〜2〜 『そわそわ』副詞―態度や心が落ち着かないさま。用例:試験で朝から―する。 その例がまさに目の前にある。 見るからにはっきりとわかるのが、どことなくほほえましい。 「可南子さん大丈夫だって、祐巳さんはとても優しいから」 「当然です! でも、でも、祐巳さまの前で何か失敗をしでかしてしまったらと思うと……」 金曜に可南子さんと約束した、お昼に祐巳さんと引き合わせるという約束を早速実現しようと、したのだが……肝心の可南子さんがこんな感じなのだ。 少々の失敗をするよりも今のこの様子を見られてしまった方が恥ずかしいんじゃないか、そう思うが、それは言ってはいけない。可南子さんのために、直接は指摘せずにそわそわを止めさせる手立ては……なかなか簡単なことではない気がする。可南子さんにとって祐巳さんは、それこそ将軍様と下級武士ほども違う存在のようだし……だけど、この状態のままは可南子さんが後ほどひどい自己嫌悪に陥ってしまいそうだから、何とかしないと。 「可南子さん大丈夫だって。祐巳さんだって、完全無欠ってわけじゃなくて結構ポカやったりするって言ったでしょう? 少々ミスをしたところで不快に思ったり悪いイメージを持たれてしまうなんて事はないから」 「でも……」 先週猛烈に反発されて、今日のきっかけとなったのと同じようなことを言ってみるが、この反応。本当に重症だ。 そんな状況なのに、授業が長引いているのか、何か急用ができて足止めを食っているのか、祐巳さんがなかなかやってこない。このままだと可南子さんが逃げ帰ってしまったりしかねない気がしてきてしまった。それはまずい……いろんな意味でまずい。 「それにほら、祐巳さんにとっても、素の可南子さんの知りたいと思うよ。最初にすっかり猫をかぶった姿を見せてしまうと、あとあと本当の自分を見せるのがなかなか難しくなっちゃうんじゃないかな?」 「それでいいんです! たとえ太陽が西から上ったって私はあの方に無様な姿なんか見せたくなんかありません!」 「ま、まって!」 やっぱり帰ります! と、回れ右した可南子さんの腕をつかんでそれを阻止する。 ここで逃がしてしまったら可南子さんはずっと祐巳さんから逃げ続けることになる。それは可南子さんにとって不幸なことだし、祐巳さんや私にとってもよろしくない。なんとしても阻止しなければ。 「放してください!」 「そう言うわけにはって、わわわ」 体格差で引きずられてしまう。私一人じゃ引き留められない。どうしよと思っていると、「あのー、貴方が可南子ちゃん?」と祐巳さんの声が聞こえてきた。 「え?」 可南子さんの動きが止まる。 「あ、祐巳さん」 「ゆゆゆ、祐巳さま!?」 「うん。ごきげんよう」 いつの間にか、やってきていた祐巳さんに見事に狼狽する可南子さん。 「可南子ちゃんって私とお仲間だね」 「……へ?」 ほほえましい。そう思っているのがよくわかる笑みに可南子さんの狼狽が止まった。 「私が初めて薔薇の館にお邪魔したとき、それはもうすごい緊張で失敗ばっかりだったの。持ってこなければいけない肝心のものは教室に忘れてくるし、それを謝ろうとして思いっきり頭を机にぶつけちゃったし……そんな姿をあこがれていた方に見せてしまったのだから、それはもう穴掘って埋まってしまいたいのを通しこしちゃうくらいだった。あのとき、まさかそこまでへまをやらかすなんて想像できなかったけれど、最初からそうなるかもって思っていたら、もう引きずられてでもしないと薔薇の館には行けなかった」 だから、可南子ちゃんの気持ちはよくわかる、と告げた。 「祐巳さま……」 昨日祐巳さんには今日のお願いと可南子さんがどういう人物なのか伝えた。その際に参考になる例をよく知っているのは良かったのか悪かったのかとこぼしていたのは、みきさまのことだと思う。 「そんな経験を持つ仲間ってことで、仲良くしていってもらってもいいかな?」 そして可南子さんに手を差し出す。 