第一話

奇妙な受験生

〜1〜
 週明けの月曜日の昼休み……薔薇の館の二階に祥子さま、令さま、私、そして新聞部の山口真美さんの四人の姿があった。
 先週の土曜日に当選が決まった来年度の三薔薇さまの三人が今インタビューを受けているのだ。
 なお、こういうことになれば普通は絶対出張ってくるだろう三奈子さまは選挙関連に関しては自粛中で、妹の真美さんが中心になって選挙の特集号を作るのだそうだ。
「丁寧にお答えいただきありがとうございました」
 インタビューを受けた感想だけれど、彼女なら少なくとも三奈子さまと違って、とんでもないことをしでかすなんてことはないだろう。三奈子さまがあんなことをしでかした後だけに、そのことが安心につながる。早く、彼女が新聞部の部長になってはくれないものだろうか……そうなれば、何かある度によけいな心配をしたりする必要がなくなる。
 三奈子さまが引責辞任でもしてくれれば、すぐにでもそうなるのだけれど……してはくれないだろうな。
 ともあれインタビューは終了し、真美さんは帰っていった。
「これから、三人で山百合会を支えていきましょう」
 祥子さまが私たちにそう言ってくれたので、私は「はい」と答えた。これからはお姉さま達三薔薇さまに代って、私たち三人のつぼみが山百合会の中心になるのだ。がんばっていかなくちゃ。
 昼休みの残り時間もあまりないけれど、少しだけということで紅茶を入れて一息をつくことになった。
「これからの行事としては三年生を送る会、一月先ね。その前にバレンタインデーなんてのもあるけれど」
 バレンタインデーが楽しみなのだろう、令さまはちょっと浮かれた感じで話をだしてきた。そういえば、そんなイベントもあったのだった。一月は本当に選挙関係で頭がいっぱいだったけれど、もうすぐ二月十四日・バレンタインデーがやってくる。
「バレンタインデー、ねぇ……それよりも、その一月の間に引き継ぎを済ませなくてはいけないことの方が大事よ」
対して祥子さまは何となく気が重い様子で引き継ぎのことを口にした。そんなに引き継ぎの仕事って大変なのだろうか?
 紅薔薇さまの跡を継ぎたいからこそ立候補した祥子さまがそう思うほどとなれば……これはすごく大変そうだ。私なんかにこなせるのか心配になってきてしまった。


 バレンタインデー……大切な人に贈り物をする日。
 引き継ぎのことは心配ではあるけれど、心配しているだけでは意味がないし……令さまほどじゃなくても、私にとってもバレンタインデーは待ち遠しい日かもしれない。
 世間では、女性が男性にチョコレートを贈るのがもっとも一般的だけれど、このリリアンではあこがれの先輩やお姉さまに贈るのが一般的になっている。私にとってそういった相手といえば、二人の姿が思い浮かぶ……お姉さまと祥子さま。
 本命と義理? いや、私にとって祥子さまは義理というのとは違うと思うけれど、一番ではないから本命ではないのだろうか。う〜む、こういうのってなんていうのだろうか? やっぱり本命以外は全部義理なのだろうか?
 しかし、祥子さまに義理チョコなるものを贈るのには何となく抵抗がある。いっそのこと本命チョコを二個というのはだめだろうか?
「祐巳さん、祐巳さん」
 私を呼ぶ声が聞こえる。
 何だろうと思って声をの方を見てみると、私のことを呼んでいたのは桂さんだった。
「え? 何?」
「もう授業終わっているわよ」
「え?」
 言われて周りを見ると、既に掃除の時間に入っているようでみんな掃除を始めていた。どうやら、考えごとをしていて授業の終わりに気づかなかったようだ。
(ばか?)
 白薔薇さまに当選して速攻でこれですか、私……
「ところで、何をそんなに考えていたの?」
「ん……本命チョコ二つっていうのはダメかなって」
 あ、呆れ顔。
「それ本命チョコって言わないわよ……やっぱりお姉さまに贈るのが本命でしょう? もう一つは義理で贈るわけじゃなくても、義理チョコ。別にそれが悪いわけじゃないでしょ」
「そっか、そうだね。ありがとう」
 桂さんに一言お礼を言ってから、私も掃除を手伝うことにした。


