翌朝、祐巳さんと一緒にテニスコートにやってきた。 桂さんに祐巳さんが乃梨子さんを妹にしたことの報告と私の家の告白、そしてそのことをリリアンかわら版に掲載することを伝えるためだ。 予想通りテニス部の朝練はだいたいの終わりのようで、片付けをしているところだった。 私たちに気づいた桂さんがこちら側にやってくる。 「ごきげんよう」 「ごきげんよう」 「二人そろって朝ここに来るなんて珍しいわね。私?」 「うん、終わってから時間もらえるかな?」 「もちろん。祐巳さんと志摩子さんのお願いを聞かないわけがないでしょう」 そして、着替えを済ませた桂さんと一緒に空き教室に入った。 「時間があまりないから手早く行くね。まずは私の話から。一昨日の新入生歓迎会の後、乃梨子ちゃんと正式に姉妹になりました」 「そう……新入生歓迎会でちょっとした出来事があったというのは耳にしていたけれど……おめでとう祐巳さん」 「ありがとう。でもおっしゃるとおり、ちょっと事が大きくなっちゃった。せっかく桂さんから貴重なアドバイスを受けていたのにね……ごめんね」 「あぁ、前の。いいのよ、私も由乃さんと二人でもっとはっきり言うべきだった。せっかく祐巳さんと志摩子さんに頼りにしてもらったのに、お役に立てずごめんなさい」 「そんなことない! 桂さんのおかげで遅ればせながら大事なことに気づけたのだから。ねぇ、志摩子さん?」 「ええ、そう。本当にありがとう、桂さん」 山百合会のみんなという絆ができたあとも、意識的・無意識的に閉じがちになる私の世界を広げてくれた一人は間違いなく桂さんである。どれだけ感謝してもしたりる事は無い。 「そういってもらえると気が楽になるけど。志摩子さんも今の話を?」 「ええ、それもあったのだけどもうひとつ。実は私の家のことなのだけれど……お寺なの」 「……は?」 桂さんは本当に驚いている。 ……考えてみたら、薔薇の館のみんなや瞳子さんはもうすでに知っていたし、本当に私の告白を聞いてもらうというのははじめてかもしれない。 「志摩子さんの家がお寺?」 「ええ小寓寺という仏教の寺で、父が住職をしているの。リリアンに入るときに父と秘密にする約束をしていたから、いままで秘密にしていたのだけれど」 「秘密を話してくれるというのは、それだけ志摩子さんに信頼されているって思えるからうれしいけれど、なんでまた? ……さっきのお礼や、新入生歓迎会のことといい、乃梨子さんが絡んでる?」 「正解。ゴールデンウィークの時なのだけれど、乃梨子さんが家の寺を訪れたの」 「乃梨子さんが?」 「そう。乃梨子さんは仏像鑑賞が趣味で、家の寺を紹介されたそうなの」 「何となく読めた。秘密を共有しちゃった上、祐巳さんというお互いにとって近い人がいたから一気に仲良くなっちゃったのね」 「私が浅はかだったわ」 「さっきの繰り返しになっちゃって悪いけれど、やっぱり、周りからどんな風に見られているかの自覚が少し弱いね」 「耳が痛いけれど、正直に言ってくれてありがとう」 「それで、乃梨子さんの件を片付けようって話?」 「そう。まさに桂さん言うとおり私たちの自覚が弱かったから、懸念していたとおりになっちゃったのを一気に解決させようって思って、リリアンかわら版で私と乃梨子ちゃんにあわせて志摩子さんと乃梨子ちゃんの関係も公表するつもりなの」 「そのためには私の家の話を出す必要があるから、父との約束を破る必要があった。そのときは私はリリアンをやめることになっていたけれど、どうしても手放したくない、かけがえのないものができたから、父に許しをもらおうと決心することができた。桂さんも私にとってその中の一人なの……だから、ありがとう」 「そこまで言ってもらえるとは、私の方こそ本当にうれしいよ」 「それで、そのリリアンかわら版だけど、放課後に作成を開始して早ければ明日のお昼までには配布するつもりなの。桂さんにはぜひその前に私たちの口から伝えなきゃと思って。聞いてくれてありがとう」 「それじゃあ、教室に戻ろうか」 「ちょっとちょっと、お二人とも」 桂さんがわざとらしい咳払いをしたあとに口を開く。 「そんな大事な役目を担うリリアンかわら版、一般生徒代表の視点が必要じゃなくて?」 