「で、でも、私は……」 「ね」 可南子さんはおそるおそる手を差し出し、祐巳さんの手に触れ、祐巳さんががっちりと可南子さんの手をつかんで握手する。 「可南子ちゃんよろしくね」 「は、はい」 「遅くなってごめんね。お弁当食べようか?」 見事に場をおさめたのはさすがとしか言いようがない。 その祐巳さんと可南子さんの顔合わせの後、可南子さんの祐巳さんへのあこがれがさらに強くなったようではあったが、祐巳さん自身が自分の失敗や抜けているところなんかを語ってくれたし、その点は改善してくれると祐巳さんの妹……聖さまからは否定されたけど……としてうれしい。 白薔薇のつぼみとしての仕事……薔薇の館での生徒会の仕事を片付け、祐巳さんと一緒に薔薇の館をあとにした。 「今日は手早くすんでよかったね」 「ええ、テスト前だからなおさらですね」 もうすぐ一学期の中間テスト……中学の時は授業が終わったらすぐに帰ってテスト勉強をしていたものだった。リリアンもテスト直前はクラブ活動が停止するが、生徒会活動は完全には停止せず、帰宅はこうして山百合会の仕事をしてからとなる。 「うん、やっぱり全員そろうと早いね」 「そうですね」 今日は祥子さま、令さま、祐巳さん、志摩子さん、由乃さま、そして私と薔薇さまとつぼみが全員そろっていた。その上、テスト直前であり仕事量自体も抑えられていたため大変スムーズに片付いた。 「……そういえば、令さまは剣道部、志摩子さんは環境整備委員会にも所属しているんでしたよね?」 「うん。それで?」 「祥子さまは小笠原グループ創業家の御令嬢……家の用事でお忙しいと」 祐巳さんはうなずいて肯定する。 「山百合会幹部って薔薇さまとつぼみとつぼみの妹ってことになっていますけれど、正式な役員は薔薇さまだけで、後のメンバーは手伝いでしたよね?」 「うん。乃梨子ちゃんが手伝ってくれるようになって本当に助かってるし、ありがとう……でもそれが、どうかしたの?」 小首をかしげながら要点を言うように促される。 祐巳さんが感じてないとは思わないのだけれど、それが当たり前になってしまっているのだろうか? 「人手不足、ですよね?」 「ああ、そういうことか……うん、ほぼいつも放課後がフリーなのは私と由乃さん、そして乃梨子ちゃんだけしかいないしね。妹を作ったばかりの私が口にするのはどうかってところもあるけど、例年そんな理由もあってつぼみに早く妹を作るように言うのもわかる気がするかな」 「私の方こそどの口でという感じはあるんですけれど……人手が必要なら妹とかそんなこと関係なしに誰かに手伝いをお願いできないものなんでしょうか? ああ、もちろん別に自分が楽をしたいからとかそういうわけじゃないんですよ」 「ああ、それはわかるから大丈夫。そうだね……実際、学園祭とか三年生を送る会とか大きな行事の時は有志でいろんな部や人たちに手伝ってもらっているし、この前の新入生歓迎会の時も新聞部の真美さんに手伝ってもらったように、いろいろと手伝ってもらいはするんだけれど……今乃梨子ちゃんにお願いしているような仕事はなかなか手伝ってもらいにくいんだよね」 「なにか理由あるんですか?」 「山百合会幹部ってみんなから特別視されている上に姉妹でつながっているから……ほら、乃梨子ちゃんのこと考えたら」 「そっか、手伝う人が薔薇の館のメンバーと特別な関係だと見られてしまうんですね」 今振り返れば、志摩子さんも秘密を告白できるようになったし、私もこうして祐巳さんの妹になれ、祐巳さんと志摩子さんの二人と親密な関係を築くことができているのだから結果的によかったと言える。言えるが……もし、もう一度できるならするかと言われても、なかなか肯定はしにくい。ましてや全く未知の危険性に手を出すのは控えた方が良さそうだ。 「そうなると面倒だしね。それに、お姉さまの時の話なんだけど、手伝いをお願いした子自身が勘違いしちゃったりなんてこともあったらしいんだ。