〜6〜 今日の朝は酷かった……起きた時間からして遅刻ぎりぎり。 バスに乗り遅れたりしたらその場で確定してしまう最後の便の時間帯だ。 大あわてで着替えをすませて、パンをくわえてバス停に走る……バス停が見えてきたとき、一緒に最後のバスがバス停に停車している光景が見えてきた。 「待ってください!」 声が聞こえたわけじゃないだろうけれど、必死に走ってくる私の姿を見た運転手さんが、私のことを待ってくれた。 助かった……丁寧にお礼を言ってバスに乗り込んだ。 真ん中ほどの空いている席に座り、バスの窓ガラスに薄く映る自分の姿を見ながら髪をリボンでとめた。 泣きっ面に蜂とはこのことをいうのだろうか? M駅前発のバスには間に合ったのだけれど、道が渋滞していた。 普段こんなに込むことなんてないはずなのに……事故か何かでも起きたのだろうか? ゆっくりとしか進まないバス……このままだとまずい。 間に合ってくださいとマリア様にお祈りをする。 その効果があったのかなかったのか、渋滞を何とか抜けられたけれど、学園前のバス停に到着したとき、まだ本鈴は鳴っていないとはいえ本当にぎりぎりの時間だった。 もう誰もいないバス停から教室までの道のりを長い徒競走をする……スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻らせないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ……だったはずなのだけれども、実際に遅刻がかかってしまうとそんなことはいっていられない。マリア様、バスの中で祈った分で許してください。 鐘が鳴り響く中教室に滑り込みぎりぎりセーフ……ただしその分完全に息が上がってしまって、しばらく机に突っ伏したまま身動きができなかった。 「祐巳さん大丈夫?」 放送朝拝が終わるとすぐに志摩子さん、桂さん、蔦子さんが私の周りに集まってきてくれた。 「だ、大丈夫……うん、ありがと……」 「本当に遅刻ぎりぎりなんて何かあったの?」 「寝坊と、渋滞……」 「それはご愁傷様なことで」 そんな会話があったけれど、ようやく落ち着いてきて水でも飲もうかと廊下に出ようと思ったとき一限目担当の先生が教室に入ってきてしまった。 「きゃっ!」 ちょっとぼんやりしながら歩いていたら、曲がり角で誰かとぶつかってしまった。 しりもちをついてしまった。 「いたた……だ大丈夫で! 志摩子さん?」 大丈夫ですかと言いながら相手を確かめるとそれは志摩子さんだった。志摩子さんもしりもちをついている。 「ご、ごめん、ぼんやりしてた」 「いえ、構わないわ、私の方こそごめんなさい」 志摩子さんは手元に落ちていた筆箱を拾い上げる。 それ私のに似ているなぁなんて思ったりもしたけれど、それもそのはず、私の鞄の中身が辺りに散乱していた。 「あ、ありがとう」 志摩子さんに手伝ってもらって散らばってしまった鞄の中身を拾う。 そうして大体集めたのだけれど、ふと気づくと志摩子さんの動きが止まっていた。 「……」 手に持っているのは、私がお姉さまのためにって買った合格祈願のお守り。じっと見つめている…… (ま、まずい……) 志摩子さんは熱心なクリスチャンで、私たちのようなチャンポンじゃない。 マリア様のお庭であるこのリリアンに神道のお守りを持ち込むなんて不快きわまりないことかもしれない。 「あ、あの……し、しまこさん?」 落ち着いて声をかけようとしたのだけれど、声が震えてしまう。 「……ああ、ごめんなさい。少し考えごとをしていたの」 そう言って私にお守りを返してくれた。 「それだけで良いの?」 「え? それだけって?」 「だって、リリアンに私お守りをもってきてしまったっていうのに……」 「そういうことね。別にそのくらい良いのじゃないかしら? 祐巳さんは元々信徒というわけではないでしょう?」 「あ、うん。まあ……」 「それに、そのくらいで、目くじらを立てていたら……」 「立てていたら?」 「いえ、良いわ。それよりも、残りも拾ってしまいましょう」 「あ、そうだね」 そうして全部拾い終わって、何かなくなったものがないかもチェックしたけれど大丈夫だった。 「手伝ってくれてありがとう」 「ぶつかったのは私も悪いのだから当然よ」 一緒に歩き出す。 「ところで、あのお守りは白薔薇さまに?」 「あ……うん」 お姉さまと喧嘩しちゃうことになってしまったから未だに渡せていないけれどお姉さまのために天満様まで行って買ってきたのだ。 