批判がなければゆるせな〜い♪
「欧州の天地は複雑怪奇」
という珍声明が歴史に残っておりますが、私にとって複雑怪奇なのは
「なれ合い、賞賛だけでは許されない。批判もあってしかるべき」
と公言される方々。
……そんなにギスギスしたいのですか?
それともまさか
「ギスギスは本意ではない、だが俺は批判する。(そしてそれはあってしかるべきもので、ない方が気持ち悪いのだ)だから、おまえたちが黙って受け入れて反省すれば空気は悪くならない」
とでも思っているのでしょうか?
……自治厨は本気で思っていそうで怖いですが('A`)
バカな私でも分かるかもしれない話(高みから見下したように見える表現になっていたので修正。そんなことを気づかずに使用してしまった私自身が「一番のバカ」なのです。)
批判というものはそれがどれだけ正しいもの(批判者にとって、あるいは法律に基づく公序良俗的に。後者に近づけば近づくほど批判者の方が多くなり得るがそれもその場が「どんな雰囲気」を漂わせているかによる。極端な例を挙げるとアンダーグラウンドなサイトにおいて、「体験版の期日限定解除はいけないことです。そんな話をするのもやめましょう!」なんて言い出したら「何いってんの、こいつ?」と見られること請け合いである。結局その場、その場においてどこまで「正しい」なんてものは容易に揺らぐのである。)であっても多様な人間の集まるコミュニティにおいては異なる考えを持つ者から反発、あるいは問題提起ととらえられた結果として議論を生みます。
「反発で荒れるならともかく議論ならいいじゃない」
ええ……、そこが議論を求められている場ならね。
問題はそういう場にしないで!
と場の管理者が明言しているにもかかわらずやり始める人たち。
いやはや。
あのですね、世の中、そんなに議論したい議論したい思っている人って多くないんです。
分かるでしょ?
飲み屋で
「最近の自民党は……」
「民主党は、中国は、韓国は……」
なんて政治の問題を熱く語り出したとしたらどういう目で見られるのか(最初から「よし! 今日はいっちょマジで政治の話をしてみようぜ」といった場合を除く。ここで言う「飲み屋で……」は軽くあるいはじっくりのみに行こうという話になって、いざ皆で行ってみたら政治の問題を語り出す人が現れちゃいましたよ……ということ。)……ねぇ?
マナーの議論だって同じことです。
真剣しゃべり場じゃあるまいし、何か楽しさを求めてやってきたコミュニティでいきなり
「ここのマナー問題とは……」
と語り出されても('A`)(上の繰り返しになるが、その場の空気が何を求めているかってこと。一度手痛い目にあったような管理人はコミュニティの目的自体を『わざわざ』明記していることもある。それは「ここは○○をする・話す場所だから『余計なこと』しないでね〜!」という悲痛な叫びが含まれていることもあったりするのかもしれなかったり。)
そういうのが好きな方はそういうのを延々とやり続けているコミュニティも存在しますからそこで存分にやればよろしい。
でも、そういう人たちって
「あえてここでやりたい」
とか
「今ここで話し合わなければ意味がない」
とか言い出したりね。
なんのことやら
カテゴリーからしてどこで何が起こってそうなのか分かる方にはすぐ分かってしまったでしょうが。
まあいつものことなんですが。
何か気にくわないことがあると(その場で)書かないと気が済まない人間が多少でも存在すれば起こりうる問題なわけで。
ネットでは現実世界ではお会いできないようなすばらしい方・すばらしい作品に出会える対価なのかもな、と考えています。
というわけで、思考自体は「複雑怪奇」で理解しかねるけど、起こりうる事象として納得はしてたり。
それにしても
ちょくちょく嫌みで
「ほっとけよ、(匿名で好き勝手喋られる(こう考えること自体いかがなものかと思わなくもないがそう思っている人は間違いなくいるだろう。))ネットではき出さないと落ち着かないぐらい現実世界で鬱憤がたまってんだよ」
みたいな話がされることもありますが、これほんとにありえるんですかね?
現実世界できついからネットで弁慶になっているとしたなら……
幸いにも?私の現実世界における周囲にそんなタイプの方はいないので実在するかどうかを確かめるすべはないのですが。(伝聞ならあるとしてもそれでは結局ネットで「こいつらはネット弁慶に違いない」と言っているのと変わらない。)