それに、今では本当に手伝いから妹になった志摩子さんの例があるから、なおさらになっちゃうかもしれないしね」 「気軽に手伝いをお願いするわけにはいかないんですね……」 「本当に……」 「でも、確かに人手がほしいのは事実だし、何とかならないものかなぁ……放課後そこそこ暇で、手伝ってもらっても周りから妹候補になんてみられなく、本人が勘違いしない子だとより……」 たとえすでに誰かの妹になっている人であっても、何かがきっかけになって、その人のお姉さまと志摩子さんのどっちがみたいなことになってしまったら、志摩子さんは自分のことを責めてしまうなんて展開になりかねない。 祐巳さんが「あ、どうなんだろう」とつぶやき腕組みをして考え込み始めた。 「誰か心当たりでも?」 「えっとね……瞳子ちゃんの顔が思い浮かんだの」 「瞳子の?」 「まあ、この前手伝ってもらったっていうのと、前にお手伝いに立候補してたからかな?」 演劇部で頑張っているから、無意識に候補から外しちゃっていたかな? そう続けた。 「外していたのはともかく……立候補してたんですか?」 いや、瞳子のあの性格ならば、そう突飛な話ではないかもしれない。祥子さまとは親戚だと言っていたし。 「新入生歓迎会の時の白薔薇のつぼみ役をどうするかっていう話をした日に遊びに来ていてね。もっとも新入生歓迎会の場合は、内容的に一年生に手伝ってもらうわけにはいかないから、もしあのときすでに乃梨子ちゃんが妹になっていたとしても、別に手伝いをお願いしなくちゃいけなかったんだけど」 「そうだったんですか……結果的には手伝いどころじゃなかった気がしますけどね」 あの場に限定すれば、強制的に主役の一人にさせられた私を上回る存在感を感じさせた名脇役だった。 祐巳さんは「うん。ほんとだね」と苦笑した。 「すっかり忘れてたよ……んー、考えてみれば瞳子ちゃんって、すでにちょくちょく遊びに来てるし、周りからはどう見られているのかな?」 祐巳さんの口調の中に以前私に提案をしたときと同じような色が潜んでいた。 「祐巳さん。ひょっとして、いっそ徹底的にやってみたらどうかとか考えてます?」 「ちょっとね」 瞳子が周りからどう見られているのか、それは私にはよくわからないが……少なくとも一般生徒の一人というカテゴリーではないだろう。それに、瞳子には紅薔薇さまである祥子さまの親戚という肩書きもある。 「……考えてみれば、瞳子ってすでに特別な存在ではありますね」 「乃梨子ちゃんも少し実感してきたと思うけれど、薔薇の館に気軽に遊びに来れるっていうだけでもすでに普通じゃないんだよね……」 いろいろあったものの、みんなから白薔薇のつぼみと改めて認められて以来の私に対する反応をみるに、なんとなく分かる気がする。 「瞳子か……一応祥子さまのお手伝いっていうので名目は立ちますね」 「乃梨子ちゃんの手伝いって名目もね。それに、仮に志摩子さんや由乃さんの妹候補と思われてしまっても既に特別な存在と思われている瞳子ちゃんにそこまで悪い影響はないはず」 もちろん、望まずそうなってしまったら、フォローもするけど、と続ける。 「そうですね。あれだけ芝居が上手ければ、勝手に切り抜けそうな気もしますけれど」 「よし、じゃあ私から祥子さまと令さまに話してみる。姉妹関係ならともかく、お手伝いしてくれる子についてお二人のご意見を聞かないわけにはいかないからね」 「あ、確かに」 三人が生徒会長であり正式な役員なのだから、残りのお二方の意見を伺うのは考えてみれば当然である。あとは当然志摩子さんと由乃さまの了解も必要だろう。さすがにそんなことは無いと思うけど、一緒に仕事をやりにくいとか姉妹体験と想像されるだけでも嫌だなんて言われてしまったら本末転倒だ。 「まあ瞳子ちゃんをお手伝いにってことならみんな賛成してくれると思うし、お願いの仕方でも考えながら帰ろうか」 「はい、そうしましょう」 そうして別れるまで、いつどんな風にお願いするのか等を話して過ごした。 第二話Cへつづく