「聞いた話なんだけれど受験生の人たちって、やっぱりうちみたいにエスカレーターののんびりした学校でずっと過ごしてきた人とはずいぶん雰囲気が違うらしくて、それに飲まれて落ちちゃった人がいるの」 「そういうこともあるかもしれないわね」 「それで、お姉さまも試験会場で緊張しちゃったりとかしてしまったら嫌だし、私に何かできないかって考えたの」 「それで、お守りというわけね」 「うん。もっとも真似をしてみただけだけれどね」 「でも……渡せてないのよね」 「……そう」 結局今日もお姉さまとは仲直りできなかった。 昨日と同じようにお姉さまも私のことをずいぶん気にしていたのだけれど、それだけでそれ以上のことはなかった。 何かきっかけでもあればいいのにと思いながら帰ろうとしたのだけれど…… 「……不幸って本当に重なるものなんだ」 その不幸とは今雨が降っていること、しかもずいぶん強く。 「天気予報は完全に雨がふるっていったけれど……」 見ていなかったと言うか朝見る時間がなかった。 「祐巳ちゃん、傘かしてあげようか?」 見かねて令さまが申し出てくれた。令さまは徒歩圏内で、走ればすぐだし、そもそもお隣の由乃さんが傘を持っているのだから相合い傘で帰ればいいのだけれど…… 「私もバスですから、大丈夫です。でも、バス停まではお願いして良いでしょうか?」 「そっか、うん良いよ」 「ありがとうございます」 私が令さまの傘を借りて、令さまと由乃さんは相合い傘で校門を目指して雨の並木道を歩くことになった。 〜7〜 目覚めたときからなんだかだるくて熱っぽかった。 体温計を使って熱を見てみると……微熱だけれど確かに熱があった。 原因は考えるまでもない。昨日雨に濡れてしまったせいだ。 確かにバス通学だけれど、バス停から家までは雨の中を突っ切るしかなかった。それだけでびしょびしょになってしまうほどの雨だったのだ。 まあ、原因のことはおいておいて……問題はこれからのことだ。 「休んだ方が良いって」 そう祐麒は言ってくれているのだけれど、今は微熱くらいでは休みたくはなかった。 「鏡見てこいよ、顔色だって酷いもんだぞ」 そう言われて鏡で自分の顔を見てみた。確かに顔色が悪い。 「……」 このまま学校に行ったら、今の祐麒みたいに心配する人がいる。それ自体は嬉しいことだけれど、やっぱりあんまり心配はかけたくないし……ましてや、お姉さまにこの顔色は見られたくない。 「ねぇお母さん、お化粧貸して」 「「え?」」 祐麒とお母さんの声が重なる。 「祐巳ちゃん本気?」 「うん」 それからしばらくのやりとりの後、私の決意は固いと分かったお母さんは折れてくれたけれど……祐麒の方はなかなか引き下がらなかった。それでも学校までついてくるわけにもいかないし、バス停でやっと折れてくれた。 「少しでも悪くなったら絶対に早退しろよ」 ここまで心配してもらうと、ちょっと嬉しいを通り越してしまっているかもしれない。 ともかく、今日も学校に行くためにバスに乗った。 学校到着……パンパンって頬を叩いて気合いを入れてから校門をくぐった。 志摩子さんや桂さんと話をしたりしたけれど、元気そうに振る舞ったら上手くごまかせた。 けれど、さすがに蔦子さんの目はごまかせなかった。 「祐巳さん、無茶は良くないよ」 二人だけになったときにそっと言ってくれた。 「……みんなには黙っててくれない?」 「……分かった。でも、絶対に無理はしないようにね」 「ありがとう」 〜8〜 お昼休み、ちょっと祐巳の様子を見に行こうとしたら廊下で志摩子とばったり出くわした。 「ごきげんよう」 「ごきげんよう」 「祐巳いる?」 「祐巳さんは……」 「祐巳は?」 「……祐巳さんはお守りをもっていました」 「はい?」 祐巳がお守りをもっていた。意味が分からないどうしてそんな答えが返ってくる? 「合格祈願のお守りでした……そういうことですね」 それだけ言い残して志摩子は去っていってしまった。 いったい何だったのだろうか? 私は祐巳がいるかどうかを聞いたのだけれど返ってきた答えは祐巳が合格祈願のお守りをもっていた。 どうして? 少し考えたら志摩子が言いたかったことが分かった。 祐巳が合格祈願のお守りをもっていた……それが何のためかは決まり切っている。私のためにお守りを買いに行ってくれていたのだ。 まさかあの後に買いに行くなんてことはないだろうし、買いに行ったのはあの前だろう。 