 放課後、薔薇さまとしての仕事をお姉さまたちに教えてもらうために、集まったのだけれど……三人の薔薇さまのうちいらっしゃったのは、ご機嫌斜めになっている紅薔薇さまだけだった。
 二人とも今日学校で姿を見たから受験で休みとかそういうことはない。
 要するに……
 黄薔薇さま:メンドイ、任せたわ
 お姉さま:蓉子に任せておいた方が確実だしね。お願い
 そんな感じで帰って行った……たぶんそんなに間違っていない気がする。
 お姉さまたちの性格は結構分かっているけれど、それで良いんだろうかと思わずにはいられなかった。令さまも同じ感じだったのだろう、紅薔薇さまが「まあ仕方ないわ。今日のところは私一人で教えてあげるわね」と言ったとき二人揃って同じように苦笑を浮かべた。
 ………
 ………
 ………
 だんだん暗くなってきて電灯の明かりが必要になり、さらに日もくれてしまって外は暗くなってしまった頃、ようやく一区切りついた。
「お疲れさま。遅くなってしまったけれど、今日はこの辺りにしておきましょうか」
 紅薔薇さまに向かって揃って「ありがとうございました」とお礼を言う。
 こうしてみて改めて思ったけれど、薔薇さまの仕事ってずいぶん多い。今日だけじゃないけれどお姉さまたちがああだから、本当に紅薔薇さまがいなかったら山百合会ってどうなっていたのかとも思う。けれど二人ともやるときはできるから紅薔薇さまがいるからこそなのかもしれない。
「明日は二人ともつれてくるわね」
「と……言われても明後日お姉さまの受験日ですが」
 そうか、黄薔薇さまは明後日受験日だったのか、ならむしろ来ない方が当然だ。失礼なことを考えてしまって申し訳ないと思い心の中で謝ろうとしたのだけれど……
「知らないわ。妹のことそっちのけでふらふらしている罰よ。それに本命なんてない適当な受験してるんだし、どのみち前日勉強したかしないかで合否がわかれるようなレベルじゃないわよ」
 紅薔薇さまがものすごいことをさらっと言ってしまって、さっきの気持ちはどこかへ吹っ飛んでしまった……そう、黄薔薇さまはそれこそ文理を問わずすごい数の大学を受験しているんだった。とんでもない受験方法だと思う……うん。


お風呂をあがってから、今日やってきたことを復習することにした。
白薔薇さまに当選したといっても、私なんかが祥子さまや令さまと同じようにできるはずはない。けれど、がんばっていけばその差を小さくできるはず。そう、少しでも埋めていかなければいけない。
 そうしないと二人に負担をかけてしまうとかそういうのもないわけじゃないけれど、やっぱりちゃんとした白薔薇さまになりたい。少なくとも白薔薇さまとして恥ずかしいほどなんてのは嫌だ。
 よし、がんばろう。
 途中でメモしたことと今日やってきたことを覚えている範囲であわせて一冊のノートに纏めていく。何か困ったときはこのノートを見ればいいし、こうしてみることで、ちゃんと覚えていることと、よく覚えていないことがはっきりとしてくる。よく覚えていないことの辺りは明日聞いてみることにしよう。


〜2〜
 朝、早起きして早めに登校して図書室に寄った。
 チョコレートを贈るならやはり手作りだろうということで、ここは一つ図書室で調べてみようと思ったわけである。
 図書室に入るとすぐにバレンタイン特設コーナーと張り紙が貼られた棚が目に飛び込んできた。
バレンタインデーの贈り物に関する本が二つの棚一杯に並んでいるけれど、やはりチョコレート・お菓子関連の本が圧倒的に多い。
 適当に何冊か手にとって近くの机に座って読むことにした。
 そうして、パラパラとページを捲っていると、何かじっと見られているような感じがしてきた。最初は気のせいかと思ったのだけれど、どうもそうではないようで手を止めてあたりを見てみると、時間帯がまだ早いから人の数は少ないのだけれど……感じた通りじっとこちらを見ている人たちがいた。カウンターの向こうにいる図書委員やたぶん二年藤組だろうと思われる生徒など……
 それもそうか、彼女たちは静さまを本気で応援してきたのだ。
 結果を静さま本人が受け入れたとしても、みんながみんなそうであるとは限らない。いや、あんな結果だっただけに、きっと静さま以外誰も納得はできていないのだろう。それが私に集められている視線によく現れている。
 静さまにとって選挙に込められていた意味を知らないのだから、それも仕方ないのだけれど、私はこんな雰囲気の中で調べ物を続けられるような人間ではない。あの時由乃さんは選挙が終わるまでと言っていたけれど、どうやら選挙が終わった後も私はここに出入りしにくいようだ。けれど、仕方ないといえば仕方ない。調べ物もそこそこに図書室を後にすることにした。
 しかし、どうしたものか……


