〜3〜 「乃梨子さん、このあとお昼はどうされますの?」 「お昼?」 月曜日の四限目。課題が早めに終わった私たちの班は、一足先に片付けを始めたところだった。そこで、同じ班の人からそんなことを聞かれた。 どういう意味で聞いているのかはかりかねていると、「ええ、たとえば白薔薇さまや志摩子さまと一緒に食べるお約束をしているとかそう言ったことは?」と追加で聞いてきた。 ひょっとして、私がそういった予定だったらご一緒させてもらえないかとかそんな話だろうか? あの二人なら大歓迎に違いないが…… 「残念ながら今日は瞳子と食べようかなぁなんて考えている位で、そう言った約束はしていないんです」 ……瞳子。そう。このリリアンでは結構珍しいことなのかもしれないが、私は彼女を呼び捨てにしていた。 あの新入生歓迎会での一件のあと、背景がなんであれ、ひどいはめ方をしてくれた主役には一言言ってやらねば……と彼女を捉まえた時のことである。いくら私のリリアン生徒らしからぬ態度が事件の発端の一つだといっても、彼女をさん付けで呼ぶ気には到底なれず、そのまま呼び捨てにした時だった。 「はい、何でしょう乃梨子さん?」 これである。その背景に花でも咲かせんばかりのにこやかな笑顔に、毒気がすっかり抜かれてしまい、いくつか愚痴ったくらいでちゃんと許してしまったわけだ。といっても、いまさら呼び捨てからさん付けに戻す気もまた起こらず、また瞳子もまったく気にしていないようだったので、結局そのまま呼び捨てなのだけど。 「まあ、それはちょうどよかった」 ……と、少し考えがそれている間に返ってきた言葉の意外さに、オウム返しに問い返してしまう。 「ちょうどよかった、ですか?」 「ええ、私、乃梨子さんをお誘いしたかったんですから。白薔薇さまや志摩子さまと一緒のお昼にお邪魔させていただくというのは、とてもすてきなことではありますが、本当にお邪魔になってしまうのは申し訳ありませんし」 「それはどうも……」 それならそんな聞き方をしないでほしかったと思わなくもないが、彼女の目的は祐巳さんでも志摩子さんでもなく私だった。四月は瞳子も含めて多くの人が私を誘ってくれたものだったが、ここのところクラスでは瞳子や瞳子と一緒に誰かといった感じで、私が直接声をかけられるなんてずいぶん久しぶりな気がする。 「瞳子さんがよろしければご一緒にいかがでしょう?」 「ええ、お誘いくださってありがとうございます」 そして授業終了後、一年椿組に戻る途中で瞳子にお昼に誘われたことを伝えた。 「まあ、それはよかったですね」 「瞳子もOKだよね?」 「もちろん」 人の噂も七十五日……そんなことわざがあるが、それよりもずっと早く収束することもあるようだ。 作戦名(『私と志摩子さんがうっかりしていただけで、乃梨子ちゃんは何も悪くなかったとみんなに知ってもらおう大作戦』だそうだ)を聞いた時は、その名前だけでなく、実際の効果も少々疑ってしまったのだが、終わってみれば大成功。改めて、リリアンかわら版の効果、そして祐巳さんと志摩子さんがいかに大きな存在として一年生から思われているかと言うことを実感したわけである。 「今乃梨子さんが誘われたのは大きいですね」 「うん、前とは意味が違うからね」 「噂に踊ってしまったことへの反省も少なからずあるでしょうけど、同時に乃梨子さんが白薔薇のつぼみになったということが改めて影響しているのでしょうね」 「まさか、今度は私があこがれの対象にとでも?」 「まだそこまでのものではないでしょうけど……それでも、一年生唯一のつぼみとして、クラス、そして学年を代表する生徒になるのは間違いないでしょうね」 「そうだよね。はぁ……」 「あら、乃梨子さん。ため息をつくのが早すぎじゃないですか?」 「おっしゃるとおりで」 祐巳さんたちのすごさに助けられたし、感動したのも事実だけど、私自身がああいうふうになっていくと言われると、違和感があるのが正直なところだ。 とはいえ、自分から望んで祐巳さんの妹になった以上、もれなく付いてくるおまけみたいなものなのだから、仕方ないか。 「まあ、まずは彼女たちといい関係をつくっていきましょう。私も協力しますから」 「ありがとう」 「お礼を言われるようなことではありませんよ」 思えば、瞳子は最初からずっと私のことを気にかけてくれていた。