思いつきで書いたものにそもそも本題は存在しない
日本語IMEをわざわざデフォルトのMS-IMEから変更している方はだいぶ減った気がする昨今です。
ジャストシステムが少なくともつぶれかけてはいないのだから一定の需要はあるのでしょうが、昔より割合で言ったら減ったような。
ふと、IMEをわざわざ変更する価値はどこにあるのかと思ってしまいました。
もちろんMS-IMEより日本語変換が賢いから変えるわけですが、世間をみるに金を出してまで変える価値があるとは思えない方のほうが多そうです。
でも、私もそうですが
「出す価値がある!」
と思っている人間もいるわけで。
となると、今度はその価値観の相違はどこから生まれてくるものかに興味が。
いくら人それぞれといっても何となく傾向ぐらいありそうなものじゃないですか。
そこでふと思い浮かんだのが
「タイピング速度」
です。
というわけで、これを元に適当に詭弁を弄してみましょう。
早ければ早いほど
タイピング速度というものは人によって本当に天と地と言っても過言ではないほどにずれがあります。
1分で数十字程度の人もいれば1分で300字(1秒で5字(ローマ字で入力しているなら1秒に10打弱していることになる。))以上入力できる方もいるわけです。
この中でブラインドタッチの初歩、あるいは常にキーボードの文字を差がしながら入力されている方の場合は
「変換にかかる手間よりも入力にかかる手間の方が大きい」
これが成り立つのです。
変換に手間取るといっても最近のWindowsであれば(昔のワープロ専用機を知っている方なら変換候補表示自体に1〜数秒程度待った覚えがあるはず。私は「考えるワープロ」とか言っていた。)特異な漢字・用語でもないかぎり何度か変換ボタンを押せば出てくるわけで、文字をひたすら入力していく苦痛?に比べたらなんてことないといえるでしょう。
しかし、タイピング速度が上昇してくるにつれて、
「馬鹿な変換をされるのは(その修正のために)文字入力の手間以上に面倒」
というのが成り立ち始めるのではないでしょうか。
なにしろ、自分は文字をさくさく入力するのにある程度打ち込んで変換ボタンを押した途端、文脈中にいくつも誤変換があったらそれをいちいち訂正していかねばならないのです。
文字を打ち込む時間より変換ボタン連打で直す時間の方がかかるなんてこともあり得るでしょう。
そうなるとこの日本語変換という部分にお金をかけてでもより手間いらずなものが欲しくなってくるのではなかろうか。
少なくとも同じくらいの速度の知人が自分より楽々と日本語変換をこなしていたら
「なになに? 私よりなんで変換がかしこいの!?」
と日本語IMEの変更に興味を持ちそうじゃないか!
よし、これで決まり!
「タイピング速度が速ければ速いほど、日本語IMEをわざわざ金を払ってまで変更する確率が高くなる」
以上。
と、
このようになんの物証もなく思いこみと推論の積み重ね(にすらなっていないですが。)だけで構成されている本が世の中には意外なほどあふれているものです。(もちろん本だけではありませんが。)
それも一応ナントカ大学の教授様が執筆されていたりね('A`)
上手いこと時代と迎合すると「ゲーム脳」みたいに取り上げられてしまうこともあるわけで。(ちょっとだけ「〜っぽい」用語を混ぜると効果的。PC関係なら横文字を乱舞させるとそう見えたり。)
くれぐれもお気をつけくださいませ。