 教室に戻ったけれど、調べるつもりで早く来ていたから時間が余ってしまった。バレンタインデーのチョコレートはまた何か考えるとして、復習の続きをするかな?
 鞄から引き継ぎについて纏めたノートを取り出して見てみることにした。そして昨日実際に紅薔薇さまから教えてもらっていたときのことを頭のなかで繰り返す。イメージトレーニング……もどきかな? そんなことをし始めてからしばらくして桂さんが登校してきた。
「ごきげんよう」
 ノートを閉じて「ごきげんよう」と返す。
「引き継ぎノート?」
 ノートの表紙に書かれたものすごく安易な名前を桂さんが声に出して読んだ。改めて考えるとちょっと恥ずかしい……もっと考えてタイトルを付けるべきだったかな。
「あ、うん。引き継ぎのことについて復習するためにまとめてみたの」
「そっか、祐巳さん白薔薇さまになるんだもんね」
「うん、私って大したことないからその分ちょっとでも頑張らないとね」
「頑張ってね」
「ありがとう」
 桂さんから応援されたけれど、私が立候補したときこのクラスのみんなが応援してくれた。二年藤組との関係で微妙なところもあったけれど、私にみんな期待していてくれたことは事実。みんなのためにもがんばらないと。


「全く、明日は受験日だっていうのに」
 やや不満そうにそう言うのは黄薔薇さま。今日はお姉さまも含めて二人とも紅薔薇さまにつれてこられた。さすがにがっちり手を捕まれて連行なんてことはなかったけれども
「知らないわ、どうせ帰ってもさして勉強するわけでもないんでしょ? そもそも、大学受験に一夜漬けなんて大して効果ないし、実技が重視される大学ならなおさらでしょう」
「まあ、それもそうだけれどねぇ」
 実技重視ってあなたいったいどこを受けているんですか……
「昨日はごめんね。私なんかが教えるより、しっかりやってきた蓉子に任せた方が良いと思ったんだけれど、叱られちゃった」
 お姉さまの考えていたことはまさに私が予想していた通りだった。普通お姉さまの考えが分かるのは嬉しいことなのだと思うけれど……この場合は、嬉しくはなかった。
「まあいいや、で、今日はどんなことをするわけ?」
「そうね。みんな揃ったことだし、これからのことを決めておきましょう」
 そして今日も遅くまで引き継ぎに関して色々とすることになった。


 今日も引き継ぎのことについてノートに纏めていると、ドアをノックして祐麒が入ってきた。
「ゆみ〜、はいるよ」
「だから返事を待ちなさいって、いつもいってるでしょ」
 一応とはいえレディの部屋に入るんだからとちょっとぷんぷんと怒ってみせるけれど、こちらも慣れてしまっているからふりだけに近い。
「まあいいわ。それで、なに?」
「ちょっと聞きたいことがあってさ、祐巳って結局どうして立候補したんだっけ?」
 なぜ今頃そんなことを聞くのだろうか? せめて当選したときに……ってそうか、お母さんが一番すごいことになっていたのだった。……あの時は本当に苦労かけた。
 あんまり話したくないことだけれど、そのお礼に話すことにしよう。
「恥ずかしいことだけどね……相手の人がずっとお姉さまのことが好きだったの。それで、私に対する意地とかそういったもので立候補してきてたの。そんなの引くわけにいけないでしょ?」
「そっか……それで、見事勝利を収めたと、格好いいな」
「ありがと。順序は逆になるんだけれど、選挙活動している内にみんなが私に期待してくれているって分かったし、それならその期待にこたえようって思ったの」
「……祐巳って良いな」
 自分と比べて見たいな感じが含まれているように聞こえたのだけれど何なのだろう? しばらく話をしながらそれとなく聞いてみたけれど教えてはくれなかった。
「ありがと。それじゃ、お休み」
「どういたしまして。おやすみ」
 結局何を聞きに来たのかよく分からなかったけれど祐麒が出て行ったから、引き継ぎの復習に戻ることにした。


