよ!」 確かに言っていることは正しいかもしれない。けれど、黄薔薇さまを『アレ』やら『アンタ』だの言って廊下で大声で批判していた由乃さんが言ってもどうしても説得力に欠けてしまう。半分は、黄薔薇様へのものが誤解だったから、その憤りやら怒りやらの矛先を三奈子さまに向けたということで、もう半分は令さまが倒れてしまったことへの報復だろうか? 「祐巳さんもそう思うでしょ!?」 私にプレッシャーをかけてきた。 まあ、私としても三奈子さまを動けなくできたら幸いだし、間を取って三奈子さま個人への活動停止処分あたりにするというのはどうだろうか? そう言うと、甘い!と、ぴしゃりと言われてしまった。 「だいたい、その顔に反省の色が見える?」 三奈子さまの顔をじっくり見てみる……かなり申し訳なさそうなのだけれど? 横の真美さんに至っては萎縮しているようにも見える。 「そんな演技をしたって無駄よ。この期に及んでも演技でごまかそうとするような新聞部、後顧の憂いを絶つ意味でもここはきっぱりと廃部にするべきよ!」 「あらあら、だれが大きな声を出しているのかと思ったら、さっきさんざん私のことをなじってくれた由乃ちゃんだったのね」 ドアを開けて黄薔薇さまが入ってきてそんなことをおっしゃった。黄薔薇さまの後ろには令さまの姿も見える。由乃さんに苦笑しつつも嬉しそうなほほえみがこぼれている。無事に誤解を解かれたようだ。 「誤解を招くような行動をしていたのだし、それも無理もないと思って黙って聞いていたけれど、正義感あふれる由乃ちゃんはお気に召さなかったのかしら?」 黄薔薇さまにしてみたら由乃さんも同じ加害者側とも言えるわけで、「う……」とさっきまでの勢いがとまってしまった。 「なにか言いたいことでもあるならどうぞおっしゃいなさいな」 すこし口ごもってしまったけれど、こう言うところは流石で、すぐに反論をし始めた。 「令ちゃ……妹が倒れてしまうような時に遊び回っている方が悪いんだし、たとえ誤解が原因であってもそう言う実害を出すような」 「由乃、もう良いよ」 令さまが黄薔薇さまの脇を通って中に入ってきて由乃さんを止めた。 「由乃が私のために言ってくれているのは十分に伝わってるからさ」 「……」 由乃さんは何か言いたそうだったけれど、結局言葉を飲み込んだ。 「お姉さま、三奈子さん、真美さん、由乃が迷惑をかけてしまって申し訳ありませんでした」 「わかってくれたなら良いわよ、こちらにも非はあるのだしね」 「謝らなければいけないのはこちらの方です。私たちが間違っていたのですし、黄薔薇さま、令さん、本当に申し訳ありませんでした」 黄薔薇さま・令さま・三奈子さまの間でまとめられ、由乃さんが黙った。 三奈子さまと新聞部の処遇の話の続きをすることになり、先ほどの話を聞いていなかった令さまに改めて詳しく説明して、その意見を聞いた。 「前科は確かにあるけれど、今回に限れば軽微だから軽いもので良いと思うよ」 「祥子さまは?」 司会進行役をしていたので最後に残った祥子さまの意見を聞いてみる。 「そうね。山百合会が下す処分としては厳重注意と訂正記事の発行指示で良いと思うけれど、もう一つ明確な再発防止策がほしいところね」 なるほど、新聞部の自助努力を求めるのか。良いかもしれない。 「いいね。祐巳ちゃんは?」 「はい、良いと思います」 つぼみ三人の意見がそろい、自然と視線が三奈子さまに集まった。 「寛大な処分に感謝いたします。記事については謝罪と訂正の記事を明日の朝には全校に配るように手配させていただきます。再発防止策については新聞部としてのものであればこの場で私の一存で決めるわけにはいきませんけれど、近日中に報告させていただきます」 「良い防止策が出ることを願っているわ」 〜6〜 今回の事件はひとまず解決を見た。