その上、祐巳さん曰く、よりいっそう疎ましく思われるかもしれないのを覚悟の上で、私のためにあんな役まで演じてくれたのだという。 いくら天使のような生徒ばかりのリリアンといえど、ここまで一人のために動ける子はそうはいまい。何が彼女にそこまでさせたのか、私には分からないけれど、そんなことは関係なく、私の瞳子に対するに心からの感謝を込めて、もう一度お礼を言った。 「本当にありがとう、瞳子」 「何か言いましたか? それよりも急ぎましょう。せっかくお誘いを受けたのですし、遅れてしまうわけにはいきませんよ」 この距離で聞こえてないはずないだろうに。まあ、言った私も相当結構照れくさかったのだけど、どうやら聞いた方はそれを上回っていたようだ。頬をほんのり赤く染めながら、気持ち歩みを早くする彼女に思わず苦笑する。 いろいろな意味で、瞳子にはしてやられ続けているわけだけど、今回は一本とれたかな? そんなことを考えつつ、瞳子の後ろをついていくのだった。 〜4〜 リリアンは女子校……したがってクラス全員が女子だから体育の授業でクラスを男女に分ける必要がない。そのため一クラスでも四十名前後の人数がそろう。 どこかやる気がなさそうな顔ではあるがドリブルをしながらこっちに向かってくる彼女……細川可南子さん。180 cmあるんじゃないかっていうほどの長身。バスケには明らかに有利、それでも、有利ってだけで絶対的ではない。ゴールに近づけさせなければ、と次にどう動くのか気を取られてしまった瞬間だった。彼女が取った行動はパス……ではなく、シュート。 スリーポイントラインの手前から放たれたボールが、ゴールへと飛んでいく。物理法則に従ってボールが放物線を描き、そして、パサッとかそんな音を立ててボールがゴールに入った。 その鮮やかな出来事にみんなびっくりしてすぐに反応できなかったが、少しして休憩・見学組が拍手をして可南子さんのスーパープレイをたたえた。けれど、可南子さんは面倒そうな顔をするだけで喜んだりとかそんな態度は全然見せなかった。私がもしあんなプレイをしたらガッツポーズの一つや二つしそうなものだが、可南子さんにとってはあの程度何でもないプレイでしかなかったのだろうか? すぐに作戦変更、可南子さんに二人がぴったりマークにつくことにする。基礎練習の時からうまいとは思っていたけれど、そんなものではなく確実にかなりの経験者だ。 そして試合終了後……ダブルスコアで私たちのチームは完敗を喫した。絶対やる気がなさそうにしか思えないのに、二人が完全にマークにつかないとどうにもならない。ついてもなお、ちょくちょく決められる上に、フリーになっている一人に的確にパスを回されるからどうにもならない……圧倒的な力量差だった。 ここで、試合をするチームが入れ替わり、今度は私たちが休憩を兼ねた見学である。 可南子さんは他の人たちと離れたところに一人で座った。その可南子さんのところに一人近づいていく人がいた。彼女は確かバスケ部だったっけ? Bコートで試合をしていたわけだが、たぶんこっちのコートの様子も伺っていたのだろう。ならば、勧誘だろうと推測をたてる。あれだけ上手な可南子さんがどう答えるか少し気になって、「ごめんなさい。もう少し休ませてもらった後でいい?」と、祐巳さんのことなどを聞きたくて私の周りに集まってきた人たちに、あまり角が立たぬように引いてもらって、二人の話に聞き耳を立てた。 「お断りします」 「そんな、どうして? あなたあれだけうまいじゃない。絶対活躍できるわよ」 「興味ありません」 次々にかける誘いの言葉をうっとうしそうに一言ずつで切り捨てられているのに、全然へこたれずに勧誘を続けている。それだけバスケ部にほしい人材だって事か。そんな人が部に入ってきてしまったら自分が活躍できなくなるとか、そんなことを考えている様子はまるでない。 彼女は純粋に善意、あるいは可南子さんに惚れ込んだって事なのかもしれないが、可南子さんの表情がだんだん不機嫌になってきている。 バスケで挫折したとか嫌な思いをして止めてしまったのかもしれない。勧誘に熱心なあまり、彼女の言葉の刺が鋭くなってきていることも全然お構いなしだし、これはまずいかな…… 「ちょっとよろしいですか?」 「あ、乃梨子さん。ちょうどよかった。乃梨子さんからも可南子さんに勧めてくださいな。