〜3〜
 リリアン学園行き臨時バスが駅前のバスターミナルを発車する。
 ちょうど来たからそのバスに乗ったのだけれど、臨時バスが出るだなんて今日はいったい何なのだろうか? 乗り込んだ臨時バスには見慣れない制服の人たちが乗っているし……
 臨時バスはノンストップなのか、普段停車するはずのバス停をみんな素通りしていく、これなら普段よりもかなり早く到着しそうだけれど、車内の雰囲気はいつもとは決定的に違う。ほかのリリアン生も雰囲気の違いは感じ取っているようだ。
 結局、答えを得ることはできないままリリアン学園前のバス停に到着した。
 一緒に降りた見慣れない制服の人たちは大学の方に歩いていった。今日大学の方で何かあるのだろうか? その辺りのことは分からないけれど高等部の方には関係がないようなので、気を取り直していつも通りに学園の門をくぐった。そして、しばらく歩いているとマリア様に行くとちょうどお祈りをしている生徒の中に志摩子さんの姿を発見した。
 志摩子さんはお祈りを終え、歩き出そうとして私に気づいた。
「あら、祐巳さんごきげんよう」
「ごきげんよう、少し待っててもらえるかな?」
「ええ、どうぞ」
 今日も一日元気でやっていけますようにって、マリア様に朝のお祈りをする。
「お待たせ」
「行きましょうか」
「うん」
 二人で並んで歩き始める。
「受験生の方は大変ね」
 志摩子さんが口にした言葉……それがさっきの答えだったのだけれど、言われてもすぐには意味が分からなくて「え? 受験生?」とオウム返しに聞くことになってしまった。 
「今日は大学の受験日だから、他の学校の方が沢山いたでしょう?」
「あ、そっか、そうだったんだ。見慣れない制服の人がいたり臨時バスがでてたり、何なんだろうって思ってたんだけど」
「昨日も先生が言っていたけれど、あまり縁のないものだったから気にとめていなかったのかしら?」
 聞いていなかったのか、気にとめていなかったのか……どちらかは分からないけれど、まるで聞き覚えがない。
 大学の入学試験……私たちリリアン生は優先入学で入るから基本的に縁がないものではある。エスカレーターに乗る人が多いからこそ、受験やなんやといったものに追われずに過ごすことができるけれど、成績上位の人の中には他大学、もっとランクの高い大学を受験する人たちも少なくない。お姉さまを含めた今年の三薔薇さまはまさにそう……お姉さまも受験生なのである。どこの大学を受けるのかは教えてくれなかったし、いつ受験日なのかも聞いていないけれど、うまくいってほしい。
「白薔薇さまのことを考えていたの?」
 ズバリ言い当てられてしまって、ドキリとしてしまったけれど、「わかっちゃった?」って聞くと「ええ」と微笑みと一緒に返されてしまった。そんな笑みを浮かべながら言われてしまったら何も言えない、また顔に出てしまっていたのだろう。
 で、さらにやっちゃったなぁという顔をしてしまって、くすくすと笑われてしまった。


〜4〜
 カリカリとシャーペンで文字を書く音が大きな部屋に満ちている。そんな中一人あくびをしている私、もう回答をすっかり終えてしまったので、正直暇。でも、時計を見るとそろそろかな?
「回答を止めてください」
 試験官の声とともにみんな一斉にシャーペンを机に置いた。
「これから答案用紙を回収します。まだ、席を立たないでください」
 これで午前中の筆記試験科目はすべて終了。できは完璧とまではいわないけれど、まず落ちるなんてことはないだろう。私が行く学校はリリアンである必要があるからこそ、ここを受けているのだから。
 だからなのか、幼稚舎以来の受験……初めての受験に等しいっていうのに緊張みたいなものはまるでない。
「午後の面接は予定時間の三十分前にはそれぞれの控え室に入るようにしてください」
 ただ……今も注意している午後の面接の方は気になるかもしれない。リリアン出身で受験しているのは浪人生を除けば私くらいだろう。この広い大講義室でも、リリアンの制服を着ているのは私だけ。試験官である大学の教職員も、直接聞いてくるなんてことはなかったけれど、あれ? って顔をしていたし、受験生の中にもそんな感じのがいる。
 白薔薇さまがリリアン大学を受験。リリアンかわら版のネタになるかなこれ?
 まあ、そんなことを考えていても仕方ないな。とりあえずお弁当を食べるか……どこで食べよう?


