〜1〜 私たちがやってきたとき、すでに講堂前の掲示板の近くには多くの生徒が集まっていた。 「祥子さま、令さま、祐巳さん、こちらへどうぞ」 私たちの姿を見つけると、まるで十戒で海が割れるかのように左右に分かれて掲示板までの道ができあがった。 その掲示板の前には既にお姉さま達、三薔薇さまと志摩子さんがいた。 「おや、主役達のご到着だ」 「お姉さま」 「遅かったね。ちょっと待たされちゃったよ」 お姉さまに近づくと、ぽんと私の頭に手をのせてそんな苦情を一つ言ってきた。 とは言え発表はまだであり、これからまだ待たなくてはいけないとか、そんなことを言うと「ああ、確かに。でも祐巳と一緒に待っているのとじゃちがうよ」と返された。 確かに……ひょっとしたらお姉さまは帰ってしまったかもと、寂しく思っていたのだけれど、お姉さまはこうして一緒に結果を見てくれるのだ。お姉さまがいてくれてよかった。 「ところで、……もう一人の主役がいないね」 お姉さまがつぶやいたとおり、もう一人の主役である静さまの姿が見えなかった。 どうして?前に静さまにとって大事なのは生徒会長としての白薔薇さまではないと言っていたけれど……だからと言って、私に対する意地というのはどこへ行ってしまったというのだろう? それに、二度目の宣戦布告をしてきた理由にも繋がった……いつも見かける静さまの取り巻きはきっちりと揃っているけれど、本人が来ていないからみんなそわそわとした感じである。 もちろん、ぎりぎりにくるつもりと言うことは考えられるけれど、もしそうでなかったとしたら……静さま、貴女は何を考えているのですか? 「どこに行っちゃったのかしら……もうすぐ発表だというのに」 「時々、一人でどこかへ行ってしまうのよね」 そう図書委員の彼女が言い、溜息をつく。 それから暫く経ち、予定時刻をすぎても静さまは姿は現さなかった。 そして、それだけじゃなくて、選挙管理委員の人も姿を現さない。つまり、まだ発表がないのだ。 発表が遅いことについての話がみんなの口々から漏れてきている。 静さまも、発表も、一体どうなっているのだろうか? 「祐巳ちゃん、面白いことになってきたわね」 令さま達と話をしていた黄薔薇さまがこちらに話を振ってきたのだけれど、こうして待たされると言うことがおもしろいわけはないし……何が面白いことなのだろうか? 「分からない?余裕を持ってつけられているはずの予定時刻をそれなりに過ぎているのに、まだ発表がないって事の意味」 どうしてだろう? その意味がわからずに、頭の上にクエッションマークを飛ばしているとにやりって感じの笑みを浮かべながら答えを教えてくれた。 「つまり、何度も確認をしているという事よ」 何度も確認するって、そんなにしなければいけないって事は……大接戦って、事だ。 誰と誰かなんて事は言うまでもない。私と静さまに決まっている。 元々、勝敗はまるで分からなかった。けれど、こうして改めてそれを認識させられると、もの凄く緊張してきてしまった。 「同数だったらどうなるのかしらね?ねぇ、白薔薇さま」 「家の妹をいじめないでくれないかなぁ?」 そう言ってお姉さまは私の肩に手を回してぐっと自分の方に引き寄せてくれた。 「祐巳がおろおろしたって結果がどうなるわけでもないんだから、もっと気楽にしてればいいの」 「あらあら、お優しいお姉さまだこと」 「お姉さまは、妹を守ってあげないとね」 「あ〜あ、なんだか妬けちゃうわね。ねぇ、令」 私に振られても困るんですけれど……と言いたげな令さま。 「貴女はどう思う?」 「え!?わ、私ですか!?」 今度は側にいた関係ない生徒に話を振ってしまった。突然の思わぬ事態にその子はおろおろとしてしまっている。 「貴女は?」 「じゃあ、貴女は?」 この人、話を振られて答えられる生徒なんてそうそういないこと分かってて虐めてる。 「黄薔薇さま、その辺りでやめておいた方が良いわよ?」 「はいはい」 紅薔薇さまの一言で止める黄薔薇さま……巻き込まれそうになっていた周りのみんなは、ほっと胸をなで下ろしている。 