祐巳さんと思わず顔を見合わせる。それはすごく嬉しい提案だけど、これ以上桂さんに迷惑をかけていいのだろうか? 「え? でもこれ以上迷惑を……」 「桂さん、放課後も部活の練習が……」 「ストップ、ストーップ。こんな美味しいイベント、私だけのけ者にする気? 悪いけど願い下げなんだから」 気を遣わせまいとそんな風に言ってくれる桂さん。私たちは改めて感謝の気持ちを抱きつつ、このありがたい申し出を受けることにした。 お昼休み、乃梨子さんに謝るために一年椿組にやってきた。 今、リリアンかわら版の準備をしてもらっている段階で、私が乃梨子さんのところに顔を出すのはどうかと思ったところもあったけれど、やはりできる限り早くきちんと謝らなければいけない……謝らずにはいられなくなってきてしまった。それに、乃梨子さんの気持ちを知らなければ……そう思った。 「ごきげんよう。乃梨子さんはいるかしら?」 「べ、紅薔薇のつぼみ!?……あ、ごきげんよう。はい、呼んで参ります」 廊下にいた一年椿組の子に乃梨子さんを呼んでもらう。 「乃梨子さん、紅薔薇のつぼみがお越しよ」 「え? 志摩子さんが?」 乃梨子さんがやってくる。 「乃梨子さん。お話ししたいことがあるのだけれど、いいかしら?」 「はい。お弁当も持ってきますね」 「ええ」 そうして、乃梨子さんと二人で薔薇の館に移動した。 「乃梨子さん、ごめんなさい」 「志摩子さん?」 「私のせいで乃梨子さんがつらい目に遭っていたというのに、まるで気づきもしなかった」 「それは違うよ、志摩子さん。志摩子さんは何も悪くないし、私そんなにつらい目に遭ったなんて思ってないし」 私への気遣いでそう言っている。最初はそう思ったけれど、乃梨子さんが「本当だから」と言った表情でその通りだとわかった。 「私が祐巳さんと姉妹体験をすることにしたのは、みんなには悪いけれど、押し寄せる親切や善意が煩わしくて、それを何とかするためだったわけだし。元々そんな訳だから別にあんな風に嫉妬されるくらいなんとも思ってないよ」 乃梨子さんが本当にそう思っていても、私の迂闊さによって、みすみす遭わなくてもよい災難に巻き込んでしまったのは間違いない。 「でも」 「でも、数珠のことはすみませんでした。私が隙を見せてしまったから……これ、本物を返しますね」 私の言葉を遮って、乃梨子さんはポケットから数珠が入った巾着袋を取り出して私に差し出した。 「……」 「とてもすてきな数珠でした」 「……そう。喜んでもらえて何よりだわ」 乃梨子さんの好意と数珠を受け取った。 「それで、乃梨子さんが立たされている状況についての対策なのだけれど、祐巳さんから聞いている?」 「はい。さっきの休み時間に、姉妹成立の話と志摩子さんの家の話をどんな風に公表するか、新聞部の方と相談するから放課後そちらの部室の方に行ってほしいって言われました」 「そう」 「私のために志摩子さんの話を利用してしまってすみません」 「そんなの謝る事じゃないわ。もともと、家のことは真美さんにかわら版で公にしてもらおうと思っていたところだったし、むしろ乃梨子さんの役に立てるならうれしい話よ」 「ありがとうございます……志摩子さん。一つだけお願い、いいですか?」 「何かしら?」 「私、今度のことで志摩子さんとの関係を変えるつもりなんてみじんもありませんから! だから、志摩子さんも変えないでください!」 「本当にありがとう、乃梨子さん」 こんな私にうれしいお願いをしてくれる乃梨子さん。 乃梨子さんだけでなく、いろいろな人が私とつながろうと、私を離すまいしてくれる。改めてその幸せをかみしめながらお礼を言った。 放課後、由乃さんたちには新聞部の部室へ先に行ってもらう一方、私と祐巳さんは薔薇の館に向かった。 今回リリアンかわら版に乗せようとしている一連の話は、わざわざ物語的にしようとするわけだし、三薔薇さま全員の了解をとるべき話だろう。 とはいえ、白薔薇さまである祐巳さんは仕掛け人、黄薔薇さまの令さまも一枚かんでいたようだったから、実質的に紅薔薇さまであるお姉さま一人に、という事になる。 薔薇の館に到着。二階に上がると、幸いすでにお二人とも来ていたため、すぐに説明することができた。 「私はいいと思う。