 面接の順番もあって、私の昼休みはかなり長い。その間緊張している受験生たちと一緒に長々と待つのも何だったので、高等部に行って薔薇の館でお弁当を食べることにした。
 階段を上り扉を開けると、ちょうど祐巳と志摩子の二人がお弁当を開いていた。
「あ、お姉さまごきげんよう」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「お茶で良いですか?」
「ありがと」
 祐巳がいれてくれたお茶を飲みながらお弁当を食べていると祐巳の方から話をふってきた。
「お姉さま、今日は大学の方の入学試験なんですね」
 エビフライをかじりながら「うん、そう」って答える。
「朝臨時バスに乗ってきたんですけど、受験生の人たちって、なんていうか独特の雰囲気がありますね」
「独特か……まあそうかもしれないなぁ」
 試験会場では逆に私が浮いてしまっていたから、彼女たちに言わせれば私の方こそ独特なのだろうけれども
「ところでお姉さまってどこを受けるんですか?」
 祐巳の質問は、私がその受験生の中の一人であるってことに全く気づいていないからこそのものだった。そりゃ、受験生がこんなところで、入れてもらったお茶をすすりながらお弁当を開けているなんてふつうは考えられないか……
「そうだね……まだ秘密にしておこう。もし落ちちゃったりしたら恥ずかしいじゃない」
「う、そんなところ狙っているんですか?」
「さぁてね、ノーコメント」
 お茶をすすりながら返す。祐巳は不満げだけれど、教えてはもらえないとわかったのか、それで引き下がった。その代わり別の話を出してきた。
「そうだ。お姉さま、昨日教えてもらった業者への発注についてなんですけれど」
「それがどうしたの?」
「FAXの使い方もう一回教えてもらえませんか?」
「いいけど、これ食べてからで良い?」
「はい、もちろん」
 FAXの使い方なんてそんなに難しくないとけれど、他にも色々とあるから一度に覚えろといっても難しい話だ。
「祐巳さん熱心なのね」
「祥子さまや令さまの足を引っ張るわけにはいかないからね」
 祐巳の姿を見ていればそんなの特に気にしないと思うけれど、がんばろうとしているのなら協力してあげないとな。ちゃちゃっと食べて付き合うことにしよう。


〜5〜
 今日、三限目が自習になった。
 課題のプリントをすませた人はそれぞれ思い思いのことをしているけれど、私は引き継ぎノートを開けることにした。
 ノートに書かれている内容は日に日に内容が多くなっていっているけれど、まだまだこれから増えていくのだから……最後にはすごい量になっていることだろう。
もちろん一人でそれを全部こなすわけではないけれど、把握はしていなければいけないから大変なことだと思うけれど、お姉さまを含めて歴代の薔薇さまはみんなこなしてきたのだし、私もこなせるようにならないと……
 そんな感じでがんばっていたのだけれど、休み時間になると蔦子さんがやってきた。
「最近ずいぶんがんばっているみたいね。引き継ぎの仕事って、そんなにしなければいけないものなの?」
「う〜ん……普通だったらそうじゃないんだろうけど、それが私だからね。やっぱり、少しでもやっておかないとね」
 祥子さまや令さまがこんなことをしているとはとても思えないけれど、もともとの人間の差にあわせて私が山百合会のメンバーになったのは他の人よりも短いのだからやっていかなければいけない。
「でも、気負いすぎたりはしない方が良いわよ。祐巳さんの場合は他の薔薇さまよりも一年長い任期があるのだしね」
 確かにそう考えることもできるかもしれないけれど、その一年長い任期に甘えて今やれるのにやらないなんてことは私にはできない。
それにしても、蔦子さんがわざわざそんなことを言いに来てくれたのは、ひょっとして心配してくれていたりするからなのだろうか?
「ねぇ、蔦子さん。ひょっとして私のこと心配してくれているの?」
「べ、別にそういうわけじゃないわよ……」
 私からそんな風に切り替えされるとは思っていなかったのか、ちょっと顔を赤らめて視線をそらした。
 恥ずかしがっている蔦子さんはなんだかすごく可愛いくて、今手元にカメラがあったら収めておきたいのに……私は蔦子さんじゃないからカメラを持ち歩いていたりはしていない。蔦子さんがいつもカメラを持ち歩いている気持ちが少しだけ分かった。
「私はね」
さらに続けようとするところに自然に浮かんでいた笑みと一緒に「ありがとう」と言って遮った。
「……ど、どういたしまして」
 やっぱり、自分のことを気遣ってもらえるのは嬉しいことだけれど、蔦子さんの可愛いところを見ることができたのはラッキーだったかな?