「どんな結果でも、目の前の現実を受け入れる。それが大事なんだよ……きっと」 お姉さまが静かにそう言ってくれた。それはきっとこれまでのことを思い浮かべながらの言葉なのだろう。 目の前の現実を受け入れる。 大丈夫、こうしてお姉さまがそばにいてくれるし、どんな結果だって受け入れられるはず。 それから間もなく、選挙管理委員長と副委員長が丸めた模造紙を持参して現れた。 「遅くなって申し訳ありませんでした。これから選挙結果を掲示します」 (いよいよだ) 緊張の一瞬、今まで騒がしかった辺りが水を打ったように静かになる。 掲示板の上で、模造紙が広げられていく……小笠原祥子、支倉令と順番に名前が現れてくる。祥子さまの名前の上に紅薔薇、令まの名前の上に黄薔薇がそれぞれつけられている。 順番通りならば次は静さま、果たして……そして現れた静さまの名前の上には何も付いていなかった。と言うことは…… ゴクリと一つ生唾を飲み込む。 最後に私の名前と白薔薇が現れた……私、当選したの? あたりはシンと静まりかえったまま、結果が分かったのに静まりかえっている。どうして?何か違うの?私は当選したのではないの? 「とりあえず、おめでとう」 一番最初に言葉を発したのは、お姉さまだった。 その一言で、陥っていた不安と混乱から解放された。 当選したからこそお祝いの言葉をかけて貰えた……ただ、とりあえずは余計だ。 「ありがとうございます」 さっきの静けさは私達がお姉さま達にそう言うのを待っていてくれていたのだろうか、それぞれの姉妹の間でのやりとりが終わるやいなや、すぐさま「おめでとう」のカーテンコールが私たちに降り注いできた。 そのあまりの数と勢いに、びびってしまって思わず後ずさりしてしまう。 うれしいとかそんなのは吹き飛ぶような勢いだったけれど、それでも何とか「ありがとう」と返す。けれど、完全にかき消されてしまった。 私の周りに殺到してきたみんなにもみくちゃにされて何がなんだかよく分からなくなってしまったのだけれど、お姉さまが器用に人混みをかき分けて、どこかへと行ってしまおうとしているのが目に入ってきた。 「お、お姉さま!」 追いかけようとしたけれど、主役の一人である私がこの輪を抜けられるはずがなかった。 お姉さまは輪を抜けてその姿が見えなくなってしまい、もう追うのはあきらめる。 最初はおめでとうばかりだけだったのだけれど、しばらくすると何か様子が変わってきた。「面白いわね」「ええ」なんて、楽しんでいる感じの人も一部近くにいるけれど、他のみんなは驚いている。「嘘でしょ!」「信じられない」「こんな事があるんて」なんて事が聞こえてくる。 静さまの取り巻き集団が選挙管理委員長と副委員長にくってかかっているし……いったい何があったというのだろうか? 「祐巳ちゃん、これよ」 「え?」 紅薔薇さまが教えてくれた答えは…… 「えええ〜〜〜!!!!」 〜2〜 「お待たせ」 ロサ・カニーナ、蟹名静は約束通りの場所に一人で立って私を待っていた。講堂前のお祭り騒ぎもここではほとんど聞こえない。 「いえ、そんなには待ってはいませんから」 「そっか、でも当落に関係なくって言ってたのは本当に言葉通りだったのね」 「結果は白薔薇さまから伺えばいいことですもの」 あの時からそのつもりだったのか、ロサ・カニーナの姿を求めていたあの子達は全く知らなかっただろう。「聞きたい?」と尋ねると首を横に振った。 「そう、選挙自体はそれほど重要って訳じゃなかったわけだ」 「最初は……途中からは本当にそれも良いかもしれないとは思うようにもなりましたけれど」 「どうして?」 「みんなと一つのことに夢中になれましたし……私お祭り騒ぎみたいな事あまりしたことがないんです。歌うことが生活の中心でしたから、それに、そんな私をみんなが好きでいてくれたと言うことが分かった事がその理由でしょうか」 手段が目的の一つのにもなっていたと言うことにもかかわらず、彼女たちには何も言わずにここに来た。それだけの話があると言うことなのだろう。 「そう。で、先にこの前ここで私を待っていた理由について聞いても良いかな?」 