あれだけの能力を眠らせておくのはもったいなすぎるわ」 話に入ってきた私を援軍として扱うが、残念ながらそうではない。 「そうではなくて、無理な勧誘は止めた方がいいと思って」 「え……」 「気持ちはわかるんだけれど……部活動は、可南子さんがしたいものをするのが一番じゃないかしら?」 「それはそうだけれど」 「でも、以前はしていたバスケを今はしたくない。それが答えでしょう?」 その言葉に、ハッと我に返ったようだ。 直接可南子さんがそう言ったわけではないが、あれだけのプレイができて、部活動には入っていないということから導き出せる結論は一つだろう。 「可南子さん、すみませんでした。可南子さんのすばらしさについ熱が入ってしまいました」 「可南子さんも、またバスケをやりたくなったら窓口になってくれるだろうから、そのときは言ってあげてね」 「……ええ、そんな日がくればですが」 くるわけがないという意味が思いっきり見えているが、まあいいだろう。この場はこれで解決した。 ピーッという主審が笛を吹く音が体育館にこだまする。 「やりましたわね」 「ええ」 今度の試合は私たちのチームが接戦を制した。可南子さんのような飛び抜けた選手が両チームにいなかったから、作戦でやや上回れた、そんな感じか。 「乃梨子さんお疲れ様でした。先ほどの続き聞かせていただいていいですか?」 「ありがとう。ええ、かまいませんよ」 さっきもそうだったけれど、こんな試合の合間の休憩時間でも、祐巳さんのことや、他の山百合会幹部の話が聞きたい人が周りに集まってくる。 彼女たちにとって、リリアンかわら版などを通さずに、中の人間に直接話を聞ける機会というものは、とても貴重な事なのだろう。ほんの些細なことにも関心を持っているようで、本当にアイドルなんだなぁというのを、ますます実感するところである。 …… …… 「そう、祐巳さんが案内してくれたの。私一人のためにあちこち案内してくれ、その上身の上話にまでつきあってくれたんだから、今考えればすごいことだね」 「ええ、乃梨子さんは白薔薇さまと出会えて本当に幸運でしたね」 「本当に。あのときに会って話をしていなかったら、今の私はいない事は間違いないし」 (あれ?) 祐巳さんについて話で盛り上がっていたのだが、いつの間にか可南子さんが微妙に近くにいることに気づいた。彼女は、休憩中いつも一人でいた感じだったはず……それなのに? もしや、私たちの話が聞きたくて近くに来たのだろうか? それも、今だけとなると祐巳さんの話に興味津々って事になる。 「乃梨子さんどうかしました?」 「いえ、すみません。先ほどから私が語ってばかりだし……よろしければ、皆さんの祐巳さんへの思いも聞かせていただければなって思って」 「まあ、私たちの?」 「劇的な展開を経て妹になった乃梨子さん相手に、お話しできるような話は私たちにはとてもありませんよ」 「私は外部入学ですから、祐巳さんの去年の様子とか、そういった話には興味があるのですが」 「そういうことでしたら、お話しいたしますわ」 「ありがとうございます」 祐巳さんを知ったのは、みんなリリアンかわら版を通してだった。高等部の職員のみならず、中等部や大学、さらにはOGの保護者に至るまで愛読者がいるとの話にはまた一つ驚かされた。影響力が強いとはわかっていたが、そこまでとは…… まあ、それはともかく、姉妹体験や劇的な選挙戦、バレンタインデーなど、大きなイベントのほとんどに顔を出し(まあ当然と言えば当然だけど)、そのたびにより輝いていき、今なお輝きを増さんとする祐巳さんに、みんな大きなあこがれと尊敬を持っていた。しかも、どれほど大きな存在になっても、親しみやすさだけは変わらないところが大好き! って感じだった。 そして、みんなの祐巳さんとのエピソードを思い思いに語ってくれた。バスの中でご一緒したとか、廊下で声をかけられたとか、そういった話がほとんどだったが、それでも彼女たちにとって、忘れられない大切な思い出になっているというのがよくわかった。 もう何度感じたことか分からないけど、やっぱり祐巳さんって本当にすごい。 「可南子さん、となりよろしいですか?」 体育の時間。数日前と同じように休憩中にまた一人でいる可南子さんに私の方から近づいていき、声をかけた。 「べつにどこに座ろうと自由でしょうし……かまいませんけれど?」 