 明日はリリアン高等部の入学試験が行われる。だから明日はお休み……こちらは私が直接関係あるからか、ちゃんと覚えていた。
 今日はなるべく早く帰るようにと言われてもいたから引き継ぎのこともお休みになったのだけれど、来年から同じ学舎に通う仲間になるかも知れない子たちのために何かできないかと、みんなで話し合った結果、面接の待機室になっている空き教室の黒板に応援のメッセージを書こうということになった。
 毎年恒例になっているけれど、中等部のメンバーが向かい合わせになっている窓ガラスに「来年からよろしく」なんてメッセージをテープで書くのと似たような感じ。
 そういうわけで、そういった部屋に応援のメッセージを書いて回ったのだけれど、その帰りにどこかの中学の制服を着た子たちをみかけた。
「あれ? あの子たち、試験は明日だっていうのにどうして?」
「明日行われるからこそ、下見に来ているのでしょう」
 そう言って祥子さまはその一行に近づいて行って、にっこりと微笑みながら「ごきげんよう、よろしかったら校内を案内いたしましょうか?」と声をかけた。
「それじゃあ私はこの子たちを案内してくるわね」
少しその場で会話を交わしてから祥子さまがその子たちを引き連れていった。それからすぐに別の家族連れがやってきた。
「私たちも案内することにしようか?」
「そうですね」
そうしてそれぞれ下見に来た子たちを案内していくことになった。
 実際に案内をしていくと最初思っていたよりも結構下見に来る人は多くて、母親につれられてみたいに家族と一緒に来ている子も結構いた。
「こちらがお聖堂で……」
 今私も一組の家族連れを案内しているのだけれど、いままで案内してきたみんな結構緊張しているみたい。私はずっとリリアンにいるから受験って受けたことがないのだけれど、やっぱり今日来ているみんなのように緊張するものなのだろうか。
「高等部については以上です。何かご質問はおありでしょうか?」
「いえ、今日は本当にありがとうございました」
「来年から通えるようになると良いですね。明日、頑張ってください」
「はい」
 そんな感じで、案内していた一行と別れる。
 山百合会の一員として、来年の白薔薇さまとしての仕事を立派にできたとちょっと良い気分で見送ったのだけれど、他の人たちはまだ案内しているのか姿が見えなかったし、逆に下見に来ている子の姿も見えなかった。それでぶらぶらと歩いてみて、どちらかの姿を探すことにした。
 しばらくは誰の姿も見えなかったのだけれど、木陰でため息をついている子を見つけた。
 おかっぱ髪のその子はどうしてため息をついているのだろうか?
 そのあたりはよく分からないけれども、明らかにリリアン生ではないから下見に来たのだろう。とりあえずは声をかけてみることにした。
「ごきげんよう」
 できるだけにこやかな表情を作ってそう声をかけたのだけれど、気が重そうな表情がまず最初に返ってきた。
「ああ、すみません」
「構わないわ。それよりも、下見に来たのでしょう? 案内しましょうか?」
「……そうですね。お願いします」
 なんだか他の子達とはずいぶん違う雰囲気だけれど、人それぞれ事情はあるのだろうから気にせずに案内していくことにした。
 けれども何に対してもあまり興味がなさそうな感じがして、さすがに何となく理由というかそういったものを聞いてみたくなってしまった。しかし、それは失礼にあたるだろうか?
「この建物が、薔薇の館、生徒会である山百合会の本部……どうかしたの?」
 さらに憂鬱そうになってしまったのでそれ以上放っておくことができなかった。何かできれば良いのだけれど……
「ああっ、すみません……」
 一言謝ってから、その理由を答えるかどうするのか少し迷っている様子。どういう理由なのかは分からないけれども、どういう理由があるにせよ、気まずいことは間違いないから無理はないかもしれない。
「もし良かったらだけれど、あまり人の来ないところに行きましょうか?」
「……失礼な話ですけれど、良いでしょうか?」
「ええ、それじゃ、こっちに来て」
 下見の案内コースには絶対に入っているだろう薔薇の館を離れて一緒に校舎裏に向かった。
「にゃ〜」
思った通りにそこには人はいなかったのだけれど、猫はいた。
 ゴロンタは私の姿を見つけて、餌をねだっているのだろう可愛いらしく一つ鳴いてきた。
この前からゴロンタのためにキャットフードを少し持ち歩くようにしているのだ。
「ちょっと待ってくれる?」
「はい」
 私が餌を上げたのは数えるほどしかないけれど、私のことをそれなりに認めてくれているのか、ちょっと待っていてもらってゴロンタの前にキャットフードを置いてあげると、美味しそうに食べ始めた。
 食べ終えると満足したのか、お礼がわりか一つ鳴いてどこかへ歩いていった。
「お待たせしてごめんなさい」
「いえ、全然構いません……あの猫って飼っているんですか?」
「ううん、そういうわけじゃないのだけれど、ちょっとだけ懐いてくれているの」
「そうですか」
 草むらに二人で並んで腰を下ろして話を聞いたのだけれど、それによると、女子校、お嬢さま、カトリック、伝統……リリアンから連想されるような単語その殆どが、彼女にとっては異質に感じるのだそうだ。