もともと、こんな風にするパターンはありかなって思ってたし。祥子はどう?」 お姉さまはしばらく考えたあと、軽くほほえみを浮かべて条件を出してきた。 「……二点。明日の朝に私たちのところに原稿を持ってくること。もうひとつ、予期しない事態が起こったときには必ずすぐさま伝えること。これでいい?」 「は、はい! ありがとうございます」 「ありがとうございます。お姉さま」 「お礼を言われることではないわ。今度のこと、見事に納めてみなさい。それと、志摩子はちょっと話があるから残ってもらえる?」 「はい」 「二人で話? じゃあ、私も剣道部の方に行くね」 「悪いわね」 そうして、祐巳さんと令さまが薔薇の館から出て行き私たち二人が残った。 さっきのお姉さまの口調がお願いのような感じだったから、お姉さまの話は乃梨子さんのこととは別のことだろう。 「祐巳ちゃんの成長は、止まるところを知らないわね」 紅茶を入れながら「そうですね」と答える。 「私が告白できたのも祐巳さんのおかげですし。なんだかはるか彼方先に行かれちゃったみたいです」 カップからティーバッグを取り出し、お盆にのせてテーブルに戻る。 「どうぞ」 「ありがとう。でもだめよ、そんなことを言っていたら。来年は祐巳ちゃんと肩を並べて仕事してもらわないといけないのだから……そうでしょう?」 笑みを浮かべながら、そんなことを仰るお姉さま。まだ初夏に入ったばかりだというのに、もう来年の話だなんて。 でも単なる冗談で無いことを、私を見つめる目が物語っている。それの意味するところは…… 「……そうですね。お姉さま、私、頑張ります」 「その意気よ、志摩子。由乃ちゃんも入れて三人で今から励みなさい」 「はい、お姉さま」 私の返事に満足げにうなずいたあと、「志摩子、私も決めたわ」と言われた。 何を決めたのだろう?……少し考え、一つのこと。お姉さまの秘密であり、お姉さまが逃げ続けてきたことに思い当たった。 「……柏木さんとのことでしょうか?」 「ええ、妹のあなたに決断を促しながら、私だけ逃げ続けるなんて許されない。明日、優さんと話をすることにしたわ」 「私、お姉さまのことを応援します」 「ありがとう。話したかったことはこれで全部……引き留めてしまってごめんなさいね。新聞部との打合せ、がんばってらっしゃい」 「はい、ありがとうございます」 クラブハウスの新聞部の部室に到着。 ノックをしてから新聞部の部室に入る。 「ごきげんよう」 「ごきげんよう、志摩子さん。お疲れ様。座ってちょうだい」 部屋の中には新聞部の皆さん以外には由乃さんと桂さんと瞳子さんの姿があるだけ。由乃さんと桂さんの間の席に座りながら二人の姿を探すが見えない。 「祐巳さんと乃梨子さんは蔦子さんと写真を撮りに行ったわ」 「写真?」 「ええ、姉妹の儀式の再現写真」 なるほど、リリアンかわら版に載せるための写真。それがあった方がよりすばらしい記事になるだろう。再現というのもありなのか。 「志摩子さんの話について、概要は祐巳さんから聞いているけれど、直接話してもらいたいし、蔦子さんが戻ってきてからお願いしていい?」 「ええ、ありがとう」 そして三人が戻ってきてから私の告白を始めた。 蔦子さんは、私の話については具体的な内容を聞いていなかったようで、かなり驚いていた。 「私からも公にできるようになったことについて、おめでとうを言わせてもらうわ」 「ありがとう」 「それじゃ、今度は私の件。記事に載せる写真について見てもらってもいい?」 蔦子さんが封筒から写真を取り出してテーブルの上においた。 「すてきね……」 花に囲まれた場所……あの温室だろう……そして乃梨子さんの右手首にかける祐巳さんの写真。本当にすばらしい。 「記事に彩りを添えるすばらしい写真ね、ありがとう」 「どういたしまして。で、志摩子さんのほうはどうする? 私個人としては志摩子さんのお宅を撮影に行ってもいいけど、やっぱりよくないだろうし」 「そうね……」 特に思いつかないままだったが、乃梨子さんが「あ、あの数珠はどうですか?」と提案してくれた。 「そうね。数珠はいいわね」 「はい。新入生歓迎会でもダミーが小道具として使われましたし、あの数珠は素人目でも立派なものですから、そんな数珠を持っているだけの家だと伝わると思います」 「ああ、本物あるの?」 