「ありがとう。それじゃあ、失礼して」 可南子さんのとなりに座る。 「……わざわざ私のところにくるなんて。乃梨子さんまでお節介をやこうというわけじゃないですよね?」 おまえも迷惑してた口だろうと暗に言っている。確かに、そのとおりだったからこそ可南子さんのことが気になったというのはあると思う。 「そうじゃなくて、少し確認をね」 「確認? まさか、私がやる気がない理由を問いただそうとでもいうのですか?」 今日は可南子さんと同じチームになった。そして、私はチームのリーダーのような役割を担っている。 「ううん。とんでもない。可南子さんが思っているとおり、そういうことで、私にとやかく言える資格なんてないし」 「それでは何だというのですか?」 「可南子さんって、祐巳さんのことをいろいろと知りたいんじゃないかと思ったんだけれど、どう?」 「ど、どうしてそう思うのです?」 さっきまでの何もかもつまらないという表情から豹変。明らかに焦っているし、正解だったようだ。 「祐巳さんの話をしているときだけ、興味があったようだし、昨日配られたかわら版ずいぶん熱心に読んでいたでしょう。それでまず間違いないと思ったのだけれど」 「……それが事実だとして、だからなんだと?」 「知っているとは思うけど、私、祐巳さんの過去の様子とか、今、どんな風に思われているのか聞いてみたいの。もし、違っていたら申し訳ないけど、私と同じく外部入学生、それもリリアンの制度にはあまり関心を持たずに入ってきた人だと、どんな感じなのかなって」 「仮に私が当てはまったとして、祐巳さまのことを話したら、何があるというのですか?」 「特にないと言えばないかな」 案の定馬鹿にしたような視線を向けられる。 「別に話してもらえなくても、可南子さんが祐巳さんについて聞きたいことがあれば話すしね」 可南子さんが小さくうなった。 「さらに言えば、今私が知らないことでも、気になることがあれば祐巳さんに聞くことだってできるし」 目が泳いでいる。これはもう一押しかな? 「なんなら祐巳さんに紹介することだってできるし」 「……わかりました」 とても小さな声だったが確かに聞こえた。 「……強さと気高さをもっているのに、かわいくて、性格も明るい。その上、一般生徒への気配り……いえ、そんな風に考えてはいらっしゃらないのでしょうね、ごく自然体で皆に接し、さらに、何事もうまく成し遂げるだけの聡明さと行動力も併せ持つ」 「ほんとにね。今私がみんなと気軽に話せるようになったのは祐巳さんのおかげ。祐巳さんがいなかったら、今もクラスの中で浮いてた……あ、皮肉とかじゃないからね」 「別に気になるような事ではありませんわ。乃梨子さんが祐巳さまの目にとまった結果ですし」 可南子さんにとっては私の話は祐巳さんの活躍の歴史を彩る具体例の一つってところだろうか。特に私のことをうらやましく思っているとか自分が選ばれていれば的な感じはしないが、ちょっと話をずらそう。 「志摩子さんが、告白できたのも祐巳さんのおかげだしね」 「ええ、あの方は周りにいるすべての人に影響を与えていきます」 「それがいい影響なんだから、本当にすごいよね」 「全くその通り。祐巳さまが在籍していることはリリアンにとって幸福なことでしょう」 「そこまで行くか……いや、少なくとも高等部に限れば間違いないか」 祐巳さんは高等部の生徒会長の一人である白薔薇さま。まず間違いなく来年も白薔薇さまであるから、これから一年半以上高等部を引っ張っていくことになるだろう。 「ええ。その上で、祐巳さまの一番の魅力を挙げるのであれば、ご自分がどれだけすてきな女の子なのか気づかれていないこと、なのでしょうね」 「それは言えるね。それが余計に魅力を高めてる気がする。考えてみれば、もし祐巳さんが自分の魅力と周りからどんな風に見られているかをちゃんと自覚してたら、私の姉妹体験の話もなかったかもね」 「でしょう」 「ホントに。と、そろそろ時間だね。可南子さんが聞きたい話は次ってことで」 「ええ」 目の前のコートでの試合はもう残り時間がわずか、今度は私たちの順番である。そして、その試合では可南子さんが少しだけ? やる気を出してくれたのか、今までよりも積極的なプレイを見せてくれたおかげで、私たちのチームは圧勝することができた。 第一話後編へつづく