さらに言えば、買ったのならすぐに渡そうとするだろうから、買いに行ったのはたぶんあの前日。 「そういうことか……教えてくれてありがとう」 祐巳の教室を覗いてみたけれど、どこか別の場所でお弁当を食べているのか、祐巳はいなかったから自分の教室に戻ることにした。 授業中、祐巳のことを考えていた。 もし、祐巳が私のためにわざわざ合格祈願のお守りを買いに行ってくれたと知っていたら、お守りを受け取っていたら、チョコレートの話を聞いていたら……どうだろう? 今だって、参加した方が祐巳のためにも良いと思うのは変わらないから、勧めたことには変わらないだろうけれど……あんな風な言い方はしなかっただろうな。 後からだけれど、自分でも無神経だって思ったわけだし……それならこんな風に喧嘩したりせずに済んだだろう。 祐巳の態度も態度だって思って、売り言葉に買い言葉ってわけじゃないけれど、私の方に非があるのにっていうのは、志摩子の時もそうだった。 全く成長していないな……せめてクリスマスの時のように、すぐに謝れればこんな風にこじれたりとかはしなかったものを…… 「………あ」 思わず声が出てしまって、先生がちらりとこちらに視線を向けてきたけれど、それだけで何事もなかったように授業を進め直した。 そうか、祐巳は私が勧めたのにも怒っていたけれど、それよりも私が代わりにやったらどうか……あっちの方こそだったんだ。 クリスマスの時と同じこと……それ以上のことをしようとしていたんだ。 あの時、祐巳は、私に逆の場合だったらどう思うのか、それを考えてみろ、そういった理由で言ったのだろう……けれど私は全然気づかなかった。 祐巳は私が他の誰とも知らない子とデートをしたりするのは我慢できなかった……しかも前科があった。だからあんなに怒ったのだ。 あの電動ドリルが言っていた浮気魔はさすがに言い過ぎだと思うけれど……全く今の今まで気づかなかったなんて、これっぽっちも反省していなかったってことだ。やっと分かった。 放課後になって、祐巳に会いに行こうとしたのだけれど……その途中の廊下で「ああ、白薔薇さま!」なんて言いながらカメラちゃんが駆け寄ってきた。 「そんなに慌ててどうかしたの?」 「祐巳さんが倒れてしまったんです!」 「え?」 祐巳が倒れてしまった……それを聞いて早く行かなくちゃと駆け出そうとしたけれど、どこへ行けばいいのか分からずに一歩踏み出しただけで止まった。 「祐巳さんは保健室です」 カメラちゃんに「ありがと」と言って保健室に向かって駆け出した。 すぐに保健室について、ドアを開ける。 「あら、早かったのね。妹さんは窓際のベッドよ」 「ありがとうございます」 窓際のベッドに祐巳が寝ている。 「どうですか?」 「軽い風邪と過労といったところね。風邪の方はともかく疲労も試験期間でもないのにそんなに忙しいものなのかしら? そして、もう一つ……彼女お化粧をしていたのよ」 「お化粧?」 校則違反とかそういう意味での言い方じゃないようだったけれど…… 「つまり、顔色が悪いのをお化粧で誤魔化していたということよ」 驚いてしまった。祐巳ががんばりやなのは知っているし、意地みたいなのもあったのだろうけれど、そこまでするなんて…… 「すみません」 お姉さまとして妹がそこまでやって倒れてしまうまで無理をさせてしまたということと、そもそも私がその原因を作ってしまった。その両方を意味を込めて頭を下げた。 「白薔薇さまはもうどれほどもいないわけだけれど、それまでに、ここまでさせないように言い聞かせてね」 「はい」 「それと……これは申し訳ないのだけれど、これから用事があるのよ。後は任せても良いかしら?」 「ええ、ありがとうございました」 「鍵は開けっ放しでも良いから、後お願いね」 「はい」 先生がいなくなって、私と眠っている祐巳だけになった。 ベッドの横の椅子に座って改めて祐巳の寝顔を見てみる……確かに顔色はあまり良くないけれど、寝顔は可愛かった。 全く、こんなになるまで無理をして…… 軽く頭をなでる。 「こんなになるまでさせちゃってごめんね」 お化粧してでも来たのは、あの時私が祐巳と令とを比較したのを始まりに、色々と言ったりしたせいだ。 その上、そんな風な態度を取ってしまうようになってしまった原因も私だ。 「祐巳があんなに私のことを想ってくれてたのに、私はずいぶん無神経なことを言ってごめん。