「ええ。乃梨子さんから返してもらったから、今は私が持っているわ」 「志摩子さんがよければ、喫茶店かどこかで撮らせてもらってもいい?」 リリアンはマリア様のお庭だから、ここで数珠を表に出すのはと思っていると、祐巳さんがそう言ってくれた。 「ええ、もちろん」 「ううん。蔦子さんもいいよね?」 「どこでも大歓迎」 「ネタとしてもありがとう。写真を撮ってもらっている間に一度簡単に記事を書いてみるわ」 「ありがとう。お願いするわ」 「ええ、じゃあお姉さま、早速」 「時間が迫っている時ってそれはそれで燃えるのよね。ま、私と真美の力作を楽しみにしていてちょうだい」 前新聞部部長にして現顧問の三奈子さまは、少なくとも私が来てからは初めて口を開いた。第一線を退いた者として、遠慮されていたのだろうか? 二人とも脇目も振らず奥のデスクに移動し、ノートパソコンに向かってキーボードをたたき始めたため、私たちは邪魔にならぬようそっと新聞部の部室を出た。 「あの三奈子さまのシナリオライターとしての文才はどうにかならないものかって思ってたけど、こういう時は頼りになりそうね」 新聞部の部室を出て少し歩いてから由乃さんがそう言った。 「そうね。確かに頼もしいわ」 三奈子さまの文才ゆえに起こってしまったり、大きくなってしまった事件はいくつもあった。しかし、こうして協力してもらう場面になった以上、これほど心強く思える味方はいない。 私一人では乃梨子さんを陥らせてしまった状況に対してほとんどなすすべがなかっただろう。けれど、これだけのみんなが協力してくれるのだからきっと大丈夫。 木曜日の朝、薔薇の館でリリアンかわら版の記事をお姉さまと令さまにチェックしてもらった後、私は教室にもどった。 改めて手元のリリアンかわら版に目を走らせる。記事は、三奈子さまが「渾身の力作よ!」と言って持ってきてくれただけのことはあり、その出来は皆を唸らせる素晴らしいものだった。 まずは、乃梨子さんとのなれ初めから今に至るまで。こちらは思わず涙を誘うような美談になっていて、昨日、最初に目を通した時は、気恥ずかしさのあまりしばらく顔を上げられなかったくらいだった。 そして、祐巳さんと乃梨子さんが体験から姉妹になるまで。こちらもまた必然と言わんばかりに話を切り返し、「紅薔薇のつぼみの秘密」「白薔薇姉妹誕生」を二つのスクープとして、見事に両立させていた。 「三奈子さんの進学祝いの時には、父と交流のある出版社の編集の方でも紹介した方が良いのかしら?」 「誤った方向に進んでいく前に、正しい修行を積んでもらうっていう意味なら賛成」 とはお姉さまと令さまの感想である。 お二人も認める三奈子さまの実力を再認識しながら読み終え、腕時計を見る。お二人の修正指示に備え、相当早く登校したため、チェックしてもらってもなお、早めの時間である。この時間に印刷を開始すれば、当初の予定どおり一限目と二限目の間の休み時間に配り始めることができるだろう。そんなことを考えていると、登校してくる待ち人の姿が目に入った。 桂さんの席の方に向かう。 「ごきげんよう」 「ごきげんよう、どうだった?」 「ええ。OKをもらえたわ」 「よかったね、ついでといっては何だけど、さらにファンが増えるわよ、志摩子さん。おめでとう」 あんな涙無しでは読めない美談を見せられてしまったらねぇと、ちょっと悪い目つきをしながら付け加える桂さん。 「もうやめて、桂さん。本当に恥ずかしいのだから」 「……祐巳さんの百面相も飽きない味があるけれど、志摩子さんの頬を染めてうつむく姿ってのも絶品だよね。うーん、役得、役得」 「もう、桂さんったら」 さんざんからかわれている祐巳さんの気持ちが少し分かった気がする。決して不愉快では無く、むしろ心地よいのだけど、それでいてなんとも言えないむずがゆさを感じてしまう。 「あ、私はそんな志摩子さんをこの目で見れただけで満足だけど、蔦子さんはまず間違いなく昨日の机に突っ伏しかける志摩子さんを隠し取っていると思うよ」 ……訂正。祐巳さん、分かった気がするではなく、今こそ本当にあなたの気持ちが分かったと思うの。 第一話Dへつづく