「かまいませんわ。あの時お待ちしていたのは、単に今お会いする約束をしておきたかったからです」 それは何ともシンプルな答えだった。 「あの時、白薔薇さまも一度話をしたいと言われていましたけれど、良かったら白薔薇さまの方をお話し頂けますか?」 「……始業式の日に声かけてきたよね。でも、確か祐巳にロザリオを渡した後ちょっとしてからだったかにも声かけてこなかった?」 「嬉しい……覚えてくださっていたのですね」 本当に嬉しそうな顔を浮かべている。何がそこまで嬉しいのだろうか? 「やっぱりそっか……で、どうしてか聞かせて貰ってもいい?」 「もちろん。私が話したかったことでもありますから……」 そして、次に出た言葉は「私、イタリアに行くはずだったんです」だった。 「イタリア?」 突然思いがけない単語が出てきてついていくのが骨だけれど、さっきのは軽い感じじゃなかった。 「音楽の勉強をしに……中学を卒業した時点であちらにわたる話だったのですけれど、二年延ばしてしまいました」 「どうして?」 「貴女がいたから」 正直驚いた。今私の目は丸くなっているかも知れない。 私がいたからイタリア留学ではなく高等部に進むことにした……私がいる間の二年間だけ、そう言っているのだ。 あの時、志摩子と似た感じがした理由が分かった……まるで気付いていなかったけれど、志摩子以外にもう一人いたのだ。 「けれど、貴女は私の存在を全然認識していなかった。髪の毛だって貴女がずっと長くしてらしたから真似て延ばしていたのに」 少し寂しそうな顔をしながら、そこにはない髪をいじるような仕草をする。 そう。私と同じ二年生の冬休みに長かった髪をばっさりと切ったのだ。とは言え、髪型はずいぶん違うし、そうではないだろうとは思うけれど「で、真似て切ったわけ?」と聞いてみた。 「そう言うわけではありませんけれど……去年切らなかったのは、きっと意地だったんだと思います。私の髪は久保栞さんとは関係ありませんから」 「なるほど」 栞のことで切ったこの髪……そんな理由だったから切らないと言うことが意地の現れになったのだろう。しかし、今彼女の髪はそこにはない、だから「で、今切ったのは?」と聞いてみた。 「……貴女をずっと見てきた。見るだけだった私を一番表しているものだったから」 立候補という形で行動することにしたから、するために切った。だからこそ、切ったけれど髪型を違うものにしたのだろう。 「でも……白薔薇さまの印象に残っているのは、たった二回だったのですね」 溜息混じりの言葉はまさにその通り。私が覚えているのはあの時と始業式の日の二回……それ以前にも声をかけてきたことはあったのだろうけれど、全く記憶にない。 「ごめんね」 「いえ、そう言うところも含めて好きでしたから……」 寂しげな笑みにちくりと心が痛む。 「一つお聞きしてもかまいませんか?」 「どんなこと?」 「祐巳さん。どうして彼女を本当の意味で妹にしたのですか?」 「どうして、か……きっかけは酷いものだけれど、それで祐巳と接していて楽しかったからかな」 「それは分かります。けれど、志摩子さんのことは?」 ……その通り。本当によく見ていたんだ。私は大切な者に近づきすぎてしまうからそのほかの者が見えなくなってしまう。そう自分でも思う……けれど、そもそもの視野が狭いのかもしれない。 「そう。結局私は志摩子が一番のままだった。そして志摩子もね。だから、だめになりかけた。私が祐巳をだめにしかけた」 「でしょうね」 「でも、その祐巳自身が、栞、志摩子との間にできた痕を抱えたまま、生きていく勇気を私にくれた………」 「そうでしたか……」 子細は何も話していない。けれど彼女はゆっくりとそう返してきた。何となく初めから大凡のことは分かっていた。ただ、私の口から確認したかった。そう言う感じのようだ。きっと祐巳の方から聞いていたのだろう。 「ちなみに、もし当選していたら、どうするつもりだったの?」 「もちろん、学校に残るつもりでしたわ。後一年出発を延ばすだけですもの。けれど、その話は止めませんか?