そんなこととは思わずデートしてこいなんて言ったら怒るの当たり前だよね」 「でも、祐巳が本当に怒ってたのは、私の軽さだったわけだね……分からず屋のお姉さまでごめんね」 蓉子と志摩子から言われてその上で時間をかけて考えてやっと祐巳の気持ちが分かった。そこまでしなければ分からなかった私は本当に分からず屋だ。 「そんな私を好きでいてくれて、ありがと」 祐巳のおでこに唇が起こさないようにそっとふれる。お礼とお詫び、両方の気持ちを込めて…… ふれていた唇を離す。 ……祐巳が寝ていたからこそできたけれど、起きてたらとてもできないだろうな。 「……ゆみ?」 できたのは良いけれど……本当に起きてないかどうか不安になってきた。 「祐巳ちゃん起きてないよね?」 何度か声をかけても反応はない。ちゃんと寝ているようだけれど……それでもなんだかはずかしくなってきてしまった。 祐巳にキスしちゃったんだよ自分。 寝ている祐巳のおでこに…… 「あ〜、あ〜」 考えれば考えるほど恥ずかしくなってきた。きっと顔はだんだん真っ赤になっていっているに違いない。 もし今祐巳の目が覚めて、こんな顔を見られてしまったら…… とってもまずい、は、早く何とかしないと…… 落ち着け落ち着け………こういうときは掌に人の字を書いてって、それは緊張しているときだ! 半分パニックになって怪しげな行動までしてしまったけれど、突然扉が開く音が聞こえてきた。 「え!?」 「失礼します」 誰か入ってきた。まずい! 「あ、後よろしく!!」 「ええ!?」 誰か分からなかったけれど、入ってきた子に後を任せて保健室から逃げ出した。 〜9〜 昨日は休んでしまったけれど、その分しっかりと休養を取れたから、今はすこぶる体調が良かった。 正直なところ、こんなに気持ちの良い日はすごく久しぶりな気がする。 でも、体調のこと以上に良い気分になれた大きな理由は一昨日のこと。 狸寝入りだったのだけれど、全くお姉さまは気づかなかった。今まで考えたことなかったけれど……子狸だけに特技なのかな? まあ、そんなことはどうでも良いけれど、やっとお姉さまが分かってくれた。そして、謝ってくれた。 それに、それだけじゃなくて…………お姉さまが、私に………… 「ごきげんよう」 「うひゃぁ!!」 自分の世界に入ってしまっているところに突然声をかけられて、びっくりして叫び声を上げてしまった。 声をかけてきたのは桂さんで、私の反応に相当びっくりしたのだろう、後ずさりしてしまってしいた。 「ご、ごめんなさい」 「ううん、良いけれど……もう学校に来て大丈夫? 顔紅いよ」 「あ、あああ、そ、それはね!」 指摘されて、すごく恥ずかしくて何がなんだか分からず、パニックになってしまった。 けれども、相手が桂さんで良かったかもしれない。これが、蔦子さんだったら、ばっちり取られてしまったことだろう。 ………そう思ったのだけれど、教室に行くと「ごきげんよう、朝から良いシャッターチャンスをありがとう」と言われてしまった。 そんなこともあったけれど自分の席に座って……一昨日のことを考えた。 卑怯かもしれないけれど、お姉さまの気持ちはしっかり伝わったから分かっている。だから、今なら仲直りできるかもしれない。 昼休み、お姉さまに会いに……お姉さまと仲直りしに行こうと教室を出ると、すぐにお姉さまとばったり出くわしてしまった。 「お、お姉さま」 「ゆみ……」 思わぬ出くわし方で私の方はちょっと戸惑ってしまったのだけれど、お姉さまはの方は恥ずかしいのか顔を赤らめて少し顔を背けてしまった。 そんなことされたらこっちまで恥ずかしくなってきてしまう……けれど、お姉さまは私が狸寝入りをしていたってことに気づいていないわけだから、ここは我慢我慢……できずに結局俯いてしまった。 絶対に顔紅くなっているし、これじゃ起きていたって分かっちゃうじゃないか…… 「あ〜、と、とりあえず、これから薔薇の館にでも行かない?」 「……はい」 お互い顔を向かわせないまま、薔薇の館にやってきた。絶対に周りから見たら変な二人だって思われたことだろう……… そうして薔薇の館の二階で向かい合って座る。いくら何でもこの段階で顔を背けるわけにはいかないから……とにかくお姉さまの唇に目が行かないようにだけしてお姉さまの方を向いた。 「……」 私の紅くなってしまってる顔を見てどう思っているんだろう? やっぱり、ばれてしまったのだろうか……それは分からないけれどお姉さまはどうやって切り出そうかって感じで顔を紅くしながら戸惑っている。 