新聞部のことは完全に解決できたわけではないけれど、今回に限ってはもう大きなことは起きないだろう。 今日はもう仕事にならないだろうと、あのあとすぐに解散となってお姉さまといっしょに帰ることになった。 「お姉さまってやっぱり意地悪ですね」 「ん〜? 私が意地悪?」 「だって、お姉さまが土曜日に答えを教えてくれたら、私あんなに心配したりしなくてすんだじゃないですか」 「ああ、その話か」 わからなかったのは、心当たりありすぎでの方だったんかい! 「今回のことは予想外だったけど、確かに土曜日に答えを教えておけば、令もすぐに安心できただろうね」 そうだ。令さまや由乃さんに対しても意地悪、いやこれは結構な意地悪をしていたのだ。答えは大丈夫だってわかっていたって、特に令さまにとってみれば。 「まあ結果論になっちゃうし、祐巳たちには申し訳ないけれど、私はこれでよかったかもしれないって思ってるんだ」 「え? どうしてですか?」 「江利子と令が戻ってきたときの表情思い出せる?」 戻ってきたときの表情? 令さまは苦笑しつつも嬉しそうにほほえんでいた。それでうまくいったんだってわかったのだ。 「令さま嬉しそうでしたね」 「うん、江利子もね。よっぽど良いことあったんだろうね」 「良いことですか?」 由乃さんで楽しめそうと言ういつものだけじゃなかったのか。そのあたりまできっちり見分けるとは長年のつきあいがある関係はやっぱり違う。 「黄薔薇は単純じゃないからね。令にとって江利子も、とても大切なんだって卒業する前にきっちり確認できたのなら、良いことじゃないかな」 なるほど、令さまと由乃さんの結びつきが普通の姉妹にしては強すぎるけれど、令さまと黄薔薇さまの結びつきが弱い訳じゃない。むしろ強い。だからこそ令さまは倒れてしまうまでになってしまったわけだ。 それにしても、卒業する前にか……もうすぐ卒業してしまうのは黄薔薇さまだけじゃない、お姉さまも。 「祐巳?」 「あ、ああ、ええっと、どんな風に絆を確認したんでしょうね?」 「ん? そうだなぁ〜」 流そうとしてとっさに思いついた話に乗ってくれた。 「江利子ってそもそも令を妹にしたのもおもしろそうだったからなんだよ。それで妹にしてからいろいろといじって楽しんでたし、さらに由乃ちゃんをからかって遊んだり、板挟みになって困る令を見て楽しんだりしてたよね」 う……目にしていない光景もありありと目に浮かぶ。お姉さまが黄薔薇さまじゃなくて本当によかった。 「そんなお姉さまとしてはだめだめでひどすぎだから、令のお姉さまでいる資格なし、ろくでもないお姉さまを最後まで持っている必要もないと思って、ロザリオを返してもらおうと全部告白して謝罪したとか」 由乃さんの話を一つも反論せずに黙って聞いていたのも、そう言った部分については本当のことだと自覚していたからだったのだろうか。 「でも、令にとっては大切なお姉さまだったわけで、令は江利子の妹になって幸せだった。そのことを逆に伝えて、江利子はお姉さまとしてやれて来れていたんだって初めて気づかされたとか」 何でだろう。なんだか、じ〜んと来てしまった。 言葉以上にいろいろと思い浮かんでいって、涙が…………ん???? はたと気づいた。 「お姉さま!!!!」 「あ、ばれたか」 何がばれたかだ! それは私たちの話じゃないか!! 途中から話をすり替えられていた。 「いやいや、ごめんごめん。でも、そんなには遠くないかもしれないよ」 「へ?」 全く悪びれた様子もなく、でも少しまじめそうにそんなことを言った。 「いや〜あの江利子も実はね、ってバス来てる! 話は中で!」 そう言ってバス停に向かって駆け出すお姉さま。 「あっ、まっ、待ってください!」 あわてて追いかけながら私はお姉さまが言っていたことを考えていた。 あとがきへ