レイニーブルー 第一話 B 

 火曜日の放課後、薔薇の館に向かう途中で瞳子さんと出会った。
「ごきげんよう。志摩子さま」
「ごきげんよう、瞳子さん」
「瞳子さんはこれから薔薇の館に?」
「ええ。お邪魔させていただいてもよろしいですか?」
 今日は家のことを告白しようと決めていたため、すこし戸惑ってしまった。けれど……と思い直す。詳細を聞いたわけでは無いが、新入生歓迎会の時の様子からして、瞳子さんは間違いなく事情を知っている。そうであるなら、私事に巻き込んでしまったのだし、ぜひとも聞いてもらうべき人なのではないだろうか。
「もちろんよ」
 ふたりで並んで歩き出す。
「……瞳子さん、昨日は本当にありがとう」
「いえ、感謝していただくようなことは何も。結果として志摩子さまのお役にも立てたかもしれませんが……」
「そうなの? でも、私が今ここにこうしていられるのは、あなたのおかげよ。だから、ありがとう」
「そう言っていただけますと……ところで、志摩子さま。今日は祐巳さまとはもうお会いになられていますか?」
「いいえ、今日はまだ会っていないわ。どうかしたの?」
「すこし驚かれるかもしれませんね」
 祐巳さんが髪を切ったとかそんな感じだろうか? 瞳子さんが答えを教えてくれそうな雰囲気はないけれど、すぐにわかる話だろう。
 そうして、薔薇の館に向かうとちょうど薔薇の館に入ろうとしている祐巳さんと乃梨子さんの姿を見つけた。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「あ……」
 祐巳さんの右の手首にロザリオがなかった……ということは。
 見ると、連想されたとおり乃梨子さんの右手首にロザリオが輝いていた。
「まあ」
 祐巳さんと乃梨子さんが姉妹になった。
「祐巳さん、乃梨子さん、おめでとう」
「ありがとう、志摩子さん」
 二人が姉妹になった事は喜ばしいこと……
 これから薔薇の館にみんながそろった後、乃梨子さんが祐巳さんの妹になった事を報告するつもりだろう。
 そうか。瞳子さんが薔薇の館に来たのは、その場に立ち会いたかったからか。
 おめでたい話の邪魔をしても申し訳ないし、今日の所はお姉さまにだけ伝えて、みんなにはまた明日にでも報告することにしよう。
「志摩子さん」
「なにかしら?」
「ひょっとして、志摩子さん何か話をするつもりだった?」
 顔に出したつもりはなかったのだけれど、何となく伝わってしまったのかもしれない。
「いえ、いいの……私の話は明日でもいいことだから」
「うーん、そんなこと言われると気になって今夜眠れなくなっちゃうよ。もう明日じゃないといや! って事じゃなかったら、志摩子さんの話を先にお願いしたいのだけど……いい?」
「祐巳さん、そういうわけにも……」
「いやいや志摩子さん、こちらこそそういうわけにも」
……
……
「そういうことなら……申し訳ないけれど、先に少しだけ時間を借りるわね、祐巳さん……ありがとう」
「とんでもない! これで安心して今夜眠れるよ。こちらこそ、ありがとう志摩子さん」
 冗談のようなやりとりの繰り返しの後、結局言葉に甘えて私が先に報告することとなった。
 祐巳さんは私が何を報告したいのか、やっぱり気づいている。だからこそ、また背中を押してくれているのだろう。そんな心遣いに、うれしさと感謝で胸が一杯にしつつ、階段を上がった。