 さらにいえば、受験生自体からして、違うものを感じているらしい。親子同伴で下見って、幼稚園や小学校の受験かみたいな感じでなんて言っていたし、実際に話をしたりしたら一層溝を感じてしまったそうだ。
 彼女の話を聞いていて少し驚いてしまった。幼稚舎からリリアンの私には全く実感できないことだけれど、世間一般の公立の学校の生徒から見ればそんな風に見えてしまうものなのか……
 山百合会や薔薇の館のことを言ったときいっそう憂鬱そうにしていたし、姉妹制の話を出したらさらにになっちゃうだろうな。
 しかし彼女の話を聞いていて、それならなぜリリアンを受けているのかとは思った。実際に来てというのはあるだろうけれど、あらかじめ分かっていたことだって多かったはず。前日に下見に来るような子なのに、どんな学校なのかまるで知らなかったなんてことないだろうに……
「何もかもついて行けなくて、とても私が来るどころか受けるような学校じゃないなって思ってたんです」
「ちなみに何で受けているのか聞いても良い?」
「大叔母の希望で受けているんですけれど……私みたいなのが受けるのってやっぱり罰当たりですよね」
「罰当たり?」
 自分の意志で受けるのではない……嫌々受けるといってもそれが罰当たりとまでいくとはとても思えない。むしろ、いまこんな風になっているように被害者的な感じなのではないか?
「……実は仏像愛好家なんです」
「……すごい趣味だね」
 私みたくチャンポンな人はそこら中にいるけれど……仏像鑑賞が趣味だなんてそうそう見つけられまい。いや、そもそもこの年代でそんな趣味を持っている人自体希少じゃないだろうか?
 それ以外に返す言葉がなかったのだけれど、少し苦笑しながら「よく言われます」と返ってきた。
「別に熱心な仏教徒ってわけじゃないんですけど、それでもやっぱり……」
 逆にいうならば、私が花寺に行くようなものなのだろうか? チャンポンではあるけれど、マリア様に毎日お祈りをしているような人間が、仏教系の学校に行けば……確かに異世界ではあるだろうけれど、実際に行ったことがあるわけではないし考えても分からない。
 ただ、お姉さまと神社に初詣に行ったりもしたし、それだけで彼女ほど隔たりを感じてしまうということはないと思う。そういう意味では、他に言っていたこととあわさってこそなのだろう。
 けれど、どういう理由があるにせよそんなに真剣に考えなくても良いのではないだろうか? とてもリリアンに来たいというわけではないから、別にちゃんと行きたい学校があるのだろうし……
「別に行きたい学校あるんだよね?」
「……第一志望は地元の公立高校です。リリアン受かったら受けずにリリアンに行けなんて担任は言っていますけれど」
 さすがに直接口に出すのは多少ためらわれたようだけれど。思った通り、先生がリリアンを薦めているのはなぜかは知らないけれど、行きたい学校があるのならそちらに行くべきだと思うし、そんなに重く受け止める必要もないと思う。
「そうなんだ。本命の学校に受かると良いね」
「ありがとうございます」
「私は幼稚舎からリリアンだからちゃんとした受験を受けたことはないけれど、ここが本命じゃないんだったらそんなに真剣に考える必要なんてないと思うのだけれど……もっと気楽に本命のための練習みたいな感じで考えていればいいんじゃない?」
「練習……そうでしたね」
 少し表情が明るくなる。最初はそのつもりだったのだけれど、実際にリリアンに来て雰囲気に飲まれてしまっていた。そんな感じなのかもしれない。
「それと、お嬢さま学校っていっても、いる人みんながみんなお嬢さまってわけじゃないよ。私もだけど、みんな余所行きで振る舞っているだけ、だからほとんどの人は大したことないよ」
 中には祥子さまのように正真正銘のお嬢さまの中のお嬢さまもいるけれど、そんなのはごく少数なのだ。
「そうなんですか」
「そう。例えば……」
 生徒会である山百合会のメンバーの秘密をすこしだけ暴露する………みんなごめんなさい。
 ………
 ………
 ………
 話した中にはついていけないことが結構あったようだけれど、笑ってくれたことも結構あったし、さっきみたいに沈んだ感じはなくなったからうまくいったのだろう。
「まあ、そんな感じなんだよ、だからもっと気楽にしてて良いと思うよ」
「ありがとうございました。大分気が楽になりました」
「良かった。それじゃあ、門まで送っていこうか」
 別にあちこち案内する必要もないから、最後に見送ることにしたのだけれど……ずいぶん話し込んでいたのに、まだこの子の名前を聞いていなかったことにふと気づいた。
 別に聞く必要はないといえばないのだけれど、あれだけ話をしたのに、そのままっていうのもなんとなく感じが悪くて「そういえば名前……聞いても良い?」と言ってみることにした。
「あ、そういえば、済みません。私は、二条乃梨子といいます」
「私は福沢祐巳、よろしく……にならない方が良いんだったね」
 なぜだかおかしくて二人揃って軽く笑いあった。
「そうだ、良かったら、乃梨子ちゃんのこと聞いても良い?」
「はい、あんまり面白いことはないと思いますけど……」
 門に向かって歩きながら聞かせてもらった彼女の話は、私にとっては珍しい話が多くてバス停までついていって聞かせてもらった。