祐巳さんは、今までにないような、けれどきっと立派な白薔薇さまになるでしょうし……」 そして、「私も投票したんですから」と続けた。 これには驚かされてしまった……二人の得票数差は、一票差。祐巳を白薔薇さまに選んだのは他ならぬロサ・カニーナ自身だったという訳なのだ。 「一票差。だったよ」 私がそう言うと目を丸くし、そしてふっと唇をゆるめた。 「……みんなもそのうち彼女の魅力に気付くことでしょう」 私もそう、祐巳と付き合っていく中で祐巳の魅力に気付かされた者の一人だ。 「後悔はしてないの?」 「ええ、祐巳さんの方がふさわしいと思ったからこそですから」 「……そうだね」 祐巳のことを素直に認め受け入れ、むしろ祐巳を選んだ。 綺麗な笑みを浮かべている彼女は、とても魅力的な存在に思える。こんな子を数多くの後輩の一人としか認識していなかったのは大きな損失かもしれない。 「ロサ・カニーナ、もっと早く知り合えていたら友達になれていたかも知れないね」 「妹にはしてくださいませんの?」 「妹……か、なりたい?」 「いいえ、私は志摩子さんでも祐巳さんでもありませんから」 「そっか、ロサ・カニーナ」 「静、とは呼んでくれませんの?」 「……そうだね。静、でも、このリリアンにいる内に知り合えて良かった」 本当にそう思う。 そして、静は「嬉しいです」と素直に答えてくれた。 「……ちなみに白薔薇さまは大学は?」 「ああ、そこを受けるつもり」 大学の校舎の方を指さす。 「優先入試ではなく?」 「まあね。大学に行きたいと思ったのは、祐巳と出会ってからだから」 「……確か締め切りは十二月では?」 「締め切りもう過ぎてると思いこんでた」 「……我が道を行かれていたんですね」 「褒め言葉として取っておいた方が良い?」 「さぁ、でも、無事入学出来ると良いですね」 「ありがと」 今話す事はこの辺りだろう。私には一つしたいことがある。 「それじゃ、またね。静」 「はい、また」 リリアン標準の『ごきげんよう』は凄く便利だけれど、今使うと意味がぼけそうだったから『またね』という言葉を選んだ。 卒業までの期間はもうあまり残っていない。けれど、残った期間はいっそう充実したものに出来そうだ。 〜3〜 まさか、一票差だなんて、信じられないような事だったけれど……私以上にそれを信じていない、絶対に信じたくない人たちによって、私たちは開票ルームに連れてこられた。 もちろんその人達は静さまの取り巻き……静さま本人の姿は未だに見あたらないのだけれど、彼女たちが数え直しを主張したため両者がいる前で一つ一つ数え直すことになったのだ。 四人の名前が並んでいる投票用紙のそれぞれのマスに三つ丸を付ける投票形式。祥子さまと令さまは殆どの人が丸を付けているけれど、私と静さまは本当に半分ぐらいの人だけ。 で、数えると疑問票や無効票を除いて、二票だけ私の方が多い。そこに有効とした疑問票を加えてもまだ私の方が一票だけ多いのだけれど……無効票にしたものの中の一つを巡って静様の取り巻きが委員にくってかかっている。 確かにそれが有効だったら、同数になる訳なんだけれど…… 当事者の私にはそれについて何とも言えないし、付いてきてくれた令さまも候補者の一人なんだから言えない。由乃さんもどうしたものかなぁって顔をしている。 けれどそこの黄薔薇さま。貴女は何楽しそうに眺めているんですか?わざわざ付いてきたのなら、薔薇さまとしてこれ何とかしてください。 紅薔薇さまは決定が覆ることはまずないけれど、付いていってあげましょうか?と言ってくださった……でも、由乃さんが私たちが付いていくから大丈夫と言ったので、紅薔薇ファミリーは一足先に祥子さまのお祝いに行ったのだけれど……付いてきて貰うべきだった。今、激しくそう思う。 私がため息をつきそうになったときドアがノックされて外から開かれた。 誰だろう?と視線が集中する中、部屋に入ってきたのはもう一人の主役である静さまだった。 「「「「「ロサ・カニーナ!」」」」」 「発表の時にいなくてごめんなさいね」 済まなさそうにまず最初にそう言った。 