薔薇の館の前で押し問答?をやっていたせいか、どれほどもなく全員がそろったので「唐突にすみません。みなさんにお話ししたいことがあります」と切り出した。
 さっきの場にいなかった人たちからは、想定外の展開(祐巳さんと乃梨子さんの手首を見たら、いの一番にその話が来ると思うだろう)に驚かれると思っていたのだけれど、そんなことも無く私の話に耳を傾けようとしてくれた。どうやら祐巳さんだけで無く、みんな何の話なのかすぐピンときたようだった。
 私からの告白……この場にいる人たちは皆、既に秘密自体は知っている。けれども、私からはっきりと告白することが重要なのだと思う。そして皆もそれを待っている……そう確信し、話し始めた。
「私の家業についてなのですが、私の家は小寓寺という仏教の寺で、父が住職をしているんです。リリアンに入るときに交わした父との約束で、今まで秘密にしてきて申し訳ありませんでした」
「許し、もらえたんだね。おめでとう、志摩子さん」
 祐巳さんが本当にうれしそうな顔でそう言ってくれた。
「ありがとう。祐巳さんのおかげよ……本当にありがとう」
 まずは祐巳さんにお礼を言った後、一呼吸おいて続ける。
「父との約束では、私の家のことが漏れてしまった場合、リリアンを辞めることになっていました。そして、いつばれてしまっても不思議は無い……そんな気持ちもありました。だから、入学してからというもの、いつリリアンを辞めてもいいようにつとめてきたはずでした。けれど、この薔薇の館に招かれて与えられた居場所は、そんな私を優しく包み込んでくれました」
 それ故に、その場所を失うかもしれないと勝手に思い込んで、やってはならないことだってやってしまった……にも関わらず、お姉さまや祐巳さんを始め、皆が変わらず私を受け入れてくれた。その時、ここは私にとってかけがえのない存在となった。
 そして今回の新入生歓迎会。
「もうこれ以上皆さんに隠すことなんてできない……かといって、以前の私なら出来たはずのリリアンを辞めるという選択肢もとれなかった。だからこそ、父に告白するという決断を、そして許しを得ることができました。だから、改めてお礼を言わせていただきます。ありがとうございました」
 みんなに深々と頭を下げ、みんなは私の告白を拍手で迎えてくれた。
 その後は、乃梨子さんが小寓寺を訪れたことなど自然と私の家の話に関係する話になったが、令さまからは一つ種明かしがあった。
「めでたく解決したから、歓迎会のあとではぼかして話したことを今ここで白状するけれど、私のお祖父ちゃんの家は小寓寺の檀家でね。志摩子のことは結構前から知ってたのよ」
「そうだったんですか。昨日、父から檀家の皆様方にはずっと前に話を通していたと聞きました」
「そっか」
 今になって考えてみると、どうして今まで誰にも気づかれていないと思ったのか不思議に思う。
 令さまのように檀家の皆さまを通じて知っていた人だっているだろう。それに、通学時間だって決して短いというほどでは無いのだから、私がどこの誰だか知っている人がたまたま見かけることだって十分あり得ただろう。
 そう考えると、祐巳さんが身をもって示してくれたように、そもそも秘密だとも思わないから話題にもならない、あるいは令さまのように事情を深く知っていた故に秘密にしてくれていた……いずれにせよ、ここ、リリアンは私をずっと前から受け入れてくれていたのだ。
 そのことを気づかせてくれたみんなに改めて深く感謝した。


「志摩子さんの話に続いて、私の方からもご報告したいことがあります」
 私の話が一段落し、自然と皆の視線が祐巳さん達の手首に集まったところで、祐巳さんが切り出した。
「私こと福沢祐巳と二条乃梨子は先月から姉妹体験をしていましたが、昨日ロザリオの授受を行い、正式な姉妹となりました。不慣れな事が多い姉妹ではありますが、温かく見守ってくださるよう、お願いいたします」
「皆さま、これからよろしくお願いします」
 乃梨子さんも席を立って頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いするわ」
 お姉さまに続いて、みんなが歓迎の言葉をかけた。
 こうして、薔薇の館は祐巳さん以来の新しいメンバーを迎えることとなった。
 姉妹体験からの正式な姉妹ということで、一瞬かつての苦い記憶が脳裏をよぎる……祐巳さんと聖さまが姉妹になった時の私は、できっこないのに無理矢理自分を納得させようとしていたのだった。
 そんな迷惑ばかりかけた祐巳さんと今では親友になれて、その親友に妹ができたことを素直に祝福できる幸運、奇跡(といっても過言でない気がする)に、昨日から感謝し通しだと苦笑いしつつもやっぱり感謝した。