そしてしばらくして、「ごめん」と謝ってきてくれた。 「祐巳の気持ち全然分かってなかった。祐巳が私のこと好きでいてくれているからこそ、怒ったんだよね。ありがと」 昨日言ったことをみんな言うのは恥ずかしいのか、それとも私が狸寝入りしていたってことがばれてしまったのか、ものすごく要約した形になっていたけれど、私にとっては十分だった。 「分かってくれたんですね」 「うん。やっとだけれどね……分からず屋のお姉さまでごめん」 「……ううん、分かってくれたんだからもう分からず屋じゃないです」 「ありがと……」 やっと仲直りできた……上手く仲直りできて本当に良かった。 ほっと一息、仲直りしてすぐにはどうかと思うけれど我慢してお姉さまの方を向いていたのを止めて俯く……でも、お姉さまの方も顔をそらしたしているようだしまあいいかな。 それは良かったのだけれど、お互いそんな感じだから、話が続かなくてどっちも黙ったまま時間だけが過ぎていく…… あ、そうだ。無事に仲直りできたなら渡そうと思って鞄から出していたお守りがポケットに入っている。やっと仲直りできたんだし、ここはやっぱり…… 「あ、あのお姉さま」 「な、なにかな?」 「こ、これを、お姉さまに……」 やっぱり俯きながらお守りをお姉さまに差し出す。 「あ……ありがと」 お姉さまが受け取るとき、お姉さまの様子を見ようと顔を上げると、紅い顔をばっちり向き合わせることになってしまった……お姉さまの唇がばっちり目に入ってしまった。 お姉さまも顔をいっそう紅くする……たぶん私のおでこでも見てしまったのだろうけれど、そんなことされたら、とても耐えられないじゃないか。 またしても真っ赤になって俯く……ひょっとしたら顔だけじゃなくて首のあたりまで真っ赤になっているかもしれない。 とてもお姉さまの様子を覗ったりなんてできない。でも、きっとお姉さまも顔を真っ赤にして顔をそらしているだろう。 そうやって、お互い顔を真っ赤にして向かいあわせずにいるのがどれだけ続いたか、酷く長い時間に感じられたのだけれど、今度の沈黙は私たち以外の人の手によって破られた。 階段を軋ませる足音が二つほど上ってきたのだ。 「ま、まずい! ゆ、ゆみ、こっちに座りなさい!」 「は、はい!」 こんなところを誰かに見られるわけにはいかない。机の反対側のお姉さまの隣の席に大あわてで移った。これで、顔を上げてもお姉さまの顔が目に飛び込んでくることはない。 「あら? 二人がいたのね」 入ってきたのは紅薔薇さまと志摩子さんだった。 「あ、うん。そうだけど……」 「お二人とも顔が紅いですけれどどうかしました?」 「な、何でもないから気にしないで」 「はい……」 志摩子さんは、それで引き下がったのだけれど……紅薔薇さまの方はくすくすと笑ってから「二人とも良かったわね」と爆弾を放ってきた。 折角、こんな風に、お互いの顔を見ないようにってしていたのに……また真っ赤になって俯くことになってしまった。 〜10〜 薔薇の館の雰囲気が一日でずいぶん変わった。 理由はもちろん白薔薇の二人。 まあ、最近変な雰囲気になっていたのは二人が原因だったのだから、それが取り除かれたら雰囲気は元に戻る……正しくもあり正しくもない。 ぎすぎすとした雰囲気や気まずい雰囲気は消えたけれど、二人の間で奇妙な世界を作っている。 一昨日までがあんな状態だっただけに事情を掴めていない祥子や令、由乃ちゃんは目を丸くしている。令や由乃ちゃんはともかく祥子のあんな顔まで見られるとは。兄貴たちがいいつまみが入った時に酒を求める気持ちが少し分かった気がした。 それにしても面白い展開になってくれたものだ。意地を張り合う二人から、仲直りのきっかけがつかめなくて困る二人になり、そして今は恥ずかしがる二人へと見事に三段活用をしてくれた。 さてと、だいたいの所は分かった上で祐巳ちゃんに聞いてみることにする。 「ねぇ、祐巳ちゃん、何があったのか教えてくれない?」 「え、えとえとえと……」 真っ赤になって俯いてしまう。 「ちょっと江利子」 「じゃああなたが教えてちょうだいな」 止めさせようと間に入ろうとしてきた聖の方にふってみるとこちらも顔を紅くしてそらした。しかし、あの聖までがこうも変わるものか。 「からかうのはその辺にしておきなさい」 「はいはい」 蓉子のたしなめを聞き流しつつ由乃ちゃんの入れてくれた紅茶を一口含み、人知れずつぶやいていた。 「私も恋でもしてみようかしら」 あとがきへ