いったい今の今までどこで何をしていたのだろうか?と思ったのだけれど、部屋に入ってきた静様はまっすぐに私に近寄ってきた。 「祐巳さん」 「は、はい」 今度は私にいったいどんなことを言うつもりなのだろうか……と不安になったのだけれど、私が思ったのとはまるで別の言葉をかけられた。 「おめでとう。白薔薇さまとして頑張っていってね」 「………。あ、ありがとうございます」 その意味がわかるまでには少し時間かかかってしまったけれど、私への応援の言葉はロサ・カニーナ本人による敗北宣言でもあるのだ。 そして、それがでてしまった以上取り巻きが無効票がどうとか言うことはできない。 みんな揃って納得がいかないという表情をしているけれど特に何も言わない。 「つぼみの皆さん、皆さんと選挙を戦えて本当に良かったですわ、ありがとうございます」 そして、今度は取り巻きの方を向いて「残念な結果になってしまったけれど、みんなも私を応援してくれて本当にありがとう」と選挙の終わりを告げる言葉を口にした。 こうして、今年の生徒会役員選挙は終わりを告げた。 薔薇の館には一人で戻った。 これから、支倉・島津両家でお祝いだそうで、由乃さんはまるで自分が当選したかのように嬉しそうだった。 別れ際、黄薔薇さまに「本当に楽しませて貰ったわ、ありがとう」とお礼を言われてしまった。そんな風にお礼を言われても困ってしまって苦笑いを返すしかできなかったけれど…… 入り口のドアを開け、一人、階段をきしませながら上る……いつもはそのまま二階に上るのだけれど、今日はステンドグラスの前で立ち止まった。紅白黄の三色の薔薇のステンドグラス。 紅薔薇さま、白薔薇さま、黄薔薇さま……リリアン高等部の長。私はその一つである白薔薇さまになる。 私のことをみんなが応援してくれた。僅か一票差ではあったけれど、リリアンの半分の人が私が白薔薇さまになることを望んでくれた。私は全然白薔薇さまとしてふさわしいような人間じゃない。けれど、これから頑張ってふさわしい人間に近づいていこう。 そう決めた。決めたけれど……けれど、寂しい。 祥子さまにも令さまにもお姉さまも妹もいる。そしてみんな一緒に喜んでいた。 でも、私は一年生だからお姉さましかいない。しかも、そのお姉さまはさっさとどこかへ行ってしまった。 分かっている。お姉さまは別に私に白薔薇さまになってほしいとは思っていなかった。 けれど、今は側にいてほしい。言葉をかけてほしい、抱きしめてほしい…… 「お〜い、そんなところで何やってるの?」 投げかけられた言葉にそちらを向く……サロンのドアを開けてお姉さまがそこにいた。 「お姉さま!」 「うわっ」 凄い勢いでお姉さまに抱きついていた。 お姉さまは私をここで待っていてくれた……嬉しい、涙があふれてくる。 「……よしよし、よく頑張った」 お姉さまが優しく私を抱きしめてくれる。 「お姉さま、私、私……」 「何?」 言葉が出てこない……今の私の気持ちを言葉にできない。それなのに、お姉さまは抱きしめてくれたまま右手で私の頭を軽くなでてくれた。 「そろそろ、入ろうか?好きなものを入れてあげるけれど、何が良い?」 そんな形のままどれだけ経ったか……私の涙もすっかり止まった頃お姉さまがそう言ってくれた。 「……ブルマンを、いつもより砂糖少なめで」 お姉さまがいつもブラックで飲んでいるから、ちょっとだけ背伸びをしてみたかったのかも知れない。 それがわかったのだろう。少し嬉しそうにくすっと笑ってから「OK、美味しいクッキー買ってきたから、一緒に食べよう」と返してくれた。 お姉さまに手を引かれビスケット扉をくぐる。 「ちょっと待っててね」 コーヒーを入れる準備をしてくれるお姉さま……私はあれからずっと包まれているのだ。 (お姉さま、ありがとうございます) 気恥ずかしくて口にはできなかった。けれど、この人の妹になれた私は本当に幸せ者だと思う。 「はい、お待たせ」 「ありがとうございます」 お姉さまと一緒に飲んだコーヒーとクッキーはちょっぴりほろ苦くて、ほんの少しだけお姉さまに近づけたような気がした。 あとがきへ