 解散後、祐巳さんに話があるといわれ、二人で残った。
 リリアンかわら版を私的な事に使うのは後ろめたいものもあるけれど、私の家のことを記事にしてもらえれば、私の身近な人たちに限らず一気に公にできる。そのことを真美さんにお願いするのに祐巳さんの口添えがあればと思っていたから、ちょうどよかったかもしれない。祐巳さんの話の後でお願いしよう。
「改めて、志摩子さんおめでとう」
「ありがとう、祐巳さん。本当に祐巳さんのおかげよ。祐巳さんがあとを押してくれたからこそ、秘密を明かすことができた」
「志摩子さんにそう言ってもらえてうれしいよ」
「祐巳さんもおめでとう。二人の事を応援しているわ。私にできることがあったら言ってちょうだい」
「ありがとう。いまだから頼めることなのだけど、一つお願いがあるの」
「何かしら?」
 それから祐巳さんは……今起こっている問題……乃梨子さんがどういう立場に置かれているのか、そしてあの新入生歓迎会での出来事のもうひとつの目的、さらにはそのあと乃梨子さんと二人で話をした内容について話をしてくれた。
 なんということだろうか? 乃梨子さんがあの数珠を盗られてしまった理由……あの祐巳さんと一緒に思わず笑ってしまった由乃さんと桂さんの懸念。それがまさに現実になっていたのだ。
 それなのに私はまるで気づきもしなかった。
 私の迂闊さが、あの事件を引き起こしてしまっていたのだ。自分のことなんか考えている場合ではなかった。
「なんてこと。ごめんなさい、私やっぱ」
「ストップ! 志摩子さん、まずは話を聞いて」
 祐巳さんにしては珍しく声を荒げ気味にいうものだから、思わず口を閉じてしまう。そんな私を見て、ほっと一息をついてから発せられた第一声は「ごめん」だった。
「ごめん。本当にいろいろな意味でごめん。まず乃梨子ちゃんの状況だけど、これは私も瞳子ちゃんに教えてもらうまでまったく気づかなかった。だから私も同罪、ごめんなさい。そして、今のタイミングで話したことだけど、志摩子さんが自分を責めるってことは分かっていたから今まで隠してました、ごめんなさい」
 そこまで一気に話してから、あらためて深々と頭を下げた。
「頭を上げて、祐巳さん。そこまで言われたら私もリリアンをやめるなんて言わないから」
「……本当に?」
「ええ」
「本当の本当に?」
「本当の本当」
 そういってから、二人ともクスリと笑い合う。
 話を聞いたばかりの時と違って、私もだいぶ落ち着きを取り戻していた。もちろん乃梨子さんへの申し訳なさは消えていない。けれど、祐巳さんは「お願いがある」と言っていた。つまりこの状況を改善する何かがあるということでないだろうか。
 この状況に気づけばリリアンをやめると言いだしかねない私をおもんばかって話さないでいてくれたとはいえ、なんだか餌を求めるひな鳥のような状況で心苦しいものがあるものの、私が聞かないことには話が進まないと思い尋ねることにした。
「祐巳さん、私は何ができる? 何をすればいいの?」
「ありがとう志摩子さん。考えているのはこんな感じ」
 瞳子さんや由乃さん達と新入生歓迎会の作戦を練っていた時にだいたい形になったという内容を、祐巳さんが語った、
 私と乃梨子さんが親しくなっていることをみんなに認めさせるための作戦……リリアンかわら版でみんなを誘導する手だけれど……
「話が変な方向に行かないようにしっかり練る必要はあるけど、志摩子さんの家のことを公にするのがどうしても前提になってしまうの」
 私へのお願いとは私の家のことをリリアンかわら版で公にする許可……むしろこちらからお願いしようとしていたことそのものだった。
「実は私の方からも一つお願いがあったの」
「なにかな?」
「私のわがままかもしれないけれど、私の家のことを皆に伝えたい……だからリリアンかわら版の記事にしてほしくて。そのことを真美さんにお願いするのに口添えをしてほしいということだったの……だから、祐巳さんがお願いしてきたことが、あまりにも渡りに船でびっくりしてるわ」
「……志摩子さんって、リリアンをやめる云々でもそうだけど、一度決断したら結構大胆だよね。まさか自分からリリアンかわら版で広めようなんて」
「そう? とにかく、祐巳さんのお願いはあまりに私に都合が良すぎて、とても乃梨子さんへの埋め合わせにはたりないわ。他に私にできることはないかしら?」
「そういうことなら。今度、真美さんたちと相談して具体的にどんな話にするかつめるけれど、その段階から参加してもらってもいい?」
「ありがとう。精一杯協力させてもらうわね」



 第一話cへつづく