 乃梨子ちゃんか……最初憂鬱そうにしているときはそうでもなかったけれど、結構可愛い子だと思う。
彼女は後輩にならないけれど、本当に後輩になる子は彼女みたいな子が多いといいなぁ……ふとクリスマスの時に出会った後輩のくるくる縦ロールを思い出してしまった。
 頭の中に浮かんでしまった映像をハエ叩きでぺしぺしとしてどこかに追いやって、他のことを考えることにした。
 今日は引き継ぎはお休みだったし、明日は学校自体がお休み。書き込みが増えて少しずつ見難くなってきた引き継ぎノートをもう少しなんとかしようかな? でも、また同じことになる気がするしどうしたものか……そうか、普通のノートじゃなくてルーズリーフみたいなのにすれば間に挟んでいけるから普通のノートよりは良いかな?
 …………
 …………
「お客さん、お客さん」
「ほえ?」
 気づいたら体を揺すられていた。
「起きてください、つきましたよ」
 私の体を揺すっていたのはバスの運転手さん。考えている内にうとうととしてしまっていたようだ。窓の外の光景はM駅前……M駅行きのバスで助かった。これが、家に帰る方のバスだったら、終点まで行ってしまっていたところだった。
 運転手さんに丁寧にお礼を言って乗り換えるバスの乗り場に向かった。



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